憲法Q&A原文

「改憲をめぐる素朴なQ&A」原文のまま収録

あまり政治に興味がない人でも「改憲」という言葉を聞いたことがあると思います。18歳から選挙権が使えるようになり、若い人たちにとっても「改憲」は大きな問題です。

しかし7月に行われる参議院選挙において「改憲は争点ではない」とか「機が熟していない」などという報道があります。本当にそうでしょうか。自民党は「争点隠し」をしていると言ってもよいと思います。なぜなら自民党は党結成当初から改憲を目指している党であると公言し、すでに自分たちで憲法草案も作っているからです。漫画のパンフレットを作って改憲の機運を高める活動もしています。ですから、選挙の争点になってもならなくても、「改憲」は常に意識されていると言えます。参議院選の結果次第では一気に「改憲」に進むこともありえるでしょう。

そもそも政治の争点というものは政治家やマスコミが作るものではなく、私たち一人一人が自分で考え自分で作りあげるものです。政治は国会議事堂にあるのではありません。私たちの日々の生活そのものが政治なのです。政治に関わる憲法は私たちの生活にも関わります。

では、私たちは「憲法」や「改憲」についてどのくらい知っているでしょうか。「改憲」という空気が感じられる今、なんとなく耳にする「改憲」の必要性を深く考えずに信じこんでいないでしょうか。私たちも「改憲」について考えてみるときにきています。

そんな気持ちで、社会に広がりつつある「改憲」の言説を、普通の目で改めて眺めてみると、いろいろ素朴な疑問が湧いてきました。「当たり前のように言われているけど、ちょっと考えてみたら変だぞ」とか「現行憲法では無理だというけど、別の方法でちゃんと解決出来るじゃないか」というようなことがいっぱい出てきました。

そこでこのパンフレットを作りました。およそ50個の素朴な質問に対し6人の大学関係者が答えを示しています。質問も短いものですし、答えも長くありません。なるべく難しい専門用語も使わないようにしました。ですので、どのQ&Aも気楽に一気に読んでもらえると思います。また、内容別に構成していますので、どこから読んでもらっても結構です。興味のあるところから読んでみてください。素朴な疑問だけでは物足りない人向けに、後半部分では「自民党改憲草案」についてのQ&Aと解説もつけました。

このパンフレットが、皆さん自身が憲法や「改憲」について考え、自分の中で争点化するきっかけになれば嬉しいです。

「改憲をめぐる言説を読み解くプロジェクト」

石川裕一郎(聖学院大学 憲法学)

稲正樹(国際基督教大学元教員 憲法学)

神田靖子(大阪学院大学元教員 言語学)

志田陽子(武蔵野美術大学 憲法学)

名嶋義直(琉球大学 言語学)

野呂香代子(ベルリン自由大学 言語学)

(五十音順)

パンフレットの構成

このパンフレットは以下のような3部構成になっています。第1章は「素朴な疑問」とそれに対する回答です。第2章では現行憲法についてよく言われていることや、自民党が改憲の世論を作るために作成した「漫画政策パンフレット」に書かれていることなどを検証します。第3章は「自民党改憲草案」についての解説です。1,2章はQ&Aの形式になっています。どのような質問が取り上げられているかは、目次を見てください。

第1章 「憲法改正」議論についての素朴な疑問について

第2章 現行憲法について一般に流布している言説と自民党「漫画政策パンフレット」で説明されていることについての質問集

2.1. 現行憲法の成立過程と改憲について

2.2. 現行憲法の内容について

(1)軍隊について

(2)緊急事態条項について

(3)天皇と愛国心について

(4)国民の権利および義務について

第3章 「自民党改憲草案」についての解説

第1章 「憲法改正」議論についての素朴な疑問集

目次

①最近、憲法改正が話題になっているが、なぜ今、これが持ち上がったのでしょうか。

②現行憲法は古くなったからというが、そうした理由で憲法を改正する必要があるのでしょうか。

③憲法改正とはどんなことでしょうか。

④この憲法のもとで戦後70年もの間、平和が続きました。ここで憲法改正をするということ自体に不安を感じるという市民、危険だと指摘する有識者が大勢います。それはなぜでしょうか。

⑤現行憲法は戦後すぐにできたもので、現在は世界情勢も変わっているから通用しないというが、どこが問題なのでしょうか。

⑥安倍首相はどのような内容の憲法に変えたいと思っているのでしょうか。

⑦憲法9条が問題になっているが、そもそもどんな条項でしょうか。

⑧「平和的生存権」について説明してください。

⑨憲法改正をするとしても、中国や北朝鮮などの周辺国、あるいはISなど、他国からの脅威が大きくなっているので、9条だけを変えればよいのではないでしょうか。

⑩アベノミクスによって経済が好転したという見方があります。この政権の経済政策と改憲案とは別問題だと思いますが、関係があるのでしょうか。

⑪憲法改正するとしたら、国民一人一人の意見が反映するのでしょうか。

⑫万一、憲法が改正されたら、国民の生活はどのように変わるのでしょうか。

⑬現行の法整備だけで済むというのに、わざわざ憲法を改正する理由は何でしょうか。

⑭日米同盟は現行憲法の枠内でのみ有効でしょうか。

⑮改憲すると日米同盟はどう変わるのでしょうか。

⑯現時点でアメリカは日本の改憲、とりわけ「9条改正」を肯定的にみているのでしょうか、あるいは否定的でしょうか。

⑰自民党は、国会議員の3分の2以上の賛成が憲法改正の発議に必要だと規定している憲法96条の改正を提案しています。この規定は、他の国に比べて厳しすぎるのでしょうか。

⑱自民党は「お試し改憲」という言葉を使っています。たとえば96条を改正したあと、順次改めて、全体を変えるのでしょうか。

⑲安保法案の際にもすでに解釈改憲ということで成立させました。これが認められるのなら、今の憲法を変える必要はないのではないでしょうか。

⑳かなりの数の地方議会が「国会に憲法改正の早期実現を求める」意見書を提出しています。十分に議論が尽くされた上でのことでしょうか。

㉑「日本会議」とはどんな団体でしょうか。

第1章「憲法改正」議論についての素朴な疑問集

今まであまり憲法を意識しなかった人でも、昨年の安保法案をめぐる国会での紛糾を目にして、新たに憲法とは何かを考え始めた人も多いことでしょう。また、メディアによって報道されるたびに、今の憲法の在り方を考え始めた人もいるのではないでしょうか。そこで第1章では、日ごろ政治に無関心な人々から聞こえてきたさまざまな声を集めてみました。

なぜ今、憲法改正なのか、そもそも憲法改正とはどんなことか、そして、その前に現行憲法とはどのようなものか、といった素朴な疑問にお答えします。

現行憲法 第9条〔戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認〕

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

最近、憲法改正が話題になっていますが、なぜ今、これが持ち上がったのでしょうか。

自民党およびその所属議員は以前から、「押しつけ憲法」を否定したい、「日本古来の伝統」を踏まえた憲法を制定したいという思いを表明していました。もともと自民党は改憲政党なのです。しかし、改憲を発議するためには、衆参それぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要だったため、実現には程遠い状況でした。それが2012年の総選挙で自民党が大勝したことにより、いくつかの野党と合わせた衆議院の改憲勢力が3分の2を越えたため、実現の可能性が出てきたのです。現安倍政権は憲法解釈による解釈改憲の手法では不十分だということで、正面突破を図るようになっています。しかもすでに第一次安倍政権のときに、憲法改正国民投票法を制定したりして、改憲手続の発動をクリアーできる条件を整備しています。

②現行憲法は古くなったからというが、そうした理由で憲法を改正する必要があるのでしょうか。

改憲への動きは今に始まったわけではなく、安倍晋三首相の祖父岸信介は第二次大戦の終戦からわずか10年ほどのちの首相在任中(1957~1960年)に、すでに改憲を口にしていました。岸信介は若い時代に国粋主義に傾倒し、第二次大戦は日本の生存のための戦いでやむを得なかったという立場をとっており、終戦後は日本独自の憲法を作ってこそ、真の意味で日本が独立したことになると主張して、改憲を唱えていました。これが孫の安倍晋三首相の悲願として続いているようです。しかし一国の憲法はそうした個人の思い入れによって変えてよいものではなく、国民のためにどうしても必要だという公的な理由がなければなりません。それがあるのかどうかが、疑問視されています。

現行憲法はこれまでに、随時、国民のために必要な権利とあれば解釈によって新しい権利を生みだし、必要な法律を補うことによって時代の要請に応えてきました。現行の日本国憲法は、13条などを根拠にして、それができるようによく考えられています。現行憲法は、その枠内で、真に必要な権利保障は国民の声によって生みだしていくことができる、この構造を維持することが大切です。今後もこれからもそうした性格を持つ憲法自体が「古くなった」という理由は通用しないはずです。一つ一つ点検していくと現行憲法が「古い」という理由はないため、「時代に合わなくなった」ということを理由に、現政権が憲法を根本的に変えようとしていることが明らかになります

憲法改正とはどんなことでしょうか。

現行憲法が古くなったから代える必要があるという主張は、車や家電が古くなったからモデルチェンジしましょうという考え方を憲法に当てはめているような感じがします。憲法とは、権力を担当する人に対して、憲法の定めていることを憲法の定めている方法で国民のための政治を行うように命じているものです。人類が近代・現代・現在と歩みを進める中で、人権保障を確実なものにするためにするために、憲法を作ってきました。このような憲法の基本のコンセプト(=立憲主義)は、時代や国を越えて普遍的なものとして維持・発展させていくべきものです。ですから、時代に合わせて憲法を変える場合にもこの基本コンセプトから外れるものであってはなりません。現行憲法である日本国憲法はこのような近代立憲主義の基本線に立ち、性差別の禁止・人間らしい生活の実現・平和の確保といった21世紀の現代的課題にも取り組んでいる現代憲法です。古くなってしまった時代遅れの憲法ではなく、現代の課題にも取り組んでその解決を模索している憲法です。

④この憲法のもとで戦後70年もの間、平和が続きました。ここで憲法改正をするということ自体に不安を感じるという市民、危険だと指摘する有識者が大勢います。それはなぜでしょうか。

現在示されている改憲草案の内容や、各種委員会・調査会などの記録にある数々の発言から、この改憲草案は大日本帝国憲法(明治憲法)のような憲法への逆戻りを目指していることがわかるからです。

現行憲法には大きな柱があります。「日本国憲法の三原則」、つまりa.人権尊重主義 b.平和主義 c.国民主権主義 の3つです。

これらが改憲によって失われるかもしれないという危機感を肌で感じる市民が多く、専門家の間でも、現在示されている改憲草案では現行憲法の三原則が崩れてしまい、近代憲法・近代国家の体をなさなくなる、との指摘が多いのです。

その不安感・危機感については、現政権に重大な責任があります。

これまでの「TPP交渉」や「集団的自衛権」をめぐる議論、「安保法」の決定といった一連の政権の動きをみると、当初国民に約束したこととは異なる方向へ進んでいるのが明らかです。こうしたことから、現政権が「立憲主義」――国家は国民との関係を守るために、憲法を守り憲法を踏み外さない、というルール)を守っていくかどうか、不安に感じる(安心できない)という市民は多くなっています。安倍政権は「平和主義を守り、戦争をする国にはしない」と言っていますが、その言葉を信じられないと感じる人が増えているのです。

