苅谷由紀子さん(つくば市社会福祉協議会 (当時)つくば市災害ボランティアセンター長)インタビュー
つくば市社会福祉協議会で、その当時は災害ボランティアセンターのセンター長をしておりました苅谷由紀子と申します。
1.支援活動の経緯
社会福祉協議会は、実は2006年から地域の人たちと一緒に地域の防災訓練をしていたんですね。その関係もありまして、災害ボランティアセンターを立ち上げるというところを訓練をずっとしていました。3月11日の東日本大震災が起こった際にも災害ボランティアセンターを立ち上げて支援をしなくてはいけないということがありましたので、翌日に災害ボランティアセンターを市の方からの要請で立ち上げて、それからの支援になります。
2.支援活動について
まずは3月11日に大震災が起こった際には、とりあえず安否確認が必要だというところが起こりましたので、市内の活動を始めさせていただきました。災害ボランティアセンターは、ボランティアさんの受付をする、そしてそのボランティアさんを派遣するという活動がありますので、その活動を3月12日の立ち上げからずっとしていたことになります。
福島の方と関わるようになったのは、県の方が国際会議場と洞峰公園に避難所を設置しまして、それから3月18日くらいだったと思いますが、その運営が市の方に委譲されたというところがありました。それから災害ボランティアセンターも現地の方に設置をしまして、直接避難されている方の支援というところも始まっていきました。もちろん、その前にも避難された方の要望などの対応はしてきたんですけれども、その現地の災害ボランティアセンターを立ち上げてからの関わりがさらに深まっていったところがあります。避難所運営なので、避難された方と避難所をどういう風にしていったら良くなるか、また活動を希望されてたボランティアさんと、一緒に避難されてる方が少しでも快適に過ごしていただけるように考える、という活動を一緒にさせていただきました。
3.支援活動での工夫
まず、災害ボランティアセンターというのは、当初は市に一か所しか作っていませんでした。でも避難所にボランティアセンターを移して、より福島の方のニーズを早くかなえてあげられるようにするとか、また皆さんがどのような要望をお持ちであるとか、直接分かるようにすることが、現地の災害ボランティアセンターを立ち上げた理由であったのですが、そのことが支援をしていくなかで一番重要な対応だったかと思います。
また、その状況を、避難所には県の方と、つくば市の方と、社協で立ち上げた災害ボランティアセンターがあったんですけれども、そこで連携を持ちながら対応をしていった。その情報を市の災害対策本部と連携しながら対応していったというところも、どういうふうな連携を持つかといったところの工夫というところも少し考えながらしていった、それでも初めてのことなので手探り状態で、こうしたけどこの方が良かったなど、その場で臨機応変に対応してきたかなという所はありました。
あとは、そのボランティアさんたちに活動の役割を持っていただいて、分担をして行っていったということ、本当に避難所の運営をしながら、どのような役割が必要であったかというのは、その時に生まれたことで、そういうところがボランティアさんや避難された方と一緒に考えられたことがすごく良かったかなと思っております。
大事に考えたのは、いろんな事情をお持ちの方がいらしたので、なるべく安心していられる空間をつくっていくためにはどうしたら良いか、その当時皆さんで話していた気がします。
4.支援活動での課題
一つ目としては、ボランティアの受付、そして派遣ということについて課題があったかなというふうに思います。具体的には、当時学生さんを含めて、今までどういうふうな活動をしてきたのか分からないボランティアさんがたくさん登録に来ます。でもその人たちを同じ活動にしていただくための、私たちの、どういう風にボランティアさんにその活動をより具体的に話していって、活動していただくか、その所が職員たちも様々な対応だったので、ボランティアさんのせっかくの活動が、適切な活動に結び付かない。それは私たちが、ちゃんとボランティアさんに活動の方法や支援の方法、また避難している人たちがどういうニーズを持っているかということを伝えきれなかった、というところにあったかと思います。より具体的にボランティアの方にニーズを伝える。そのために私たちは、どういう収集方法があったかとか、どういう関わりを持つかというところをこれから考えて対応していった方がいいかなという課題がありました。
そして二つ目としては、私たちも避難所のいた方のニーズを聞き取れていたかなというのはあります。つくばの避難所には自主避難の方や、津波にのまれて、やっとの思いでここの避難所に何か所目かで来たという方、奥さんの手を握っていたのを、津波の中で離してしまった、と言ってふさぎ込んでいる男性の方。様々な方がいらっしゃるんですけども、私たちはどうしても同じような対応をまず考えてしまっていた、というところがあるので、本当にその人たちのニーズを聞き取れていたかな、というところは疑問にあります。きっと避難されていた方も遠慮されていたり、初めてのことだったりするので、打ち解けるまでの時間が少し掛かったのかなと思います。その関わりの何日かの間に、どういうふうな提供をすることが良いのか、というところは私たちも初めてのことで、やれることはやったなと思いますけれども、その中でもこれが本当に良かったことかなというところは、たくさんあります。
