木村德一さん(つくば市役所総務部総務課 課長)インタビュー
つくば市役所総務部総務課課長の木村と申します。
1.支援活動の経緯について
東日本大震災という大きな災害ということで、当然、行政ですから活動することが当然ということで、関わりが始まりました。その当時の経緯といいますか経過を思い出しますと、平成23年の3月11日に大震災、地震があったわけなんですけども、私は現在の庁舎6階におりまして、そこで地震の揺れを感じました。ちょうど新庁舎に移ったばかりで、免震構造ということで、独特の揺れを感じた事を記憶しております。
そしてその後、福島原発の事故がございまして、被災県から支援要請を受けて、つくば市としては国や茨城県、または市内の関係団体、また青年会議所をはじめとする各種団体や、個人の方々、たくさんの方々と様々な支援を行ってきたということで、確か3月15日から洞峰公園、3月17日から国際会議場にて、県外からの避難の方々の受入が開始されたと記憶しております。
2.支援活動について
3月の時点で、私は直接の担当ではなくて、市民の方が庁舎に来て、宿泊をされた際に毛布を貸し出したり、宿泊の際の用品を出してあげたりとしておりましたけども、4月に入りまして辞令をいただきまして、総務課へ異動しまして、県外避難者の方々がいらした洞峰公園の体育館、避難所になっておりましたので、そちらの支援の担当となりました。当時は市役所各部が連携して、お医者さんであったり看護士さんという医療支援、それから炊出しなどを含めた食事の支援であったり、寄付などをたくさんいただいでおりましたので、衣類や生活用品の供給支援などが行われていたことを記憶しております。また、体育館にたくさんの避難の方々がいらしたので、茨城県の方々と避難者の方々の名簿の作成だったり、要望意見等の聞き取りアンケートなども行いました。
当時やはり、体育館のような場所ですので、プライバシーを守ることがたくさん難しかった印象と、今も記憶しております。それから、徐々に避難所の中から退去される方もいらっしゃいましたけど、そういうかなり劣悪な環境でございまして、茨城県としてさらに第2弾の支援として、つくば市内にある旅館やホテルを借り上げて二次避難所として提供するという事業をスタートされまして、つくば市の担当としても、県の職員と一緒にその移動について側面支援もしていたということで記憶しております。
と同時に3月31日には国際会議場、4月17日には洞峰公園の避難所を閉鎖されたと記憶しております。それから皆さんが市内の旅館やホテルに移動したと同時に、私の支援訪問場所もそちらに移ったということなんですけれども、内容については、やはり避難者の名簿の作成だとか、要望意見の聞き取り、アンケートなど、同様に側面支援を中心に行っていました。旅館、ホテルということでですね、一時避難所のような体育館のようなところに比べれば、一段階改善したように思いましたけれども、しかしまだまだ不自由な避難生活には変わりなく、食事の提供等もありましたけど、情報も物資も不足していました。
さらに、4月の下旬くらいからですかね、ゴールデンウィークをはさみまして、茨城県がつくば市の特徴である国家公務員宿舎を国の方から茨城県が借り受けまして、応急仮設住宅として、家賃などを無償で提供する事業を始めまして、つくば市も側面支援として、説明会やモデルルームであったり斡旋の配布などを行ったことを覚えております。入居自体は5月の17日あたりであったと記憶しておりまして、ピーク時の世帯としては約130世帯、現在も90世帯の方々が入居されていると。市内では吾妻、竹園地区の集合住宅、並木、松代の戸建て住宅などが提供されていると、また同時期では県営住宅、UR住宅、雇用促進住宅でも同様に応急仮設住宅の提供が始まっておりました。これを受けてこれまでホテルや旅館に訪問していたんですが、6月からは現在も当時の総務課と同じように続いておりますけど、避難者宅への戸別訪問を開始しました。世帯情報の聞き取りですとか、支援物資、生活支援の情報の提供などを行ってきました。
ここからの2年間はコンサートや各種イベントの無料招待をたくさん受けましたので、避難者の皆様に避難生活の一助にということで情報を提供して、さらに数えきれないくらいのご参加をいただいたと記憶しております。