⑤現行憲法は戦後すぐにできたもので、現在は世界情勢も変わっているから通用しないというが、どこが問題なのでしょうか。

巷で改憲理由の一番に挙げられるのが憲法9条です。中国や韓国が日本の領域を侵犯している、あるいは北朝鮮がミサイル発射を繰り返すというふうに、日本の周辺諸国が不穏な動きをしています。そのため、「交戦権の否認と戦力の不保持」をうたった9条2項を変えることによって解決したいというのが政権の意図です。いつでも戦争の用意をしておきたいというのが本音でしょう。こうした外交問題は高度な外交交渉によって解決するべきもので、軍事力を解決の手段とすべきではありません。とくに国際協調を守ろうとしない国は、なるべく多くの国で結束して協調を強く促すしかありません。ここで国民の恐怖心を煽って軍隊保持を容認するような憲法改正を行なえば、敵対モードへの舵きりに見えますから、かえって相手国を刺激し、解決が遠のきます。これまで軍事力で解決された紛争があったでしょうか。世界情勢も変わったので憲法も時代に合わせて変えようという大ざっぱな議論は実益がなく危険です。原発と国民が負うリスク、沖縄基地問題、産業界の利益と国民の生存権とのバランス、などなど、現行憲法下で先に議論すべき事柄が山積しているのに、国民の意識をその議論から逸らすことになるからです。

(→第2章2.2.「軍隊について」の各項目を参照してください。)

⑥安倍首相はどのような内容の憲法に変えたいと思っているのでしょうか。

安倍倍首相は、どういう内容で国民に憲法改正を訴えたいのかという肝心の問題を隠したまま、とにかく憲法改正をしたいと訴えています。自民党が野党のときの2012年4月に公表した「日本国憲法改正草案」をぜひ検討してみてください。これが改憲を求めている人々の本音です。

そこには、「天皇を戴く国家」と国民主権の形骸化、国防軍や軍事審判所の設置など「戦争する軍事大国」をめざす9条改憲、天賦人権条項の削除、「公益及び公の秩序」による人権制限、国民の義務・責務の大幅な導入など、普遍的な立憲主義とは相容れない驚くべき内容が提案されています。

しかしながら、このような本音を正面からは訴えず、緊急事態条項の新設、財政健全化条項の導入などを突破口にして、参議院選挙後に改憲問題を発動しようとしているのです。

本丸は隠しておいて、人々が賛成しそうな内容を手始めにして、とにかく改憲に着手する。その後に9条改憲という正面突破をはかるという二段階の戦略がとられています。

⑦憲法9条が問題になっているが、そもそもどんな条項でしょうか。

憲法9条は、「戦争放棄」をうたった条項です。

この9条ではいざというとき自国を守れないとして、これを変えて自衛隊を国防軍にしようという意見があります。しかし、現行憲法の下でも自国民の生命を守るため必要やむを得ない場合には自衛権を行使できる(個別的自衛権)というのがこれまで通用してきた理解です。これに加えて外国の戦争への加担を可能にする改正が必要でしょうか。

自民党の改憲草案は、自衛隊を国防軍にし、平和的生存権を憲法から削除して国防を国民の責務にしようというものです。しかし、これこそ日本国が「やってはいけない」と反省してきたことの中心なのです。

軍隊による国防は犠牲者を生み出すばかりで、本当の意味で国民を守ることにはなりません。本土決戦のために捨て駒にされた沖縄の人々の例を検証してみれば、それが如実にわかりますし、現在でも米軍関係者によって民間人犠牲者が出たとき、公正な扱いはされていませんね。人間が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利は、軍隊によって守ることはできないのです。憲法9条をこのように変えることは、私たちの暮らしと社会を、いつでも軍事的公共性に従属するものへと変換できることを意味します。そうした国策を封じる9条が、戦後の日本の自由と権利保障の基礎となっていたことを、あらためて認識する必要があります。

⑧「平和的生存権」について説明してください。

日本国憲法の前文のなかに、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定があります。これが「平和的生存権」です。

その起源は、「欠乏からの自由、恐怖からの自由」を含むルーズヴェルトの「四つの自由」宣言(1941年)と、それを受け継いだ大西洋憲章(1941年8月)です。これが第二次大戦後の国際連合憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも受け継がれ、日本国憲法前文の「平和的生存権」もその流れに沿っています。

人類の知性は、数々の悲惨な経験を通して、戦争はあらゆる人権侵害を引き起こすこと・平和はあらゆる人権保障の土台になることを学び、その意味で「平和」がもっとも重要な「人権」であるという考え方に到達しました。個々の人間の生命や人権が、国家よりも上にあるのだ、という思想が、その核心にあります。「恐怖と欠乏のない世界」を「法の支配」によって実現することが国際人権の考え方ですが、日本国憲法の「平和的生存権」は、こうした世界の努力と連携しながら、その国内的保障の徹底を目指したものです。

現在、多くの憲法研究者によって、平和的生存権の権利の中身を明確にする努力がなされており、裁判所の判決の中には、平和的生存権の具体的権利性を認めたものもあります(自衛隊イラク派兵差止等請求事件・名古屋高裁2008年4月17日判決。ここでは、「憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権…の表れとして、裁判所に対し…救済を求めることができる場合がある」と述べられています)。

平和的生存権を「人権」として明文化したことの意味は、平和の問題を政府・政策にまかせてしまうのではなく、国民一人一人に確実に保障されるべき権利の問題として考えていく、というところにあります。

現在、国連人権理事会では、「平和への権利」を国連総会で宣言として採択しようという大きな取り組みがあり、その実現には、上のような日本国憲法の平和的生存権の考え方が決定的な意味を持っています※。

※参考:平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会(編)『いまこそ知りたい 平和への権利 48のQ&A』合同出版、2014年を参照ください。

⑨ 憲法改正をするとしても、中国や北朝鮮などの周辺国、あるいはISなど、他国からの脅威が大きくなっているので、9条だけを変えればよいのではないでしょうか。

9条の内容は国家の根幹にかかわっていますから、最近の国際情勢を理由に9条を変えれば、それだけで国家と憲法の全体が変わってきてしまいます。

「戦争は放棄する、戦力となる軍備を持ってはならない、他国との戦争を行う権限も認めない」という9条があるため、自衛隊はあくまでも自国の「専守防衛」のための組織として位置づけられ、海外での戦闘活動は認められてきませんでした。1992年にPKO協力法が成立した後も、日本は自衛隊員を戦闘に関与させることはせず人道支援のみとし、多額の費用負担を引き受けてきました。このルールが2015年に変えられてしまいました。

現在、アメリカは、国内での兵士志願者の数が減少しているため、日本に兵力の補填を要求しています。日本国内にも「アメリカが戦っているのに、手をこまねいて見ているのは卑怯だ」といった意見もあります。しかし、自国・他国の国民に犠牲を出す「戦争」は、血気盛んな青年同士の喧嘩とは次元の異なるもので、素朴な正義感だけで参戦することは事態を悪化させます。近年の世界の紛争で、武力によって解決した例はありません。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン紛争など、大国の軍事介入を受けた国々では、今もなお紛争が続いています。世界平和を守るにはさまざまな手段があります。日本には日本の貢献の仕方がある、ということを世界に納得してもらうよう努力を続けることのほうが重要です。

⑩アベノミクスによって経済が好転したという見方があります。この政権の経済政策と改憲案とは別問題だと思いますが、関係があるのでしょうか。

アベノミクスによって本当に経済が好転したのでしょうか。世界で一番企業が活躍できる国にしたいという現政権のスローガンは、本当の豊かさや人間の幸福を実現しようという考えではありません。

自民党の「日本国憲法改正草案」(改憲草案)では、精神的自由を現行憲法以上に厳しく制限して、経済的自由については現行憲法以上にゆるやかに認めようとしています。改憲草案の前文には、「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」という一文があります。国家の役割を最小にし、経済競争の自由だけを最大限に認める、新自由主義的な経済成長原理主義を国是にしようとしています。

現政権は、生存競争で疲れてぼろぼろになった国民に、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、…和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」(同上前文の一節)という幻想を振りまいています。

企業だけを豊かにし、国民一人一人の生活保障には知らん顔という、現政権の経済政策と改憲案は、一つに結びついているのです。

⑪憲法改正するとしたら、国民一人一人の意見が反映するのでしょうか。

第一次安倍政権の時に作られた憲法改正国民投票法は、大変曖昧でわかりにくいものです。たとえば、憲法改正を発議するに当たって、①個別投票を明記していないため、個別の項目ごとに区分して投票する(区分の仕方が明記されていない)、②国会の発議後、2~6ヶ月という短期間で投票が行われる ③国民投票運動の規制があるため、自由に発言し、考えることがむずかしい、④最低投票率の厳密な規定がなく、棄権者が多くなるほど、少数者の意思で決定される、⑤「国民の過半数の賛成」とは、国民投票が行われる時点での有権者総数の過半数でもなく、国民投票に投票した選挙人総数の過半数でもなく、反対票と賛成票を合計した有効投票総数の過半数によって決まる、といった制度的な問題に加えて、投票期日前2週間まで有料広告が野放にされることが許されるために、財力のある改憲賛成派の賛成キャンペーンの洪水が予想されるといった、数多くの問題点があります。

つまり、国民一人一人がじっくり考え、判断するという制度設計になっていないのです。憲法改正は国民が最終的に判断を下すものなのに、このような国民投票の制度には大きな問題があります。

⑫万一、憲法が改正されたら、国民の生活はどのように変わるのでしょうか。

万一、2016年7月に行われる予定の参院選で与党が勝利した場合、改憲が具体的になる可能性はあります。ただし、一気に進むのではなく自民党が言っているように「お試し改憲」が行われるかもしれません。まず、改憲のために必要な手続きを規定した96条を改正し、次に「緊急事態条項」を創設すると思われます。これは、東日本大震災クラスの大災害が起こった場合、一時的に首相にすべての権限を集中させるというものです。予想される「東南海大地震」が起こらない限り、すぐに発動されることはないかもしれませんが、それを機に、次々と条項が改変される可能性があります。

しかし、それ以前に、多くの国民が気づかないうちにすでにかなりの条項が政権の意図通りに変わってきています。たとえば「夫婦同姓を合憲」とした最高裁判決。これこそ今の時代に逆行するような判決ですが、家族制度の復活を目指し男女共同参画を壊そうとする「自民党改憲草案」の主旨と合致しています。そのほか、学校行事での国歌斉唱を義務付けた教育委会の通達や政府見解を書かせる教科書検定制度など、大きな世論の反対が起こる前に変わってしまったものも多くあります。

⑬現行の法整備だけで済むというのに、わざわざ憲法を改正する理由は何でしょうか。

憲法が非常事態(国家緊急権)を規定しない理由について、1946年に金森国務大臣は四つの理由を挙げていました。

第一は、民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、政府の一存で行う措置は極力これを防止しなければならない。

