中村りか教育長の最後のご挨拶
2024/3/26 島本町3階 議場にて
2024/3/26 島本町3階 議場にて
この頃、教育の目指すところは何か、と考えることがあり、個人的にはそれは民主主義を醸成することであって、そしてその先には世界平和、そのために学校があるのかなというふうに考えています。
今回の関係の中に、新しい教育長の事も今日まで私は知らなかった、こういうことってあるんですね。
当たり前のことですが、人には心があり感情があります。そこに目を背けてその場しのぎの帳尻合わせのようなことをしたり、人一人の尊厳や人生をないがしろにしたりするところに真の民主主義や教育が根付くんだろうかという危惧を持つこの頃です。
人間だれしも自分が可愛い。でも課長、部長、「長」と名の付く役所の方は、それでは困る。
おかしいことはおかしいと言い切る強さ、そして、会津藩ではないのですが、「ならぬものはならぬ!」と言い切る強さを持たない者は長をはってはいけないと思う。そしてその強さを、人は良心と呼ぶと思います。
3年前、私は町長に声をかけていただいてここに参りました。町長と私は教育観が似ていた就学前の保育、教育、幼児教育が大切であり、私も教育の根幹は支援教育、そして就学前の幼児教育だと思っておりました。そしてその就学前の保育教育を起点に見えない学力を育てていくことを考えていただけないか、というこの構想に共感しました。
議会でもある議員が、「どうしてわざわざ、退職前の校長を教育長にすえたか」という質問がありました。そうですね、「わざわざここにきた」のは、みづまろキッズプランを展開するためです。このプランは町長もよく言っておられるのですが、10年かかる。このプランをベースにした保育、教育環境の中で保育され教育された幼児たちが小学校に入学し、低学年・中学年・高学年そして中学生になるまで効果検証を追っていかなければなりません。そしてまたこのプランは支援教育そして不登校の子どもたちの一助にもなる可能性を秘めたものでもあります。
本プランの理念をベースにした授業がこの一年間、小学校の低学年になされました。私もたくさん拝見しました。するとそこには必ず自分のオリジナルの考えを出し、そして独創的な考えをみんなに披露して、仲間に認められて満足げな支援学級のお子さんたちの顔がありました。
支援学級の子どもたちに有効な事は、他のすべての子どもたちに有効なんです。自分で考え抜くこと、答えがあっているのかどうかはおいておいて、自分なりの理屈を生み出すという力はこれから不透明な時代において、生きる力と礎になる力になるものだと確信しています。
それからこの本プラン。有効なのは大人、教職員の変容なのです。
明治15年の学制以来、約150年間みゃくみゃくと教育スタイルは変わっておりません。一斉指導で、教師が教えを、知識を教えるという形です。ただ、この当初、ヨーロッパから入ってきたときは殖産興業がスローガンに掲げられており、それにそった形で展開してきました。ただ現在は、求められる人間像は全く違う形のもので、この形の教育はいずれ破綻するであろうと思われます。が、教科書があり、カリキュラムがあり、それをこなす事が仕事であるというふうな思い込みがある中で、なかなかそのその教育観・指導観を変えるには時間がかかります。大きなパラダイムシフトなんです。そのきっかけには、みづまろキッズプランがなりうるし、授業が遊びにも似た、とてもワクワクするような事だという風に教職員の方に思っていただければ、大人の幸せにもつながるのでは、と考えていました。
その中で一朝一夕でできる事ではない。効果が出るには少なくとも10年間はかかる、という流れ。
私は当然、いまだこの事業にいまだ携われると思っていたところ、退任(続投がないこと)の理由なんですが、さきほど私も直接聞いてお伺いしましたら、「厳重注意に不服」。そしてその結果の人間関係の崩壊。でも、厳重注意ですが、町長ご自身があの後半部分は「自分はそんなたいしたことではない」という旨をおっしゃってました。ではなぜあの文章を記載するのか、なぜあの文章にして配布する必要があるのか。そして第三者委員会はあの厳重注意が前提になってその延長線上にあるものです。そこの前提が崩れた場合、第三者委員会ってどうなんでしょう。これも(幸いなことに)議会の中で意見として取り上げられたので資料として残っていますから、これも司法の中でしっかり検証していって明らかにすればよいと思います。
また、みづまろキッズプランに話は戻りますが、本当に先が長い話で、人間に例えると、今、お母さんのお腹の中で、今、ようやく胎動を始めたばかりの赤ちゃんです。願わくば、どうか愛情を注いで、大切に大切に育てて行ってほしいなと思います。
最後になりましたが、教育委員の方々、そして岡本部長をはじめとする教育委員会のメンバーの皆様に大変恵まれました。この一年半(令和4年9月の追及)ご心配をかけご心労をかけました。が、嫌な顔一つせず、私をかばって思いやって、温かく接してくださり、どれだけ救われたかわかりません。心から、感謝しております。
それでは皆様のご健勝とご多幸をお祈りして、退任の挨拶といたします。
(傍聴席より拍手)