松尾掌さん(いばらきコープ生活協同組合 元総合企画室 次長)インタビュー
いばらきコープ生活協同組合 総合企画室 次長 松尾と申します。
1.支援活動の経緯について
まず生活協同組合は、何かあった時に、助け合いの組織ですので、被災地の支援というのは、どこに対してもずっとやるというのが、そもそものミッションとして持っています。その中で、3.11の震災があった中で、まずは茨城県自体も大きな被害を受けましたので、茨城県に住んでる方々の被害をまずどうするかということに取組んできていました。
一方で原発の事故が起こって、生協、お母さんたちの組織ですので、この中で自分たちのお子さんたちの健康を不安になるようになって、食べ物とかを不安になっていく。そういう中でひとつひとつを生協が事業の中で解決しようと取り組んできたわけなんですが、その中で福島のお母さんたちが、自分たちの子供の健康に不安を持ったまま暮らしていくというのは、いろんな機会を通して知ることになって、じゃあ、そのお母さんたちを助けていくっていうことを、生協としてしっかりやって欲しい。そういうようなお声が出てきて、その中で福島県内に住む小学生くらいのお子さんとその保護者の方を茨城に呼んで、少しでも放射能について心配のない時間を過ごしてもらう、そういったことを始めることから、行ってきました。
それをやりながら、一方で福島から茨城に避難されてきている方々もたくさん周りにいるよ、ということになって、じゃその方に対して私たちは何ができるんだろうか、と考える中で福島から茨城に避難してきた方たちにも、何かしらの取組みを行おうということになって、支援の活動が始まりました。
2.支援活動について
まずは避難されてきている方々がですね、茨城にいる間には、茨城の様々な協同組合があります。また、茨城自体がたくさんの美味しいもの、たくさんの農産物等がありますので、そういったことも、いる期間には楽しんでいただくというか、その中で少しでも良い暮らしをしてもらおうと、そういうことを応援する立場から、始めてきました。福島から避難されて来た方々が集まるような機会の時には、茨城の美味しいものを食べてもらうような取組みを行って、それをきっかけにして、茨城県内にもいばらきコープをはじめとして、いろいろ協同組合があるから、もし困った時には遠慮なく声掛けて、というメッセージを発信する、そういったことをやっていこうということで取り組んできました。
特にですね、そんな形の内容でやってきた中では、自主避難をされた方が茨城県内で、例えばキャンプ場であるとか、そういうところで集まって、キャンプを楽しみながら交流する場所に、茨城の食材をお届けして、それと私たちもお伺いして対話をするということを行いました。
また、つくば市内に避難してきている双葉町の皆様。こちらの夏祭り、こういった場にもお伺いしまして、少し盛り上げるような応援をさせていただきました。双葉町の皆さんは、埼玉県の方に皆さんで避難されましたが、その時に埼玉県内の生協が騎西高校の方に、避難所ですね、ずっと継続的に支援を行っておりましたので、その皆さんがつくばに移ってきた時に、埼玉の生協と引き継ぎを行いまして、こちらの方で対応すると、進めてまいりました。
あとは、筑波大学、筑波学院大学の学生の皆さんが、子供たちとのスポーツを通した交流を計画された時にも、同様の食材の提供等で応援をしてきました。
3.支援活動での工夫
先ほども言ったんですが、ひとつは茨城が豊かな地だということを知って頂くこと、が大事だったと思いますので、そういったことでは生活協同組合は生産業には関わっておりませんので、実際に食べ物を作っている生産者の皆さんから直接もらえるようにということで、農業協同組合とか畜産組合とか、他の生産に係る協同組合に協力をしていただいて、やっていこうと。
あとは、私たちいろんな取組みをやっていく中で、「避難されてる方に何かやってあげたいんだけども機会がない」と言った方々がたくさんおりました。そういった中では、こういったプロジェクトもそうなんですが、何かやる時に、私たちいばらきコープだけでなく、何かやりたいんだけどな、と思っている方々と一緒にやる機会を作っていこうということで、何か新しい事を始めるときには、必ず新たな方に声を掛けて、それで一緒になってできることを見つけながらやっていく、ということを必ず行ってきました。それを広げるためには、茨城県とか県の教育委員会とか、各市町村さんの後援を受けたりしながら、多くの方が参加しやすい状況を作りながら進めてきました。
4.支援活動での課題
私たちは生活協同組合ですので、組合員さんたちは普通の主婦の方々です。そういった方々が、今回のことをどう考えていくのか。私たち自身どんなことをやったらいいのか、どんなことを生協にやって欲しいのかを考えていく機会を作っていくということでは、一部、私たち従業員だけでなく、普通の主婦の方々ができるような機会を作っていく。
または、実際に何でこんなことになったんだろう、なぜ今のような事態を招いているんだろうについても、改めて知っていただく、ということでは、日帰りや一泊とかでですね、各地域とかでバスを出しまして、原発の近くまで視察のツアーを行って、そこで今の福島を見てもらって、それで、また戻って来てもらって、家族の方々と話をしながら、私ができる支援ってどんなことだろう、ってことを話し合ってもらうことを呼び掛けながら、取組みを進めてきました。そういったことを、じゃあ私たちは、私たちの暮らしをどうしていけばいいのか、考える場を作り続けていくことを、ちゃんとやらなければいけないと。それが一つ、我々の取組みで大事かと思いましたし、そういったことをずっと続けていく事が私たちの役割だと思っています。
なので、これから改めて、電力の自由化もありますから、そこの中で私たちがどういうふうなエネルギーとの関わり方を、一人一人が自分の暮らしの中でどう関わっていくのかについて考えて行動する、こういったことについて応援していくのが一つの課題かと思います。
9月に起こった常総市での水害ですが、ここで起こった事、様々な事が、私たちが見て聞いてきた福島の状況とすごく似ているな、ということがたくさんあります。ちょっとした差で助成額が大きく変わってみたりだとか、これはこれで仕方のない部分もありますけど、地域の中で分断ができてしまう、住む場所を選ぶ、についてもそれまでの状況によっても、その方の状況によって大きな違いが生まれてくる。そういった中で、今まで一緒だった人たち、一つになっていた仲間が離れていかざるを得ない状況がたくさん出てくる、そういったことについて、どうやって戻していくのか、福島でもなかなかそうですが、ここも苦労されているところ。そういったことについて、ここ茨城についても同じように考えて取り組んでいかなければならない、というのがこれからの大きな課題かと思っております。福島の事について学びながら、私たちはどうするの、ってことについてしっかり考えていくことはしっかりやらなければ、と思っています。