第二は、「非常」を口実にして政府の自由な判断を大幅に残しておくと、どんな精緻な憲法でも破壊されてしまう可能性がある。

第三は、特別の必要が起これば、臨時国会を召集し、衆議院が解散中であれば参議院の緊急集会を召集して対応できる。

第四に、特殊な事態には、平素から法令等の制定によって濫用されない形で完備ができる。

このような憲法の考え方を受けて、災害対策基本法などの法律が整備されてきました。にもかかわらず、東日本大震災からの復旧・復興がはかどってこなかったのは、政府が、被災地住民のことを真剣に考えて、復旧・復興を一番大切な任務としてこなかったからです。法の適正な運用も十分でなく、法律のもとでの対策も後手・後手に回りました。

国家緊急権は「人権を守るための制度」ではなく、「国家を守るために」人権を制限し、人権を犠牲にする制度です。非常事態条項(国家緊急権)から改憲に取り組もうというのは、9条改正を最初に提起すれば国民の反発を呼ぶことは必至であるために、賛成を得られそうなものから改憲に着手するという戦略によるものです。執行権の独裁を狙う「震災便乗型」の改憲論は要注意です。

⑭日米同盟は現行憲法の枠内でのみ有効でしょうか。

残念ながら、日米同盟に関わるさまざまな条約や密約が現行憲法を超えているという実態があります。

一般市民には隠されたまま、現行憲法に掲げられた3つの大原則、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義がさまざまな日米間の条約、密約の中で崩されていった事実が、アメリカの公文書公開などによりだんだん明らかになってきました。その最たるものが、1951年に下された最高裁における砂川判決で、これにより日米安保条約のような、高度の政治性を有する問題については、憲法判断をしない、ということになりました。しかも、その裁判は、アメリカ政府が日本政府および最高裁判官に向けた政治工作、つまり、内部干渉をした結果の判決です。日本には、表向きの憲法体系とは別に、一般市民には隠された日米安保法体系があり、日米安保体系が憲法体系を超えるという現状があるのです。いわゆる対米従属の歴史を市民それぞれが本気で議論する時期を迎えているのではないでしょうか。自民党の改憲案では、その議論の場も失われ、集団的自衛権により対米従属がますます進むでしょう。

⑮改憲すると日米同盟はどう変わるのでしょうか。

世界的戦略の中で日米同盟を考えるというアメリカの基本的姿勢は変わらないと思います。

自民党の改憲案は、一方では天皇を戴く国家、つまり、大日本帝国憲法下のような強い日本を夢見ているようです。他方、安倍首相は集団的自衛権の行使容認で軍事的に日米同盟を強化しようとしています。そうした安倍首相の思いとは別に、アメリカにもさまざまな考えの人がいます。アメリカは日本を守ってくれると信じている日本人が多いかもしれませんが、尖閣諸島の領有権についてなど、アメリカは中立を守りたい、日本がする戦争に巻き込まれたくないと考えている人も多いようです。新しい「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」では、米軍の日本防衛への関与がこれまでより後退していることが原文の英語から読み取れるそうですが、外務省の翻訳ではそれに気づかせないような日本語になっているそうです。アメリカは世界的戦略の中で自国の国益を考えて動くので、改憲で軍国主義的な動きを見せると、アメリカは中国と接近して、日本の孤立化が進められるということになるかもしれません。米軍が日本に駐留するのは日本の軍国化を防ぐためだという「瓶のふた(=日米安保条約)論」がアメリカにはあります

⑯現時点でアメリカは日本の改憲、とりわけ「9条改正」を肯定的にみているのでしょうか、あるいは否定的でしょうか。

これもアメリカの国益との兼ね合いから見る必要があると思います。基本的に、超大国アメリカはそのときどきの世界の情勢を戦略的に見て「国益」に鑑みて行動するのですから、アメリカにとっての9条の意味もその都度、変わってくるでしょう。アメリカがまだどこかで戦争をすることになれば、自衛隊の協力を必要とするため、その際は、9条が取り払われて再軍備化することに賛成するでしょう。しかし、日本が軍備の強大化を狙えば、アメリカにはそれを抑える動きが出てくるでしょう。

⑰自民党は、国会議員の3分の2以上の賛成が憲法改正の発議に必要だと規定している憲法96条の改正を提案しています。この規定は、他の国に比べて厳しすぎるのでしょうか。

憲法96条とは、改憲のための手続を述べた条項で、衆参両院の総議員の3分の2以上で憲法の改正を国民に提案し、国民投票によって過半数の賛成を得ることを条件としている。つまり憲法改正のためには次の二重のハードルを乗り越える必要があるわけです。

衆参両院のそれぞれの議員「3分の2」以上の賛成というハードル

国民投票での過半数獲得というハードル

改憲派はこの条件が世界的にも厳しすぎると主張していますが、必ずしもそうとは言えません。しかし改憲を実現させた国の多くは、大統領の選出方法や連邦制の在り方などの条項を改正していますが、改憲案を国会で通過させるための条項を改正しようとする国は日本だけです。ドイツは日本と同様、敗戦国でありながら、改憲を59回も行って軍隊を保持したということで、日本も見倣うべきだとする意見もあります。しかし、ドイツはナチスの惨禍を二度と繰り返さないという強い決意で、徹底した謝罪と戦後保障も行い、民主教育を制度的に取り入れています。

万一、96条が改正された場合、安倍政権は国民の大半の合意を得たとして、それを機に改憲へと進むと思われます。

(Media Watch Japan より。

http://mediawatchjapan.com/%E6%86%B2%E6%B3%9596%E6%9D%A1%E6%94%B9%E6%AD%A3-%E8%AB%96%E7%82%B9%E6%95%B4%E7%90%86/

⑱ 自民党は「お試し改憲」という言葉を使っています。たとえば96条を改正したあと、順次改めて全体を変えるのでしょうか。

安倍政権は手始めに先に述べた憲法96条を改正するつもりで、これが通れば緊急事態条項(後述の緊急事態条項を参照)を創設する意図をもっています。しかし、これがいったん承認されて発動されると大変なことになります。大災害を口実に首相に全権を委任すると、後は首相の思いのままに国の形が作り変えられる恐れがあります。というのは、かつて麻生副総理は、改憲の手法について「ナチスの手口をまねたらどうか」と発言しました。最も民主的といわれたワイマール憲法が、ナチスによる緊急事態条項の発動を皮切りとして、巧妙な手口でいつのまにかヒトラーに批判的な人々を排除し、ヒトラーの独裁を許した手法を真似よと述べているのです。こうした意図が裏にあることが政権の公約に隠れているため、国民は警戒しなければならないのです。

⑲安保法案の際にもすでに解釈改憲ということで成立させました。これが認められるのなら、今の憲法を変える必要はないのではないでしょうか。

安保関連法は、2014年7月の集団的自衛権行使に関する内閣の憲法解釈の変更と2015年4月の日米新ガイドラインの改定を受けて強行採決されました。憲法解釈の変更によって憲法の規範的意味をまったく変えてしまい、憲法改正が行われたのと同様な結果をもたらした違憲の法律が制定されました。多くの市民によって厳しく批判され、廃止を求める世論が継続しています。ではなぜいま、解釈改憲にとどまらず、明文改憲が求められているのでしょうか。その理由は三つあります。

第一は、自衛隊を米軍と行動させるところまでは、解釈改憲で可能であっても、いざ日本が戦争に参加するとなれば、日本国憲法の全体系がそれに立ちはだかるからです。

第二は、安倍政権が望んでいる軍事大国としての完成には、非常事態規定をはじめとした憲法の全面的改変が不可避だからです。

第三は、政府がすすめている解釈改憲に対する強い異論の下では、集団的自衛権行使をはじめとして、当初政府が想定していた憲法の全面改変ができなくなりつつあり、再び解釈改憲の限界に悩まされるからです。

ですから、安部政権は、アメリカや財界が必ずしも望んでいない明文改憲に突き進もうとしているのです。

⑳かなりの数の地方議会が「国会に憲法改正の早期実現を求める」意見書を提出しています。十分に議論が尽くされた上でのことでしょうか。

安倍政権の背後には右翼的な「日本会議」という組織の存在があります。1997年の結成以降、改憲運動を進めてきて、2014年には改憲を目的とする「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を組織しています。この「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が世論喚起を目指して、国会議員や地方議会に猛烈に働きかけた結果、「憲法改正の早期実現を求める」地方議会決議は2016年2月には33都府県に拡散しています。多くの地方議会では、全会一致の意見書採択という慣例を無視して、自民党が数にものをいわせて強引に採択しています。

意見書は、地方議会は公益に関する事件につき意見書を提出することができるという地方自治法99条を根拠にして、衆参の両院議長あてに、「両院の憲法審査会において憲法改正案を早期に作成し、次期国政選挙までに国民投票を実現すること」を要請するというほぼ同一内容になっています。改憲案の発議をせよと両議院に発破をかけるだけの内容の意見書は、各自治体の「公益に関する事件」についての真摯な意見とはとうてい思われません。

改憲世論の高揚と拡大戦略の一環として、地方議会という場所が政治的に悪用されており、地域住民の厳重な監視が必要です。

㉑ 「日本会議」とはどんな団体でしょうか。

日本会議は、宗教団体を支持基盤として1997年に結成された右翼勢力の一大国民運動団体で、現在、全国で38,000名の会員を擁します。モットーは、①皇室や伝統文化の尊重、②歴史的に形成された国柄を反映した新憲法の制定、③真正保守政治の実現、④歴史教育と道徳教育を通じた、国を愛する青少年の育成、⑤国際社会に通用する安全保障政策の確立、などです。具体的な活動として、大日本帝国憲法(明治憲法)下のような天皇中心の社会を「美しく、勁(つよ)い国」とよび、その実現のために、右翼翼賛運動の草の根からのネットワーク作りに、全力で取り組んでいます。

現安倍政権の閣僚の四分の三がこの会に所属しているほか、国会議員や地方議員だけでなく裁判官やメディアとも連携してその影響力を広げており、歴史修正主義に基づく教科書選択、男女共同参画運動へのバッシングや女性天皇誕生の阻止、閣僚の靖国神社参拝の後押し、教育基本法の改変など、じわじわと政府の政策変換に影響を与えており、その思想が国民生活へ浸透しつつあります。

日本会議は改憲賛同者1000万人への拡大を目指し、国会議員や地方議会への働きかけを行って、改憲の世論喚起をめざしています。「自民党改憲草案」には上記のモットーが反映されているからでしょう。自民党改憲案の裏にはこのような、大日本帝国憲法下の日本の復活を目指し、戦後日本の民主的な歩みを無視する動きがあるのです。

第2章 現行憲法について一般に流布している言説+自民党「漫画政策パンフレット」で説明されていることに関する質問集

目次

2.1. 現行憲法の成立過程と改憲について

①現行憲法は、終戦直後にアメリカの憲法専門家でない人が、「日本を無力化する」ために作り、日本に押し付けたものだというのは本当ですか。

②漫画(p.11) に,前文が翻訳口調であることが憲法そのものの問題点であるかのように書いてあります。条文の文体と憲法の中身に関連がありますか。

③漫画(p.21)には、「“敗戦国”日本のままってことなのか」とありますが,占領下で公布された憲法があると「“敗戦国”」になるのですか。

④漫画(p.9)には、「ケータイもネットもなかった時代の憲法」だと「今の社会についてこられない」というようなことが書いてありますが,本当にそうですか。

⑤日本人が自身の手で作ったものではないため、日本人の意見が反映しておらず、日本人の精神が生かされていないという意見がありますが、本当ですか。

2.2.現行憲法の内容について

(1)軍隊について

①日本のように経済的に自立した独立国家は、普通は軍隊を持っています。日本が軍隊を持っていないのはおかしいのではないでしょうか。

②軍隊を持たないという決断は、外国から押し付けられたものではないのでしょうか。

③最近、日本を取り囲む国々(中国、韓国、北朝鮮など)の軍事的な動きに不安を感じます。現行憲法ではそれらの国が軍事行動を起こしてきたときに立ち向かえないのではないでしょうか。

④最近、世界的にみるとISなどの武装集団の脅威が増大しています。現行憲法ではそれらの国を抑え込もうという国際社会の合意に沿う協力ができないのではないでしょうか。

⑤永世中立をうたうスイスも軍隊を持っており、徴兵制があります。日本も検討すべきではないでしょうか?