また、市では皆さんの居住の情報は持っていましたけども、個人情報ということで、なかなか公表することはできませんでしたので、避難者の皆様ですね、知らないつくば市にきて大変心細い生活をしていた中で、近くに同郷の方がいるという情報を持っていない方もたくさんおりましたので、平成23年7月下旬につくば市役所の会議室を開放して、どなたでもご参加できる交流会として、避難者交流サロンを開催したのを覚えております。同時に弁護士さんによる法律相談、看護士さんによる健康相談会、他にも福祉相談会も開設しました。現在は、前半は市役所主体、後半は「ふうあいねっと」さん、NPO団体の主催・共催で13回程度実施してまいりました。
しかしながら、平成25年度になると、情報も行き渡ったのか、参加者も少なくなったり、メンバーも固定化されてきたりなどということで、役割も終わったのかと、いうこともありまして、現在は開催しておりません。
戸別訪問につきましては、平成23年7月から、つくば市も被災地域ということで緊急雇用事業が適用になった地域でありまして、避難者支援のための臨時職員を雇用することができましたので、当初は2名体制で、一時、現在まで中断した時期もございましたけれども、現在も1名。緊急雇用事業が適用となってございますので、戸別訪問を実施して情報提供や孤立防止に取り組んでいるところでございます。
さらに住宅支援としまして、国家公務員宿舎の側面支援の他に、平成23年7月から民間賃貸住宅の借上げによる住宅提供も始まっておりまして、つくば市では国家公務員宿舎がたくさんありますので、他の自治体と比較しますと、数は少ないんですが、20戸程度、現在も継続して提供してございます。またこういった公務員宿舎を含めまして、住宅提供の折には他の自治体と同じように、日本赤十字社から炊飯器、冷蔵庫、洗濯機、電気ポット、電子レンジ、テレビなどの6点セットを無償提供がございましたので、そういった手続きに使っていただけるよう情報提供したこともございました。
3. 支援活動での工夫
それまでですね、他の自治体でもされてきた物資の提供であったり、情報提供はしてきたんですが、特に印象に残っていますのは、なかなか皆さんつくば市に住所をお持ちにならなかったので、なかなか銀行の口座を開くであるとか、様々な証明ですかね、免許証を出しても福島の住所であったりと、なかなか上手くいかないケースがあったので、つくば市では訪問という形で住所を把握させていただいてましたので、そこにお住まいだという事実の証明として、避難場所の証明ということで、発行したことを特に覚えております。車を購入する際とか、随分利用していただいたなと、お声掛けを後からいただいて、今も記憶に残っております。また、支援について先ほどもお話したように、物資を提供したり、情報を差し上げたり行ってきましたが、何よりやはり対面、顔を見ながら、本音を伺う事の重要性というのを痛感しておりまして、絆ということに重きを置いてきて、個別に訪問してきたということが、今も変わりなくお声掛けを頂けるということで大変重要だったことなのかなと、そのへんに力を入れてきてよかったと思っております。
4. 支援活動での課題
これはつくば市だけではないと思うんですけれども、避難者とはいったい誰なのか、という避難者の定義と申しますか、そういうことが非常に曖昧なままですので、こういうことはぜひ、国の方で十分に議論して、風化のないように今後も、途中で支援を打ち切ることのないように進めていただければと、そのことを注視して見守っていきたいと思っています。
またそういう支援、予算に関しても今年度一杯、人件費、緊急雇用事業が残っているのですが、それ以降はないと。なかなか人的支援、訪問も来年度以降はちょっと続けられないということがあって、他の団体さんと連携しながら戸別訪問をどうやって進めていくかと。やはり孤立化とか様々な問題、まだまだ避難生活終わってませんので、どう継続していくかというあたりが一番心配なところでありますし、住宅支援につきましてもいつまで続くのかという事についてはですね、1年1年延長という中で、進んでおりますので、皆さんいつまでと常に不安に思っているところですので、なかなかつくば市で解決というわけにはいきませんが、そのへんは重々頭に置きながら、支援の方をできるだけ続けていきたいと考えています。