例えば、昼食、夕食の提供にしても、同じものを提供しているが、本当にその人たちは好き嫌いはなかったのか。そこまでは避難所では対応できないよ、って言われるところもあるかもしれません。でも、そこをちゃんと聞き取れるような部署であったり、対応であったり、というところをできるということが、もしかしたら必要だったのかなと思います。
私たちのやってた事、表から見ると対応したかなって思ってることでも、裏側とすれば、本当はこの料理はあまり好きじゃなかったんだよね、って帰っていかれた方もいらっしゃいました。でも、その事に関して苦情ではなく、これはあまり好きじゃなかったけど、ボランティアさんたちが一生懸命作ってくれたから、美味しく食べられたよ、という風な言い方をしてくれた方に助けられたというところも実際にありました。
課題として最後の事のこととしては、私たちは避難所を運営するにあたり、災害ボランティアセンターとして、つくば市の災害対策本部にも一緒に入らせていただいて活動することができました。今回、県内の災害ボランティアセンターの立ち上げをいろいろ聞いたことに関しても、災害対策本部と一緒に災害ボランティアセンターが活動しているというのは、どこにもありませんでした。たまたまつくば市はそれができたというところを、今回はこれがたまたまではなくて、今後も連携を繋いでいくということが、多くのボランティア活動が直接現場での活動に繋がる大きな要因だったということは、実感しております。これを活かしていけるというところが、私たちの今後の課題かな、というふうに思っております。
最後は私の課題でもありますけども、ボランティアセンターというところを運営しながら、ボランティアさんの思い、そして避難されていた方の思いの違いを、どうやったら汲み取れるかなというところを、今5年が経ち、あの当時を振り返って、そこまで対応できたかなというところを思っています。現場、その混乱の中では、その対応は難しいかもしれませんけど、きっとそういう気持ちを持って対応していけたら、もう少し違う対応があったんじゃないかと思っています。
当時子供たちに、お菓子を分けるのに、何日分か取っておいたものを、ボランティアさんが全部一日で分けてしまったということもありました。ボランティアの思い、そしてそれを受け止ったお母さんの思い、そしてそれを調節する社会福祉協議会の職員、その時同じような思いで対応していたのかなと思います。
今後活動する方に関しては、現場は本当に混乱します。それでも少し考える。そして混乱の中でも、これはこうすれば良かったというところを必ず誰かが教えてくれるというところがありました。それを実行できていく、そんなことができたら、きっともっと良い支援ができたんじゃないかと思っています。
37日間という活動でしたが、関わってくれたボランティアさん、そして避難された方、最後は「ありがとう」と言って、避難所を去って行かれましたけど、本当にその支援が良かったか、と考えていくことも、私たちの大きな課題かなというふうに思っています。これを見た方が、少しでも参考になるように。
私たちは混乱をしました。本当にボランティアさんの多さに混乱し、そしてどう対応していいかも分かりませんでした。その場でニーズを受け取ったことが、現場に行くと違うニーズに変わっていたり、たくさんの苦情もありました。「ボランティア派遣されたけど、全然何にもやってくれねーよ。」そう思う方にいちいち説明して回りました。ボランティアさんに活動の意味を伝えること、せっかくの思いを実現させてあげられるようにすること、ボランティア活動ができるようにしていく、ということも大事なんだなと感じました。私たちの力がなく、多くの方が、活動に参加できなかった方もいらっしゃいます。ボランティアセンターを運営していく方に対し、かっこ良くじゃなくてもいいから、皆の意見を聞きながら、そして一つ一つ解決していく、それが災害ボランティアセンターの一歩かな、と感じています。
もう二度とあんな災害がないことを祈っていますが、社会福祉協議会は今年も災害ボランティアセンターの設置運営訓練は続けていきます。一つずつ少しずつ、あの時のできなかったこと、小学校に入学するお子さんに対し、ボランティアさんがお母さんと娘さんに洋服とランドセルを用意してくれたのを思い出します。つくば市の小学校に入学されたお子さんは今も通っていると聞いております。ボランティアさんの善意でつくば市で生活を続けている方、そしてつくば市ではなく、ここでは俺の住むところはないんだ、と言って帰って行った方、でもそう言いながら、やはり福島に戻るのがいいんだと言って帰って行った方、私たちもこれから陰ながらどこかで、その人たちを忘れないようにいられればな、と思います。
たった37日間の活動でしたが、3.11の東日本大震災、つくば市の社会福祉協議会が行った災害ボランティアセンターの活動がボランティアさんの思いを受け止められたところ、そして避難された方の思いを十分には受け止められなかったこと、安心した空間には、もしかしたらならなかったかもしれないということ、そんな思いを感じています。