⑥今の国際環境では「戦争の放棄」は現実的ではないとも思われます。「戦争に加担しないことにすれば平和は守れる」と考えることはできないのではないでしょうか。

⑦国防軍を持つことは戦争をしようという意味ではありません。自ら戦争はしないが、「抑止力」としての軍事力は持つべきではないでしょうか。

⑧万一の場合(有事の場合)に誰が対処にあたるのでしょうか。自衛隊員以外の一般国民が徴兵されることはないのでしょうか。

⑨日本の現行憲法9条には、国を守る「自衛権」とそれを行使する軍隊を管理する規定がありません。これは憲法の「不備」と考えるべきでしょうか。

⑩多くの国では軍隊について「文民統制」があることが書かれているが、日本の現行憲法ではどうなっているのでしょうか。

⑪日本に求められている国際貢献を考えると、自衛隊の活動範囲を世界に広げるために、憲法の解釈を大きく変えるか、憲法改正を考える必要があるのではないでしょうか。

⑫日米同盟の恩恵を受けている限り、日本も米軍の力にならなければ義理を欠くのではないでしょうか。

⑬現在は日米同盟によって、日本は守られているが、たとえばトランプ氏が大統領になったら日本を守ってくれないので、日本は独自の軍隊を持つべきだと思うのですが。

⑭もしどこかの国が攻めてきたら、現行憲法では「自衛権の行使」を認めているのでやむをえず戦うことになります。しかし憲法9条は「戦力の放棄」をうたっているので、自衛隊は「戦力」ではなく自衛のための「実力」だという解釈で今まで来ています。これは苦しい解釈ではないでしょうか。

(2)緊急事態条項について

① 解釈を変更して成立させた安保法は、外国からの攻撃を受けたときの解決にどうしても必要な制度なので、憲法上認められるはずではないでしょうか。もしも現行憲法で認められないならば、憲法改正をしてでも認める必要があるのではないでしょうか。

② 国内で起きる大震災などの大災害に対処するには、憲法に緊急事態条項を設けることが必要ではないでしょうか。

③「緊急事態条項」は他の国の憲法にもあります。日本の憲法にないのはおかしいのではないでしょうか。

④大きな自然災害などが生じた場合のことを考えて,いわゆる緊急事態条項を加えるために改憲を行う必要があると説明されることがありますが,そのような目的での改憲は必要なのですか。

(3)天皇と愛国心について

①日本が「立憲君主国」なら、天皇を元首としてもよいでしょうし、日本に元首がいないのはおかしいと思いますがどうでしょうか。

②日本には国歌や国旗を明確に定めた規定がない。国歌斉唱をしないのは愛国心の欠如ではないでしょうか。

③統計によれば、「日本人には他国に比べ自国に対する誇りが少ない」そうです。これは自虐史観に基づいた戦後教育のせいではありませんか。

(4)国民の権利および義務について

①漫画(p.59)では,現行憲法では「男女平等が謳われ女性の地位は向上したが、個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」とありますが,家族の絆とか地域の連帯が希薄になったのは本当に「個人の自由が強調されすぎ」たからですか。また仮に「個人の自由が強調されすぎ」たとしたら,それは現行憲法に原因があるのですか。

②漫画(p.12)に,今の憲法で「プライバシーもストーカーも環境問題も」考えることができないと書いてありますが,本当ですか。

③現行憲法について,漫画のp.28では「公共に反してなきゃ個人の幸福を追求するためなら何でもやっていいってこと?」、p.31では 「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと!?」と書いていますが,本当ですか。

④漫画(p.29) に「どんなに危険な結社や宗教団体でも簡単に解散させられないんだ」とありますが,そういう危険な結社や団体を規制するために憲法を変える必要があるのですか。

⑤現行憲法は個人主義的と言えるのではないでしょうか。

第2章 現行憲法について一般に流布している言説+自民党「漫画政策パンフレット」で説明されていることに関する質問集

最近の世界の動きをみて、今の憲法のここを変えたらいいのではないかと思っている人や、与党のいう改憲を少し考え始めた人もいることでしょう。しかし、来たる7月の参院選で、与党は改憲問題を争点には挙げてはいません。ですが、万一、与党や改憲勢力が勝利した場合、改憲の方向へ向かうことは確かです。これまでにも選挙で多数を占めるたびに、選挙前の公約には表に出さなかった特定秘密保護法や安保法制などを強行採決していることを思い出してください。そして、改憲への動きが進むとすれば、おそらく新しい憲法は自民党が2012年に発表した「自民党改憲草案」に近いものになると思われます。

https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

またこれをわかりやすい漫画の形にしたものが、「漫画政策パンフレット」です。(http://constitution.jimin.jp/pamphlet/)。これらはあまり知られてはいないようですが、内容を見るとさまざまな思いを抱かれることと思います。

そこで第2章では、現行憲法について一般に言われていること、および自民党「漫画政策パンフレット」で描かれていることが本当にそうなのか、自民党は一体何をめざしているのかを検証します。「自民党改憲草案」の問題点については第3章で詳しく解説します。

2.1. 現行憲法の成立過程と改憲について

①現行憲法は、終戦直後にアメリカの憲法専門家でない人が、「日本を無力化する」ために作り、日本に押し付けたものだというのは本当ですか。

確かに、国民主権憲法の草案を構想できず、明治憲法と代わり映えのない案しか作れなかった日本政府に対して、GHQ「案」が「押しつけ」られました。しかし、国民・世論はGHQ 案を元に作られた「憲法改正草案要綱」を歓迎します。このように、現行憲法は,国民・世論の力がなければ生まれなかったのであり、国民・世論の意思に反して「押しつけられた」ものではありません。GHQ 案は起草過程で鈴木安蔵らの「憲法研究会」案を参照しています。その案には、自由民権期の私擬憲法草案、フランス人権草案やアメリカ独立宣言における近代憲法原理が影響を与えています。日本国憲法は、自由と平等を求めて憲法を制定するという人類の普遍的歩みのもとに制定されたと考えることができます。

②漫画(p.11) に,前文が翻訳口調であることが憲法そのものの問題点であるかのように書いてあります。条文の文体と憲法の中身に関連がありますか。

ありません。その文が複数の意味にとれる曖昧なものであれば、解釈する際に意見が分かれるおそれがありますので,法律として問題になりますが、翻訳調であっても文語調であっても口語調であっても、それ自体は法律の内容の問題点にはなりません。もし前文が翻訳口調で読みづらいなら、読んだ人が自分の中で文体をかえて読めばよいだけです。さらにいうと、このような「本質的ではないこと」や「関係のないこと」をあたかも「大きな欠点であるかのように」取り上げ、それを根拠にして改憲の必要性を主張する言説は世論を誘導していると言われても仕方がないでしょう。主張と根拠が示されている時、私たちはそこに因果関係があるのかどうかをしっかりと見極める必要があります。

③漫画(p.21)には、「“敗戦国”日本のままってことなのか」とありますが、占領下で公布された憲法があると「“敗戦国”」になるのですか。

なりません。さらにいえば、いわゆる自民党改憲草案や自主憲法を制定したとしても、歴史的に敗戦国は敗戦国です。憲法を変えても、過去の歴史を書き換えたり修正したりすることは絶対にできません。では、この漫画の中の登場人物が言う「敗戦国」が歴史的なものではなく、精神的なものだとしたらどうでしょうか。それでも答えは「(敗戦国には)なりません」です。それはたとえ占領下で交付されたとは言え、また草稿段階でアメリカ側の関与があったとはいえ、国会で承認され交付されたという歴史的事実があるからです。アメリカが公布したわけではありません。もはや、現代を生きる多くの人にとって日本は精神的には敗戦国ではないでしょう。漫画にあるように、現行憲法が「敗戦した日本にGHQが与えた憲法」で、その憲法がある以上、「いつまで経っても日本は敗戦国」であるから改憲をするということは、その漫画で使われていることばで言えば、「国の形」を「自己否定」的な感情や一種の屈辱感で変えることになります。占領時のものが今も存在し使われているから自分たちが敗戦国のままだという主張は、それこそ自虐的で屈折していると言えるのではないでしょうか。

④漫画(p.9)には、「ケータイもネットもなかった時代の憲法」だと「今の社会についてこられない」というようなことが書いてありますが,本当にそうですか。

違います。「ケータイもネットもなかった時代」という表現で古くて時代遅れということをイメージされていますが、古いことイコール常に「今の社会についてこられない」ということにはなりません。では、憲法がついていけない問題が今の社会にあるかですが、環境権やプライバシーの問題などは、当時はそういう概念も希薄だったため現行憲法でカバーできないと言われることがあります。しかし、憲法は何から何までを具体的に規定し全ての事象をカバーするものではありません。憲法では基本的な理念を規定し、具体的なことは個別の法律でカバーすればよいのです。そうすると問題は、現行憲法で環境権やプライバシーの問題などをカバーできるのかということです。これは基本的な人権に関わることですから、第3章「国民の権利及び義務」で十分対応できます。個別法で対処すればよく改憲の必要はありません。なお、「今の社会についてこられない」という漫画の表現は、「ついてくる」という語からわかるように、「社会を前(先)」「憲法を後ろ(後)」に置いている見方です。それによって「憲法が遅れている」「十分ではない」「劣っている」という否定的な印象を持たせる結果となっています。

⑤日本人が自身の手で作ったものではないため、日本人の意見が反映しておらず、日本人の精神が生かされていないという意見がありますが、本当ですか。

戦後、占領軍GHQは、軍による悲惨な戦争を招いた原因とも言える明治憲法を改め、新しい国の体制を作るために新たな憲法を作る必要性を感じていました。そこでGHQは司令官マッカーサーが提示したマッカーサー三原則(天皇制の存続、戦争放棄、封建制度の廃止)をもとに草案を作成しました。つまり、アメリカ人の手によって短期間で作成されたということで、これを安倍政権は大きな改憲理由に挙げています。しかし、実際は戦後すぐ、日本の民間、たとえば「憲法研究会」などからも憲法草案が作成されていました。これは天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであり、GHQの草案にも大きな影響を与えていたのです。GHQ草案が提示されてからは日本側からも細かい検討が加えられて、主権在民、普通選挙制度、文民条項なども明文化され、また、新たに憲法を施行するに際して必要な法律も新たに制定され、刑法、民法などの規定も憲法の内容に合わせて改正されました。そして1947(昭和22)年5月3日、「日本国憲法」が施行され、当時の日本国民はこれを新しい民主国家の礎になるものと歓迎したのです。

