以下、映像アーカイブから見えてきたことをまとめてみました。
セーフティネットとは、「安全網」と訳され、網の目のように救援策を張ることで、全体に対して安全や安心を提供する仕組みの事です。主に生活や雇用に対する制度について使用されますが、最近では、人的ネットワーク「人の繋がり」そのものに対して使われることも多くなってきています。その存在そのものにより、人が失敗を恐れず勇気ある行動を取ることができるなど、安心感が与えられることによる効果も期待できるものです。
【ステップ1】 【ステップ2】 【ステップ3】
上の図は、セーフティネットが構築されるまでのイメージです。下の赤のネットが行政による「公助のネット」、真ん中の青のネットが民間による「共助のネット」、上の紫のネットが避難者自らによる「自助のネット」、自助・共助・公助のネットを繋ぐピンクのネットが「協働のネット」を表しています。
綱渡りをしている人が避難者ですが、
避難当初は【ステップ1】の状態で、避難者自らも、自分の置かれてる状況すら見えにくく、行政も民間も、問題に気付いた何人かが何とかしなければ、と各々に動いている状況で、セーフティネットは弱々しいものです。
問題が顕在化してからは【ステップ2】の状態で、避難者は、行政と民間による、一見目に見えにくい二重のセーフティネットの存在により、チャレンジある行動を取れたり、安心感をもたらされるようになります。
【ステップ3】では、避難者自らも課題解決に向けてグループを作って動くなど、自らもセーフティネットを作り上げることで、三重のネットで自らを守ることができるようになります。
この映像アーカイブを見ると、手探りながらも、つくば市が最初に公助のセーフティーネットを作り、その後、個人情報に配慮しながら、コーディネーターとして、大学や民生委員等との繋ぎ役となり、民間による「共助のネット」作りをサポートしたり、避難者を励ますことで「自助のネット」作りの後押しをしてきたことが伺えます。このようなきっかけが徐々に広がっていき、結果的に、完全ではないものの、多様な民間や行政が協働しながら、避難されている方がチャレンジしやすいセーフティネットを「オールつくば」の体制で創り上げてきたことが伺えます。
各団体のインタビューを見ると、「支援者同士の支え合いによるセーフティネット作りを表す表現」や「一市民として寄り添っていくことが重要である」という事を、語っている団体が多いのが印象的です。
例えば、「支援者同士の支え合いによるセーフティネット作りを表す表現」として、以下のような、いくつかの具体的な語りがあります。
「小学校の校長先生に事情を話し、ここに避難しているお母さんが集まるような形にしていきたい、と提案をしたところ、校長先生が快く受けて下さり、学校から家庭に集まりの手紙を出してくれた」「ママ会を学校でできる、というのが、子供の様子も見れるし、とても安心できたところ。民間人だけでやるのは難しいし、行政と学校側、様々な方がタッグを組んで、その学校に、福島からの先生もいる、というのが、みんなの心の支えだった」(ルピナスの会の二ッ森代表)
「物資配布をつくば市役所が仲介してくれ、それを機に、各避難者と直接やり取りができるようになった」(介援隊の印南会長)
「つくば市の方から大学生らしい支援があると被災されている方も和むのでないか、というお話があり活動のきっかけとなった」(筑波学院大学の武田氏)
「支援団体が孤立感を感じることもあるので、定期的に会議を行い、お互いの活動状況や課題の共有を行ってきた」「ふうあいおたよりは各市町村を通して県内に避難している家庭に配布してもらっている」(ふうあいねっとの原口代表)
「情報誌「つくしま」をつくば市役所を介してつくば市内の全世帯に配布してもらっている」(Tsukuba for 3.11の福井氏)
「つくば市主催の避難者の集いが会発足のきっかけとなった」「つくば市が無償で交流会会場を提供してくださる」(元気つくば場会の古場代表)
「毎週火曜日つくば市から使用許可を得て、並木公園芝広場でグランドゴルフをやっている」(双葉町つくば自治会の中村会長)
「受入各自治体やふうあいねっと等支援団体との情報共有を密に行うことで、できるだけ避難者ニーズに沿った対応が迅速にできるように心掛けている」(福島県茨城駐在の佐原氏)
「茨城県に避難されている浪江町民の方の戸別訪問と、交流会の開催ですね。あとは情報発信として「ろっこく通信」という名前でニュースレターを作成しまして、約450世帯の方が避難されているんですが、そのお宅に届ける作業をしています。」(浪江町復興支援員の田中氏)
「福島県、被災市町村さんの意向を組む形でできるだけ、被災者と出身の市町村が離れないように、そして情報が円滑にいくように、そして被災されている方々のネットワークが上手くいくような情報の流通であったりとか、行政と行政との橋渡しとかをさせていただきました。」(茨城県防災・危機管理課の井上総括課長補佐(当時))
