印南光子さん(介援隊 会長)インタビュー
会の名前は介援隊です。私はその代表をしている印南と申します。
1.支援活動の経緯について
平成23年の3.11の大災害の時に、皆さまから何かしたいとか、困ったね、という声が上がってきました。ところが誰も一歩を踏み出す方がいませんでした。今はお亡くなりになられましたが、千勝神社名誉宮司さんが民生委員をしていまして、私も元民生委員をしておりましたので、千勝さんに3月15日に電話をして、物資集めをしようと集めて被災地へ送ったのが(発足の)きっかけです。
2.支援活動について
3.11以降は、つくば市にどういう方たちが何人ぐらいいらっしゃるか、どこにいらっしゃるか、というのが全く掴めていませんでした。ですから地元での活動はしておりませんでした。しかし、私の気持ちの中で、県営住宅や公務員住宅にいらっしゃるはずだと思い、社会福祉協議会に何度か電話をかけたのですが、社協もはっきりしません。
そうこうしているうちに、年が明けて1月になり社協の方から市役所の総務に窓口があるという話を伺いました。そこで初めて総務部に電話しました。当時、総務の木村課長補佐、村野係長、ボランティアの一番の窓口におられたのが田原さんということでお尋ねしました。その時初めて、市内に約180世帯、500人くらいが避難しているのが分かりました。(震災から)約一年が経っていました。
それから私たちが拠点にしていた千勝神社に、村野さんと田原さんがおみえになり、集めた物資などの写真を撮って一覧表にし、欲しい方に配ろうということになりました。私たちは、(避難者の)名簿が欲しいと言ったのですが、役所からはいただけませんでした。
私たち介援隊の皆さんは、元民生委員、現民生委員、それと一般の方で組織しています。民生委員というのは、つくば市は6地区あって、動き出した私たちは茎崎地区です。茎崎地区から、例えば谷田部や桜地区とかそこまで手を伸ばしたら、そちらの民生委員さんに対して失礼じゃないかと、いう気持ちがありましたので、活動は茎崎に限定させていただきました。
それで名簿なのですが、私が長く民生委員をしていたこともあり、役所の方で信用してくれたのだと思いますが、茎崎地区の(避難者の)名前を教えてくださいました。そしてその物資の一覧表を、避難者の方を訪問する際に田原さんがお配りし、何が欲しいか希望を取った上で、私がその品物を持って、その時11人おられましたが一軒一軒回りました。そこでお名前と電話番号、住所など、役所が本人から聞くならいいということで一覧表を作り、その後の活動の際、それを基に訪問するなどの活動を行いました。
3.支援活動での工夫
まず、介援隊はどこからも補助をいただかないということです。というのは、本当のボランティアというのは、NPOに登録して補助をいただくというのもあるけれども、自分たちのできる範囲内で会費を集めて、自分たちの気持ちで動くのがボランティアであろうという私の気持ちがありました。工夫というか、世の中の一隅を照らす明かりになればいいと。そのためには、本当のボランティアを分かり合える、会に入ったけれども何をしているか分からない、では困りますので、介援隊通信を作りました。そのほか(元気つく場会代表の)古場さんから連絡があった時に、(メンバーの)皆さんにもお知らせする。緊急で送迎をお願いできないか、という時には電話で連絡を取り合う。工夫といえるか分かりませんが、やはりみんなが同じ気持ちになるには、情報を伝えないとその気持ちになってもらえません。ですから(メンバーに)介援隊通信と封書、はがきによるお知らせ、お電話で知らせるということをしています。古場さんから私に、例えば芋堀りやぶどう狩りをするなど、いろいろな行事の連絡がきます。そういう時はみなさんにお知らせして、何人出ましょうというやり取りをしています。
4.支援活動での課題
つくば市に災害関係のボランティアは1つしかないんです。介援隊だけ。ボランティア団体というのは平成25年度現在で146団体あります。古場さんもお話しされていますが、グループで活動しているのは介援隊だけ、ということです。でもこれだけはほかの地区の民生委員さんに、私たちはこういうことをしているから、あなたたちの地区でもどうですか、と呼びかけるのは難しいことなのです。そちらから、私たちも(支援活動を)したいのですがどんな形でやっていますか、と質問があればこういうことをしていますと言えるのですが。つくば市6地区あるのに、ちょっと寂しいのですが、(活動の輪を)他の地区にも広げられないのが課題です。