2.2.現行憲法の内容について

(1)軍隊について

① 日本のように経済的に自立した独立国家は、普通は軍隊を持っています。日本が軍隊を持っていないのはおかしいのではないでしょうか。

国家はそれぞれ独立国家としての主権を持っており、独自の選択をすることができます。人道に反すること、国益の追求のために他国を侵略することは国際条約で禁止されていますが、そのために軍隊を持たないという決断は、平和主義の方向から見てむしろ自らに厳しい進歩的な方向ですから、「おかしい」ということはありません。むしろ「おかしい」と言われない国、信頼される国であるためには、多数に合わせる「普通」よりも、この国自身がとっている方針を守ること、ブレないことのほうが重要です。

また、日本の防衛費(海外から見れば軍事費)は、NATO方式で計算すると1980年代にはアメリカに次いで世界第2位から3位になっていました。実質的には十分すぎるほど普通の国になってしまっています。

第二次世界大戦前には、軍隊・軍備は国家にとって欠かせないものと考えられてきましたが、現在では世界中に軍隊のない国が多く実在します。リヒテンシュタインのように経済面から軍隊を廃止する現実的選択をした国、バチカンのように宗教的信念から軍備を持たない国、その他、アイスランドやコスタリカやモナコ公国などが、軍隊を持たずにそれぞれの工夫をしています。

②軍隊を持たないという決断は、外国から押し付けられたものではないのでしょうか。

日本は第二次世界大戦を終結させるにあたって、自ら「ポツダム宣言」を受諾しました。その「ポツダム宣言」には、現在でいう「国民主権」や「民主主義」を原理として国家を作り直すこと、平和主義を受け入れること、などの要求が書かれていました。ここで要求されていた平和主義は、「侵略戦争を行わない」という世界共通ルールのことだったと考えられます。これに対して当時の日本政府は、天皇主権を廃棄して国民主権・民主主義に切り替えることに強く反発していたため、その部分についてはポツダム宣言に沿った新憲法を策定するよう、連合国とGHQから強硬に迫られました。これに対して現在の9条のもととなった「戦争と軍備の永久放棄」は、当時、日本側(幣原喜十郎首相)から提案したものであること、この条文の文言を確定する最終段階である小委員会(芦田委員会)で日本の議員たちが強い気概をもってこの条文の仕上げ作業を行っていたことが、記録から明らかになっています。

③最近、日本を取り囲む国々(中国、韓国、北朝鮮など)の軍事的な動きに不安を感じます。現行憲法ではそれらの国が軍事行動を起こしてきたときに立ち向かえないのではないでしょうか。

「立ち向かう」というときの内容が問題です。万が一の有事のときにも、相手国を攻撃して勝利することではなく(これを憲法9条は否定しています)、被害を防ぎ、避難ルートを確保し、紛争の原因を解決することを優先させなければなりません。そのための課題はたくさんあります。まずは第三国の協力も得て、国際社会の目のあるところで、交渉・説得を尽くすことです。軍事攻撃の応酬で立ち向かうことは、事態をエスカレートさせ、本来必要な対処をかえって困難にします。

近隣諸国が軍事実験や演習、基地建設などを行っていることに不安・脅威を感じるとしたら、日本も海上や沖縄・北海道などで日米合同演習を行ってきたことを考えてみましょう。1962年のキューバ危機のさいには沖縄に核弾頭を運び込んでいたことも現在では明らかになっています。これは近隣諸国に不安・脅威を与えてきたことでしょう。このように、軍備・軍事力というものは、自国は「問題なし」、他国は「脅威」に見えるものなので、均衡を保つことは難しく、常に軍拡競争の方向へ向かってしまいます。「立ち向かう」ことより、その発想によって周辺国を刺激し軍拡競争を自ら招くことの危険性を考えるべきです。

④最近、世界的にみるとISなどの武装集団の脅威が増大しています。現行憲法ではそれらの国を抑え込もうという国際社会の合意に沿う協力ができないのではないでしょうか。

国際社会では武力紛争が絶えずどこかで起きています。これを解決するための非軍事的な協力の仕方はたくさんあります。現在、この協力の多くは政府よりもNGO団体が担っています。軍事攻撃で立ち向かうことは、事態をエスカレートさせ、本来必要な対処(避難民の支援や受け入れ、外交努力、NGOの活動)をかえって困難にします。

日本国憲法9条1項は、紛争を解決するための手段としては戦争を永久に放棄すると言っています。日本自身が攻撃を受けた時の自衛についてどのような対処が許されるかは別に議論をしなければなりませんが、少なくとも世界の紛争の問題については、武力行使や実質的な武力行使(武力行使との一体化)によって解決しようとすることは憲法9条違反になります。第二次イラク戦争の自衛隊派遣はこの意味で憲法違反の部分を含むものでした。

2015年の安保法制では、弾薬提供を含む後方支援や、武器使用を前提とした治安維持活動や武器庫防護、駆け付け警護など、武力行使との一体化を必然的に招く行動が含まれています。日本政府はこのことを国際社会に十分に説明して理解を求め、上に見たような別の協力の仕方について協議していくべきです。

⑤永世中立をうたうスイスも軍隊を持っており、徴兵制があります。日本も検討すべきではないでしょうか?

特定国との軍事同盟関係にあり、その軍事力の「傘」の中にいる日本は、まずは「中立」とは言えない立場にあり、そこから検討しなければならないでしょう。しかしそれでも日本は、武力を行使しない・戦争には加担しないという意味で、軍事的には中立的な国として、国際社会から信頼を得てきました。だからこそ、他国から軍事的敵対視を受けることなく、平和を維持できたと言えます。憲法前文の「信頼」という言葉は、この意味で決定的に重要なものです。

日本は今、この信頼を失おうとしています。まずは2015年制定の安保関連法を廃止し、上記の地点まで状況を引き戻すことが必要です。そこから先、日本の安全保障はどうあるべきかは、国民が、情報遮断や誘導などを受けない真に民主主義的な環境で議論する必要があるでしょう。ただし現行憲法の下では、スイスのような国民皆兵制をとること、その前提として全家庭が銃火器(軍事装備品)を持つことはできません。憲法改正によってこの歯止めを取り払う道については、国家の究極の選択となりますから、「決まったことに従う」という気分で安心せず、その選択の怖さについて主権者が真剣に議論すべきです。おそらくこの道はどう工夫しても、諸国民の平和的生存を目指した日本国憲法の根本原理と相いれないものになるでしょう。

⑥ 今の国際環境では「戦争の放棄」は現実的ではないとも思われます。「戦争に加担しないことにすれば平和は守れる」と考えることはできないのではないでしょうか。

今の国際環境では、「軍事力を持てば平和は守れる」と考えることのほうが、現実的ではなく、楽観的すぎます。今は、世界中が利害関係の連鎖でつながっています。局地戦に見える戦争でも、双方が「勝つまでやめない」状況になると、同盟関係にある多国が軍事支援をしますから、戦争はエスカレートします。その中で一国が強い軍隊を持ったからといって解決できるものではないのです。仮にその中で勝ってしまったら、その時には莫大な被害を自国にも近隣諸国にも生じさせ、「平和を守る」目的とは正反対の状況を生じさせているでしょう。第一次・第二次世界大戦がこの経緯で「世界大戦」となったこと、朝鮮戦争・ベトナム戦争の背景に「冷戦」があったことを思い起こしてください。また第二次イラク戦争終結後、この地域に流入した武器が、その後の民族紛争やテロ活動に使われていることからも、戦争の後遺症としての紛争は、長く続くことがわかります。

「戦争に加担しないこと」は、平和構築のための必要条件であり、十分条件ではありません。まず、戦争に加担しない、という姿勢を貫き、その上で、国際ルールの形成に貢献する、難民保護などの人道支援や終戦後の危険物無害化処理に技術力で協力する、といった道が考えられます。十分でないからといって、その基礎を覆してしまっては、平和構築に向けての前進ができません。

⑦国防軍を持つことは戦争をしようという意味ではありません。自ら戦争はしないが、「抑止力」としての軍事力は持つべきではないでしょうか。

「抑止力」とは、冷戦の核軍拡競争の中で好んで使われるようになった言葉です。強い軍事力(とくに核兵器)を持っていれば、敵対的な相手国は、報復を恐れて攻撃を仕掛けることができない、だから平和が保たれる、という考え方です。この「抑止力論」は憲法9条が禁じる武力の「威嚇」を少々薄めたような考え方であり、危険な発想です。どちらかが心理的駆け引きに耐え切れず先制攻撃に踏み切れば終わりです(1962年キューバ危機はその危険が現実となった場面です)。衝突が起こった後には、むしろ武器使用・武力行使のエスカレーションを招きます。また、そのような軍備を抱え込むことで、管理ミスによる事故の危険も高まります(1960年のソ連バイコヌール宇宙基地での実験中のミサイル爆発炎上事故などが一例で、もしもこのとき核弾頭が近くに置かれていたら、世界を破滅させる事故になっていたかもしれません)。総じて、「抑止力論」に基づく軍備拡大と大量破壊兵器保有は、憲法が許容しないリスクを国民に負わせることになります。

また、この「抑止力」は、自分の保身を考えて利害計算する者同士の間でしか通用しません。死ぬ決意をしてしまった者(自爆テロリスト)や、冷静な利害計算よりも栄誉に命をかけてしまう政治指導者、報復攻撃の怖さについて知らされていない国民に対しては、意味がないのです。

真の「抑止」とは、まずは一定の人々を自暴自棄になるような抑圧状況に置かないこと、そして「この国とは軍事的に敵対するよりも平和的な関係を維持したほうが良い」と思われる国になることでしょう。

⑧万一の場合(有事の場合)に誰が対処にあたるのでしょうか。自衛隊員以外の一般国民が徴兵されることはないのでしょうか。

自衛隊は現在、特別公務員として採用される志願制です。憲法18条は「意に反する苦役」を国民に課すことを禁じているので、日本が徴兵制度を採用することはできません。「犯罪による処罰の場合を除いては」となっていますが、受刑者を兵役に利用することは、刑罰制度の根本原理と憲法31条以下の「法の適正手続」に反します。国民であれば「意に反する」などと言っていないでそのための覚悟をするべきだ、との言葉も聞かれますが、日本国憲法はそうした発想で起きる全体主義化・軍事国家化を防ぎ、国家が国民をこの方向で動員することを禁じる構造を持っています(18条のほかにも、13条・各種の権利が「個人」の権利として「最大限」尊重されること、19条・思想良心の自由、20条・信教の自由と政教分離、22条・職業選択の自由、31条・不利益を課される場合の法の適正手続など)。

18条を削除して徴兵制を容認することはできるでしょうか。世界の立憲主義確立の流れの中で、人間の身柄・人生を「道具」として拘束し利用すること(奴隷状態)は共通して禁止されています。意に反する労役を強いることも、この一環として禁止されます。この部分を削除してしまえば国家と国民の関係の根本が失われ、また世界の立憲主義の歩みとの関係をも否定することになりますので、この内容を削除することはできません。

