2025年02月17日 作成
2025年06月16日 更新
大学を卒業してから定年退職までの44年間を職場の情報処理部門で過ごしてきました。
コンピュータとの出会いは大学3年生(1973年)の時で、所属していた研究室にメモリ容量4KByteのミニコンピューターがあったので(たぶん、高千穂交易のTK70だったと思う)、アセンブラによるプログラミングをしていました。幅が1インチの紙テープにソースプログラムをASCIIコードで穿孔してから読み込ませていました。アセンブル結果のオブジェクトコードも紙テープで出力されていました。実行するためにも穿孔されたブジェクトコードを紙テープで読み込ませ、実行開始番地を指定して実行していました。実行開始番地のアドレス指定はミニコンの前面操作パネルにある10個くらいのアドレス・スイッチをON/OFFして2進数で指定していました。
卒業後は、そのまま大学の情報部門に採用されて教育研究系や事務系として、以下のようなコンピューターに触れてきました。もちろん、管理者としてです。
日本電気 NEAC 2203(紙テープ) NEAC-2203-コンピュータ博物館
IBM 1440(バッチ処理、パンチカード)
富士通 FACOM 230-45S(バッチ処理、パンチカード)
DEC VAX-11/750(TSS処理、VT-100端末)
UNIVAC 1108、1106(バッチ、TSS処理)
日本電気 SX-1(スーパーコンピューター、バッチ、TSS処理)
日本電気 EWS4800、UP4800(System VのUNIX)
SUN ワークステーション(BSD系のUNIX)
富士通 Sparc CPUを採用したサーバー(UNIXサーバー)
日本電気 PC-8001、PC-8801、PC9801、PC-100、PC98XA、PC9821(パソコン)
仕事では以上のような環境でしたので、自然と趣味としてのパソコンもいくつか所持していました。自宅では通常のパソコン(NEC PC-98VM、PC-98VX、FM-Vなど)を使って趣味のプログラミングをしていました。当初はビジネス用でしたが、後に一般の人も使えるパソコンが発売されたので、1985年から1990年頃はMS-DOSでのワープロ(一太郎)、プログラミング(Turbo C)で遊んでいました。そして1997年頃は遠距離通勤でしたので小さなコンピュータ(カシオ CASSIOPEIA)を好んで使っていました。
このページでは懐古趣味として、以下の「Retro PC」についてを記述しています。
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以 上