「避難所には県の方と、つくば市の方と、社協で立ち上げた災害ボランティアセンターがあったんですけれども、そこで連携を持ちながら対応をしていった。その情報を市の災害対策本部と連携しながら対応していった。」((当時)つくば市災害ボランティアセンターの苅谷センター長)
「市内の核たる社長さん、あるい会長さんが集まっていただいてまして、その中で「彼らは純粋な気持ちでボランティアをしている、ついては企業人として、何か彼らをお手伝いすること、それが今回の震災の支援につながるだろう」、と今日この瞬間から私の発注に対して、各企業さん惜しげもなく、お願いしたもの全て出してくれる」(つくば青年会議所の神谷元理事長)
「避難者の方々を訪問させていただき、具体的なニーズを把握させていただきました。そして、そのニーズに対して必要に応じて法律事務所などの専門機関にお繋ぎしたり、あるいは地域のリーダーとなるような方にお繋ぎをするというようなことを行ってきました。」(NPOフュージョン社会力創造パートナーズの武田理事長)
「対面で本音の意見を伺いながら支援を行う事の重要性を痛感して、出会い、絆、に重点を置いて戸別訪問活動をしてきたことが、今も変わりなく避難している方からお声掛けいただけることに繋がったのではないか。そこに力を入れてきて良かった。」(つくば市役所総務課の木村課長)
また、「一市民として寄り添っていくことが重要である」という表現として、以下のような、いくつかの具体的な語りがあります。
「みんなで一緒になってお話ができる、行動ができる、活動ができる、ということを目指しています。」(ふれあいサロン・千現カフェの今井代表)
「避難されてきている福島の方たちはここに日常がありますので、その日常に寄り添って活動ができればというのが、この教室の最も大事なところです。」(筑波大学うつくしま体操教室の長谷川教授)
「茨城県内にもいばらきコープをはじめとして、いろいろ協同組合があるから、もし困った時には遠慮なく声掛けて、というメッセージを発信する、そういったことをやっていこうということで取り組んできました。」(いばらきコープの松尾氏)
今回、避難者支援を行いたい団体と、支援を必要とする避難者とが、個人情報保護法の壁により、繋がるのに時間が掛ったり、繋がれなかったケースが目立ちました。1.のつくば市でのセーフティネット作りで、いくつかの団体が語っているように、個人情報を持っているつくば市が、避難者と支援者の間に入り、コーディネーター役として、お互いの繋がりを作っていったことで、徐々に民間側の支援が広がっていった様子が伺えます。
今後も、自治体のコーディネーターとしてのスタンスも重要だと思いますが、同時に、日頃からの信頼関係が何よりも大事な事だと考えます。
例えば、栃木県では、「とちぎ暮らし応援会」というネットワーク型の支援組織が、栃木県と協定を締結し、個人情報を共有しながら、支援活動を行っているケースもあります。とちぎ暮らし応援会の方は、それができたのも、日頃からの信頼関係あってのことだと、お話をされていました。
つくば市は被災地域ということで緊急雇用事業が適用になった地域であり、当初2名、戸別訪問や交流会を行うなど情報提供や孤立防止のために、避難者支援のための臨時職員を雇用することができました。
このように、つくば市が緊急雇用事業予算を福島県からの避難者支援活動に活用したことは画期的なことと言えます。
住民票を福島県に置いたまま、つくば市民ではない避難者に、受入自治体が市民同様のサービスを提供することは、特別な予算措置がない限り、とても難しいことであることが今回の避難者支援で分かりました。
今後も、5年、10年、20年と、住民票を移さず(移せず)に、避難先の自治体で避難し続ける人がいること、また、これからも、様々な災害により、自分の住んでいる自治体を離れて避難生活を過ごさざる負えない人が出てくることを推測すると、広域避難者の受入自治体に対して明確な予算付けを行い、きちんと支援できる制度設計を行うことが重要であると考えます。
避難所支援を行ったきた団体と、その後の、仮設住宅支援を行っている団体との間で、支援の接続(引き継ぎ)があまり意識されていないことが伺えます。避難所支援までは、行政や支援団体からの支援が届きやすかったり、メディアからの注目も集まりやすい傾向にあります。ただ、その後、被災者が仮設住宅に移ると、元のコミュニティから離れ、長期の仮の不安定な生活であり、生活再建を考えなければならない時期に、孤立しがちになってしまいます。
そこで、避難所支援に強い団体と、仮設住宅支援に強い団体とが、相互に支援の継続性や全体像を見据えたうえで、活動を行っていく重要性を感じます。
(文責:武田直樹)