しかし有事の場合の例外として徴兵制を認める憲法改正をするべきだ、という議論は残るかもしれません。これについては、それによって起きる結果の怖さ、自分自身に生じる問題の深刻さ、アメリカがベトナム戦争以後、志願制に切り替えたこと(ただし18歳から26歳の男性は選抜徴兵局への登録が義務付けられている)などを、主権者が十分に知る必要があります。アメリカでは1946年から1962年にかけて行われた核実験に多数の兵士が演習として参加し、現在でも放射線被爆による深刻な健康被害を抱えて苦しんでいます。

社会政策が不足して、人々が兵役(日本の場合は自衛隊員)を自ら選ばざるを得ないように仕向けられる社会状況のことを「経済的徴兵制」と言います。憲法25条・生存権、22条・職業選択の自由と18条の組み合わせから考えられる社会状態とは正反対の状況です。アメリカでは貧しい地域の出身者や人種的差別の対象者がこのような流れで入隊することが多く、問題視されてきました。日本がこの道を行くのではないか、ということが懸念されています。

⑨日本の現行憲法9条には、国を守る「自衛権」とそれを行使する軍隊を管理する規定がありません。これは憲法の「不備」と考えるべきでしょうか。

日本国憲法には、外交や条約に関する権限は72条と73条に規定がありますが、軍隊を管理する権限(軍事権)を定めた規定はありません。これは「不備」ではなく、戦争を放棄し、戦争を行う法的権限(交戦権)とその物理的装備(戦力)を自らに対して封じた9条との一貫性から見て当然のことで、日本はそのような自己決定をした国家です。ここから、自衛隊は憲法違反ではないのか、という議論が長く続いてきました。

2014年7月以前の政府の見解は、多国から急迫不正の攻撃を受けた場合だけは、一種の正当防衛としての「自衛」が認められる、というものでした。これは各国で古くから認められてきたものであるため、現行憲法9条のもとでも可能と考えられてきました。この「自衛」は、自国が攻撃を受けた時にそれを回避するため必要最小限度の対処が認められるというもので、これは「戦力」に至らない「実力」だからそのための自衛隊も違憲ではない、という説明が長く行われてきました。ここに2003年の「武力攻撃事態法」制定や「自衛隊法」改正によって、他に手段がないときには「武力行使」も認めるという考え方が加わりました。この意味の「自衛」が現在「個別的自衛」と言われているものです。それは現行憲法9条のもとでは厳しく限定されるべきものであり、上記の場合以外に目的のあいまいな軍事活動が行われることは厳しく禁止されるべきで、2014年以降その限定があいまいになってしまったことは重大な憲法問題です。憲法改正によって国家に軍事にかかわる権限を与えることは、このあいまいさを正当化し、広範な軍事活動を断れなくなる可能性を高めます。国家に厳格な自制を求める根拠となる9条を維持することの意義を、主権者が十分に知る必要があります。

⑩多くの国では軍隊について「文民統制」があることが書かれているが、日本の現行憲法ではどうなっているのでしょうか。

軍の最高指揮官は多くの国で首相や大統領となっていますが、これに対して主権者である国民が最終的判断・決定権を持つという基本原則を「文民統制」(シビリアン・コントロール)といいます。軍事・軍隊に対して国民が《手綱》を持てるようにする制度です。具体的には、軍の長は議会(国民)に対して情報公開責任と説明責任を負うこと、議会(国民)の判断が優位すること、などです。現行憲法では自衛隊は「軍隊」ではないので、この「文民統制」はあまり意識されませんでした。

現行憲法66条2項の「国務大臣は、文民でなければならない」とする規定は「文民条項」と呼ばれています。これは軍人が閣僚の中に入ることはない、という人事ルールで、日本国憲法制定時には、《日本は軍隊を持たない》という選択を補強する規定でした。しかし、自衛隊が事実上の軍事的実力組織となっていることから、この条文がこの組織への「文民統制」を担う条項として読まれることとなりました。

しかし2015年、「文官統制」と呼ばれる仕組みが廃止されました。これは防衛省内の意思決定において文官(官房長・局長)が制服組に優位するという制度でしたが、これが変更され、両者が対等な立場に置かれました。この法改正は文民統制を弱めるものだとの批判が多くの識者から出されています。

⑪日本に求められている国際貢献を考えると、自衛隊の活動範囲を世界に広げるために、憲法の解釈を大きく変えるか、憲法改正を考える必要があるのではないでしょうか。

日本に求められている国際貢献と言ったとき、特定の国から求められている事柄に限定せず、さまざまな角度から考えるべきです。国際社会では、今起きている武力紛争や貧困・難民・食料医療不足の問題について、国家間の軍事的な安全保障よりも現実の人間のニーズを第一に考える「人間の安全保障」論が重視されています。この課題は、現行の日本国憲法前文の「平和的生存権」の内容と近いもので、この方向で日本に期待されている非軍事的な貢献の選択肢は、避難民の支援や受け入れ、外交努力、NGOの活動など、たくさんあります。そうなると、現行憲法は国際貢献の障害になる、という発想のほうに問題がありますね。武力行使や武力行使と一体化せざるを得ない後方支援を行うことは、特定国の軍事活動には貢献しても、総合的には事態をエスカレートさせ、本来必要な貢献をかえって困難にします。

日本が行うべき貢献については、特定国だけでなく広い国際社会で十分に協議を行い、可能な限り非軍事的な貢献をもって理解と合意を得る努力をすべきです。2015年以前のPKO協力法の下でも、軍用艦への給油活動など、憲法上問題のある軍事支援活動が行われており、派遣された自衛隊員の帰国後の自殺率の高さも問題となっています。そうしたことの問題も含めて、まずはPKO協力の内容を2015年以前の段階に戻し、日本にふさわしいPKO協力を模索していくべきでしょう。

⑫日米同盟の恩恵を受けている限り、日本も米軍の力にならなければ義理を欠くのではないでしょうか。

日米同盟のおかげで、日本はアメリカの核の傘に入っているので、守られている、だから、協力しなければ義理を欠く、という義理、人情的な考え方は、アメリカには通じないでしょう。アメリカはあくまでもアメリカの戦略、国益に則って動いているという基本的な考えを忘れてはいけません。世界的な戦略上日本の基地が必要であったり、自衛隊の協力が必要であったりするのです。かつてアメリカが述べた「瓶のふた論」は、瓶に入った日本の軍国主義をふた(=日米安保条約)で閉じ込めるという考えです。日本の再軍備や核武装に対する警戒心があるのです。アメリカが日本を温情主義的に守ってくれる、わけではないということを抑えておきましょう。

日本はこのまま対米従属的な態度を取り続けるのでしょうか。米軍にますます協力しながら、その一方で自民党改憲案のように、昔の大日本帝国を夢見るのでしょうか。とにかく、これまで隠されてきた日米同盟の歴史を紐解き、実態を知り、国民的議論を起こさなければなりません。

⑬現在は日米同盟によって、日本は守られているが、たとえばトランプ氏が大統領になったら日本を守ってくれないので、日本は独自の軍隊を持つべきだと思うのですが。

日本はアメリカの世界戦略の中で、(目下は)守られている形になっています。トランプ氏は日米同盟の実態をどれぐらい把握しているのでしょうか。米軍は「思いやり予算」などにより、他国と比べて非常に優遇されています。また、1959年の砂川裁判に見られたような、アメリカの異常な政治的干渉(それに従う内閣+最高裁判所長官)による基地への執着などからも明らかなように、アメリカが基地から絶対に撤退したくないとう現実もあります。世界戦略的なアメリカの立場をトランプ氏は理解していないのか、あるいは、否定するつもりなのかもしれません。金を出さないなら撤退する、というトランプ氏の発言を機に、日本人が、占領時代からの、今までベールに隠されていた、憲法理念に反する日米同盟の実態をまずは国民の共有の知識とするべきでしょう。その上で、日本がどのような国を築きたいのかについて議論すべきです。その一環として独自の軍隊をもつべきかどうかという議論が起こってくるでしょう。その時、自民党が描く、大日本帝国憲法下のような国で独自の軍隊を持つとどのような状態になるか、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という普遍的理念を忘れた軍隊の恐ろしさを想像してください。

⑭もしどこかの国が攻めてきたら、現行憲法では「自衛権の行使」を認めているのでやむをえず戦うことになります。しかし憲法9条は「戦力の放棄」をうたっているので、自衛隊は「戦力」ではなく自衛のための「実力」だという解釈で今まで来ています。これは苦しい解釈ではないでしょうか。

「苦しい」というような単純な問題ではありません。

個別的自衛権の行使を可能とする政府の自衛隊に関する解釈には、「戦力」と「自衛力」の区別ができないという問題があります。そこで、憲法の方を変えて、いつまでも違憲性を払拭できないといわれる自衛隊ではなく、個別的自衛権も集団的自衛権も行使して、堂々と戦力を持てるようにしようというのが自民党改憲草案です。

しかし,憲法を変えて、自衛隊を国防軍に,自衛力を戦力にすることは得策ではありません。条文と自分の好む実態とを近づけることはできるかもしれませんが,「戦力を保持しない」・「戦争を放棄する」という憲法の重要な理念を根本から放棄することになるからです。

今の憲法はどこかに悪いやつがいて攻めてくるかもしれないという「不信の構造」を前提にはしていません。むしろ逆に,そういう「不信の構造」を日本が先頭にたって全面的に解消することによって、国民の生命や自由を守り、国際社会に貢献しようと考えています。海外で平和維持の仕事に関わったりNGO活動をしたりしている人たちがよく言うのは、「9条の『戦争の放棄』があるから日本は信頼を得ている」ということです。その信頼を失うことは国益に反することです。

(2)緊急事態条項について

① 解釈を変更して成立させた安保法は、外国からの攻撃を受けたときの解決にどうしても必要な制度なので、憲法上認められるはずではないでしょうか。もしも現行憲法で認められないならば、憲法改正をしてでも認める必要があるのではないでしょうか。

2014年7月以前の政府の見解は、日本が他国から急迫不正の攻撃を受けた場合だけは「自衛権の行使」が認められる、というものでした。これが現在「個別的自衛」と言われているものです。これだけは、外国からの攻撃を受けたときの解決に必要な制度として憲法がぎりぎり許容できると、政府自身が解釈してきました。

したがって、この「どうしても必要な場面」をはみ出す実力行使や武力行使は、憲法違反と言わざるをえないのです。政府は、2015年の国会で、日本が攻撃を受けていなくても外国のために武力行使や軍事的後方支援をすること(集団的自衛権行使)が「どうしても必要」な事態がある、との事例説明を行いましたが、その説明はすべて失敗していると言わざるを得ません。そうであれば、このような集団的自衛権行使は、必要性のわからない軍事力の行使ですから、憲法違反です。その行使を容認し明文で制度化した各種の法規も、憲法違反です。

では、憲法改正によってこのような武力行使や軍事的後方支援を正面から認める道は、どうでしょうか、国家に上のような限定を超える軍事力行使の権限を与えることは、目的の不明な軍事力の行使を正当化することにつながり、外国から広範な軍事活動の要請を受けたときに断れなくなる可能性を高めます。厳格な歯止めの根拠となる9条を維持することの意義を、主権者が理解して判断する必要があります。

② 国内で起きる大震災などの大災害に対処するには、憲法に緊急事態条項を設けることが必要ではないでしょうか。

日本ではたしかに大災害がよく起こります。だから大規模災害に対処し、人命を救助できる法制度と特殊組織と特殊装備は必要だ、というのはその通りです。しかしそれは本来、軍事とはまったく異なる筋の話です。大災害への対処は、現行憲法13条(生命権)や25条2項(福祉国家としての責務)にすでに根拠があり、現在の災害対策法を事態の深刻さや規模に合わせて具体化することで対処できますし、そうしなければなりません。

また、想定外の大災害が起きたときには53条に基づいて臨時国会が開催できますし、当然そうすべきでしょう。国会の関与抜きに内閣だけで国政レベルの対処を決定・実行できるとする緊急事態条項の危険性については他の項目で解説していますが、「災害」をこの緊急事態に含めることは、「事態」宣言を行う機会を平時から頻繁に生みだすことになり、民主主義を死滅させる危険性を高めます。

とくに、軍事的意味での「事態」に対処することを目的とした自衛隊と、災害が起きたときに国民の生命を守り生活を立て直すことを目的とした福祉型の国務は根本的に異なるにもかかわらず、一つの組織に混ぜ込んでいることに大きな問題があります。緊急事態条項を作るよりもまず、大規模災害に特化した組織をしかるべき省庁の下に創設すべきです。

③「緊急事態条項」は他の国の憲法にもあります。日本の憲法にないのはおかしいのではないでしょうか。

いいえ、全然おかしくありません。確かに憲法の中に「緊急事態条項」という章はありません。しかし、実質上はさまざまなところに一定の制限や例外的な扱いを許容する「幅」が作られています。たとえば、第3章第13条の「公共の福祉に反しない限り」や私有財産の公共使用可能性に言及している第29条などです。これらをもとに法律を妥当に運用すれば,緊急事態においても現行憲法でなんら不足はないはずです。

他の国の憲法にあるものがないから現行憲法がおかしいという論理自体がおかしいのです。おかしな考え方をしている人や団体が、「○○はおかしい」と言っていても、その人たちが前提としていること自体がおかしいわけですから、その「○○はおかしい」という主張がおかしいのであって、「○○はおかしくない」のです。根拠と主張との論理関係を吟味するときに、なにが前提とされているのかを見極めると真実が見えてくるでしょう。

アメリカの占領下で押し付けられた憲法であるという理由で改憲したいと思っている人が、「外国と同じこと」を求めているとしたら、ずいぶんと滑稽に思えませんか。主張する人の内部に屈折した感情があるのでしょうか。

④大きな自然災害などが生じた場合のことを考えて、いわゆる緊急事態条項を加えるために改憲を行う必要があると説明されることがありますが、そのような目的での改憲は必要なのですか。

いいえ、必要ではありません。自民党「漫画政策パンフレット」などでは「現行憲法は大きな災害や戦争などが起こった時の想定が甘く何も対応を考えていないので問題だ」と言っています。そこで自民党の改憲草案では「緊急事態条項」を新設し、内閣に権限を集中させ、国会の承認を得ずに予算の執行をしたり国会議員の任期を延長したりすることができるようにしています。しかし、現行憲法54条は、衆院の解散中に緊急の必要があれば、内閣が参院の緊急集会を求めることができると定めていますので充分対応可能です。緊急集会でとられた措置は臨時のものであり、次の国会開会後、10日以内に衆院が同意しなければ効力を失うという制限がありますが、実は自民党改憲草案でも国会の事後承認が必要であるとしているので同じことです。そもそも緊急事態時にトップダウン的な政治がどれくらい必要なのでしょうか。東京新聞記事(2016年5月28日)によると、東日本大震災被災3県の知事と市町村長計42人の9割超が発生当初の人命救助や復旧には緊急事態条項がなくても支障なかったと考えているとのことです。緊急事態時には通常よりも自治体の権限を強化し、自由度の高い対応を速やかに実行できるようにした方が効果的です。

(3)天皇と愛国心

①日本が「立憲君主国」なら、天皇を元首としてもよいでしょうし、日本に元首がいないのはおかしいと思いますがどうでしょうか。

元首とは一般に国家を対外的に代表し、国内的には行政権の長をいうと解されています。現在の憲法において、あえて元首とは誰かという問題に答えるとすると、日本国を対外的に代表する地位にあるものは内閣総理大臣です。天皇は元首ではありません。また元首という国家機関は何かという問いを立てること自体が古い国家観から来ています。実際政治の場では、天皇や皇室外交を通じて、天皇を「元首」的に取り扱ってきましたが、憲法の規定では象徴天皇制は国民主権のもとにあり、天皇は憲法の定める国事行為のみを内閣の助言と承認の下に行い、国政に関する権能はいっさいもっていないのです。ですから、天皇を元首とすることは憲法改正の限界に当たります。

そもそも、明治憲法下において適合的であった「元首」という存在を憲法上明記しようという発想自体が、権威主義的で絶対主義的な神権天皇制への郷愁にとらわれた時代錯誤的な試みです。日本が戦争体制に突入していった要因の一つとして、元首であり「統治権の総覧者」であった天皇の存在が無責任体制をつくりあげていったことへの、厳しい反省が必要です。

②日本には国歌や国旗を明確に定めた規定がない。国歌斉唱をしないのは愛国心の欠如ではないでしょうか。

1999年に、国旗は日章旗とする、国歌は君が代とすると定めて「国旗及び国歌に関する法律」が制定されましたが、国民に対する格別の義務は課せられませんでした。日章旗や君が代に対する国民の考え方にはさまざまなものがあります。たとえば、日章旗は日の丸を掲げて戦った戦争を想起させ、君が代は、天皇の世の永続を願う歌詞が昔のままであることから、戦後、国歌、国旗を変更しようとする動きもありました。ですから、今、これらに対して国民の尊重義務を設けることは憲法の保障する思想・良心の自由に違反します。

天皇の地位は主権者国民の総意に基づいているので、主権者国民が天皇制を廃止する意思を憲法改正によって示せば、いつでも廃止することができます。ですから、天皇制をどう考えるかは個人の自由であるにもかかわらず、君が代を歌うことで強制的に天皇の時代が千代に八千代に続くことを願わされることは、国民主権原理に反します。

国歌斉唱をしないのは愛国心の欠如だという主張は、愛国心を間違った意味にとらえているからです。愛国心とは、現在の日本のあり方をそのまま肯定し、美しい日本だと自己陶酔に浸ることではなく、国家のあるべき姿に照らして過去と現状を見つめ直し、未来を展望するものです。

国歌を歌うから愛国心がある、歌わないから愛国心がないという、誤った考え方から卒業するときが来ています。

③統計によれば、「日本人には他国に比べ自国に対する誇りが少ない」そうです。これは自虐史観に基づいた戦後教育のせいではありませんか。

海外との交流が盛んになった今、日本の高い技術や清潔な環境、協調を大切にする温和な性格、そして何よりも治安の良さが再認識されてきています。日本人にとってはそれが当たり前になっているため、あまり日本という国を意識することがなかったのでしょう。常に周辺国の間に軍事・政治面からの争いを強いられる他国の国民意識とは次元が異なると思われます。ただ、自国に対する誇りとは、自国のみ優れていると自己陶酔して、過去の歴史的事実の正確な認識を怠るところからは、生まれません。他国に対して公平な態度をとり、日本のあり方を客観的かつ冷静に考察する国民的反省力を養って、近隣諸国民との和解と協力を進めていくことが必要です。

特に北東アジアにおける歴史的主張は相互依存的な関係にあるので、論争が激化する場合と対話の過程が始まる場合があります。話し手と聞き手が特定の論点を共通の地域的な関心事として組み立てる共通の論議において、お互いを正当な参加者として認めるときに、地域的な公共圏が出現します。トランスナショナルな空間において、お互いを正当な参加者として認める対話と相互理解を進めていくことが大切です。

(4)国民の権利および義務について

①漫画(p.59)では,現行憲法では「男女平等が謳われ女性の地位は向上したが、個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」とありますが、家族の絆とか地域の連帯が希薄になったのは本当に「個人の自由が強調されすぎ」たからですか。また仮に「個人の自由が強調されすぎ」たとしたら,それは現行憲法に原因があるのですか。

どちらも「いいえ」です。まず「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」について考えてみましょう。個人が自由になればなるほど家族の絆とか地域の連帯が希薄になると言えるでしょうか。自由と無関心・孤立とは同じことではありませんから、自由であることと家族や地域との結びつきが強いこととは矛盾しません。因果関係はないのです。もし漫画で述べていることが真だとしたら、「家族の絆とか地域の連帯が希薄にならなかった、それは個人の自由が強調されすぎなかったからだ」ということにもなります。つまり、「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」と考えている人は、「家族の絆とか地域の連帯が強くするために個人の自由を制限すればよいのではないか」と考えている可能性があるということです。「絆・連帯」と言いながら、一種の同調圧力や犠牲を求めているかのように感じられます。2つめの「いいえ」に関しては,個人の自由も「「公共の福祉に反しない限り」認められているのであって無制限なわけではありません。憲法に瑕疵があるわけではないのです。現行憲法否定が先にあるかのような論理には注意が必要です。

漫画(p.12)に、今の憲法では「プライバシーもストーカーも環境問題も」考えることができないと書いてありますが、本当ですか。

本当ではありません。「プライバシーもストーカーも環境問題も」現行憲法のままで、個別の法律で対応することができます。確かに現行憲法ができた時には、「プライバシーもストーカーも環境問題も」そのような概念が希薄で社会問題化していなかったかもしれません。しかし、「そのような時代に作られたから今の時代の個別の問題に対応できない」ということにはなりません。これらの問題は憲法が定める基本的人権に含まれると考えられます。そして、憲法は何から何まで逐一細かく規定するというより、拠って立つべきもの、守るべき基本的な理念や権利などを記すものです。したがって。憲法に違反しない個別の法令でもってまったく問題なく対処が可能です。プライバシーやストーカーや環境問題のために改憲する必要はありません。これらの例に限らず、「古い時代の憲法だから時代遅れである」とか「今の時代の社会問題をカバーできない」というような言説に惑わされず、その社会問題が現行憲法でどのように位置付けることができるのか検討してみれば、改憲の必要などないことがわかるでしょう。

現行憲法について,漫画のp.28では「公共に反してなきゃ個人の幸福を追求するためなら何でもやっていいってこと?」、p.31では 「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと!?」と書いていますが、本当ですか。

嘘です。2つの意見を見てみましょう。「国の安全を脅かすこと」が「公共に反するであろうこと」は容易に想像できます。したがって、「国の安全に反してもワガママOK」という解釈はメチャクチャな論理であることがわかります。実は同じ漫画のp.26からp.27 にかけ、,憲法第3章「国民の権利及び義務」の説明が書いてあり,第12条が引用されています。そこには「濫用してはならない」や「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という規定がありますから、この漫画の言うように「今の日本の憲法は個人主義的といえる」とは思えません。現行憲法のどこが「個人主義的」なのでしょうか。ところで、「今の憲法は基本的人権が保障されているため個人主義的である。だから改憲したほうがいい」と考えている政党や人たちがいるとしたら、そのような人たちが望ましいと思っている憲法はどのような理念に拠って立つものになるでしょうか。答えは簡単です。反対のことを考えればよいのです。「基本的人権の保障を制限し、全体主義的・国家主義的な側面を強めた憲法」です。このように、何を根拠にして批判しているかを手掛かりにすれば、何を目指しているかが見えてきます。

漫画(p.29) に「どんなに危険な結社や宗教団体でも簡単に解散させられないんだ」とありますが、そういう危険な結社や団体を規制するために憲法を変える必要があるのですか。

いいえ、憲法を変えなくても規制できます。この漫画が言う、人権で擁護されているため危険であっても解散させることができない、ということは事実ではありません。実際漫画の中でも言っているように「犯罪行為は刑法で」取り締まることができますし、法律で認められた手続きを踏めば結社や宗教団体を解散させることは可能です。この漫画もp.29で「簡単には解散させられない」と言っているように、それを認めています。つまり、この漫画は、解散はさせられるけど「簡単ではない」から「簡単にできるように」現行憲法の改正が必要だと主張しているわけです。簡単にできるようにするためには、捜査・裁定・解散執行という手続きを一元化して行う方が効果的です。つまり、国家権力をある程度集中させることが必要になってきます。改憲を主張する側が何をできるようにしたがっているのかを考え、そのために何を変える必要があるのかを考えると、改憲によって失うものが見えてきます。もし憲法を権力の集中が可能なものに変え、「危険な結社や宗教団体でも簡単に解散させられる」ようにしたら、国家にブレーキをかける方法が1つ確実になくなります。それは非常に怖いことだと思います。

現行憲法は個人主義的と言えるのではないでしょうか。

日本国憲法の13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めています。「個人主義」という考え方=「個人の尊重」を、「全体主義」と「利己主義」と比べてみましょう。

「全体主義」は、全体(とくに国家)の利益が一番大切だという考え方です。個人は全体のために存在し、その価値のための道具にすぎないのです。「個人主義」はこれとはまったく反対に、全体は個人のために存在し、国家などの集団は個人のための道具にすぎないという立場です。

「個人主義」は、人権保障の中心にある思想です。私たち一人一人はかけがえのない存在であって、究極の価値をもっており、生まれながらにして自由と権利が保障されると考えます。「個人主義」は、「利己主義」とは異なった原理です。「利己主義」は、自分自身の利益だけを追求するものですが、「個人主義」の「個人」とは、世界には60数億の人々が存在していて、その一人一人がみな個人であり、それらすべての人々を尊重するという思想です。特性のちがいとは関係なく、一人一人の自由・権利・利益を平等に尊重するものです。

「みんなちがって、みんないい」という考え方、異質なものへの寛容と想像力をもちたいですね。

第3章 「自民党改憲草案」についての解説

目次

3.1 立憲主義の軽視

3.2 「天皇を戴く国家」と国民主権の形骸化

3.3 「戦争をする軍事大国」を目指す9条の改憲

3.4 基本的人権の形骸化(1)

3.5 基本的人権の形骸化(2)

3.6 緊急事態規定の新設

3.7 憲法改正条項の改悪

第3章 「自民党改憲草案」についての解説

自民党は野党時代の2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しました。自民党は2005年にも改憲草案を発表しています。2012年の改憲草案は2005年のそれと比較するといくつか違いがあります。まず名称が、2005年のものは「新憲法草案」となっていましたが、2012年のものは「日本国憲法改正草案」となっています。2005年のものは、現在の日本国憲法に代えてまったく新しい憲法を制定するという趣旨でこのような名称にしたと思われます。他方で、2012年の改憲草案は、一応いまの日本国憲法をもとにして、その改正という形をとっています。

しかし、以下にみるように2012年の改憲草案は、日本国憲法の基本原理である、国民主権、平和主義、基本的人権の保障のいずれの原理・原則を、形をとどめないほど変形、改定をしたものです。その意味で、これは「憲法改正」でなく、憲法改正の限界を突破した、「壊憲」の試みとしかいいようがありません。このような内容のものを、正面から憲法改正として発議することはないでしょうが、いま「改憲」を唱えている政権政党の本当の考えを知っておき、主権者国民として改憲問題を真剣に考えていく際の、参考資料とすることが大切だと思います。

3.1 立憲主義の軽視

立憲主義とは、憲法によって国家権力を拘束し、国家権力は憲法に従って国政を運営しなければならないという原理です。憲法によって縛られるのは憲法によって権力を信託された人たちであり、国民は権力行使者に憲法を守らせる立場にあります。

日本国憲法99条が、「天皇又は摂政及び国務大臣、国家議員、裁判官その他の公務員」に憲法尊重擁護義務を負わせながら、その主体に国民をあげていないのは、この原則を明らかにしています。

ところが自民党の「改憲草案」は、「国民の憲法尊重義務」を新設し、公務員には「憲法擁護義務」に絞るとともに、天皇や摂政の「憲法尊重擁護義務」を全面的に削除しています。

「国民のための憲法」から「国家のための憲法」への立憲主義憲法の変質は、前文においても明らかです。

前文は、起草者が思い描く「日本国の姿」1)を提示し、国にふさわしい「あるべき日本国民像」を提起し、国民の国家における役割や努力目標を示す2)という構造になっています。「国民の人権保障のための国家」「国民に奉仕する国家」といった基本視点はまったく見られません3)

1)「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」である。

2)「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。」

3)前文の最後は、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するために」憲法を制定する、という一文で終わっています。まさに「国家のための憲法」です。

3.2 「天皇を戴く国家」と国民主権の形骸化

改憲草案の前文冒頭は、「日本国は天皇を戴(いただ)く国家であ」り、第1条は、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴」であると規定しています。天皇を「元首」にして、国民主権の形骸化を図っています。

現行憲法は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(4条1項)と規定していますが、改憲草案は「のみ」という言葉を削除しています。その理由は、「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」と規定するように、天皇が「公的行為」を行うことができるようにするためです。天皇ができることは「国事行為」のみというのが、現行憲法の厳しいしばりであり、それを緩和しようというのです。

改憲草案は、第3条で、「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。2日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と規定しています。憲法で君が代と日の丸を明記することは、国民主権だけでなく、思想・良心の自由に対する軽視も意味しています。また第4条では、「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する」と規定しています。一世一元制の元号を憲法上明記して、元号使用を継続させることは、これまた時代錯誤の試みです。日本人の生きていく時間の認識を、深層において天皇の存在と結びつける効果を発揮するのが元号制です。

3.3 「戦争をする軍事大国」を目指す9条の改憲

改憲草案は、現行憲法第二章の「戦争放棄」という表題を「安全保障」という表題に変更しています。改憲草案9条のタイトルは「平和主義」ですが、ここでの「平和主義」は現行憲法が採用している非軍事平和主義(軍縮平和主義)とはまったく別ものです。

改憲草案の特徴は四点あります。

第一は、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するための活動」「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」を行う「国防軍」が創設されます。「国防軍」の創設は単なる名称変更ではなく、「最小限度の自衛力」という制約が撤廃されます。「国防軍」の場合には、大陸間弾道ミサイルも、航空母艦もさらには核兵器も憲法上の制約なしに保持することが可能になります。

第二は、9条2項で、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と規定して、集団的自衛権を憲法上認めています。日本は、アメリカの軍事行動に対して全面的な軍事的協力を行うようになります。

第三に、「軍事審判所」という名前の軍法会議の設置が提案されています。軍事機密の聖域化と国民の知る権利の剥奪が懸念されます。

第四に、日本国憲法前文の規定する平和的生存権を削除し、実質的な国防責務の導入を意図しています。

3.4 基本的人権の形骸化(1)

日本国憲法97条は、「「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定しています。この極めて重要な規定を、「改憲草案」はあっさりと削除してしまいました。その理由は、西欧の天賦人権説に基づいているからだと説明されていますが1)、基本的人権は将来の世代にも不可侵の永久の権利として信託されたものという、基本的人権の本質に対する違和感の表明です。

「個人の尊重」原則を述べている憲法13条もあっさりと、「人として尊重される」と変更しており、憲法の一番大切な個人主義の原則を採用しないという意思表示がなされています。また、日本国憲法が人権の制限根拠としている「公共の福祉」の代わりに「公益及び公の秩序」による広範な人権制限を容認しています。表現の自由さえも、「公益及び公の秩序」によって制限されるようになります。

以上の三点は、憲法による基本的人権の保障の一番大切な原理原則を廃棄してしまおうというものです。

自民党『日本国憲法改正草案Q&A〔増補版〕』2013年10月、13頁。

3.5 基本的人権の形骸化(2)

信教の自由と政教分離について、国家および地方自治体に禁じられる宗教的活動や公金の支出・公財産の利用から、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」を例外化して、靖国神社公式参拝・神社への玉串料支出・皇室祭祀などの合憲化が予定されています。これは政教分離原則の大幅な骨抜きであり、特定宗教の押しつけによる信教の自由の侵害をもたらします

改憲草案は、国民の義務・責務の大幅に導入しているほかに、以下のような問題点があります。

政治的関係における身体の拘束の可能性を認めて徴兵制の可能性を残しています。

職業選択の自由(営業の自由)に関して、経済的・社会的弱者の保護の観点からの「政策的制約」を意味する公共の福祉による制限を撤廃しています。

教育の位置づけを「国民の未来を切り拓く」のではなく、「国の未来を切り拓く」ためとしています。

公務員の労働基本権基本権を制限しています。公務員の労働基本権の制限は、民間企業の労働者にも大きな影響を与えます。

家族の互いの助け合いを義務化して、生存権の削減を容易にしています。

人口比に基づく選挙権の平等を相対化し、選挙権者から外国人を排除しています。

3.6 緊急事態規定の新設

改憲草案は、「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」の新設を提案しています。緊急事態の定義の具体化は法律に丸投げされています。内閣の緊急事態宣言は国会の事後承認でもよく、内閣は緊急政令制定権や緊急財政処分権を与えられます。さらに非常事態宣言が発令された場合には、国その他公の機関の指示への、国民の服従義務が定められています。

緊急事態条項(国家緊急権)とは、「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限」のことです。人権保障の停止(人権の広範な制限)と権力分立の停止(執行権への権力の集中)を内容としています。国家緊急権は、立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、執行権への権力の集中と強化を図って危機を乗り切ろうとするものですから、立憲主義を破壊する大きな危険性をもっています。

日本国憲法が緊急事態規定を置いていないのは、人権保障や権力分立を停止するような事態をそもそも憲法規範化してはならないという立場に立っているからです。

3.7 憲法改正条項の改悪

現行憲法96条1項は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と規定しています。これに対して、改憲草案は、「三分の二以上の賛成を「過半数の賛成」に変更するなどの提案をしています。

憲法は人権の不可侵性を規定し、権力の制限を定めている国の最高法規です。憲法の改正が国会議員の過半数で発議できるようになってしまえば、憲法は通常の法律と大差がなくなってしまいます。国民投票も万能ではなく、しばしば間違った方向に流れるという諸外国の経験もあります。それを防止するためにも、国会での「熟議」を踏まえた三分の二以上の特別多数による「発議」が必要です。

そもそも憲法改正手続によって96条自体を改正できるでしょうか。憲法学説の多くは、96条に基づいて96条の根幹を変更することは認められないと考えています。「ゲームの途中でルールを変えるのはフェアでない」という批判を受けて、2013年の春から夏にかけての96条先行改憲論は実際政治の場から姿を消しました。「改憲草案」のこの提案も撤回されるべきです。