筏井 四郎右衛門 満好(いかだい しろうえもん みつよし)?~1835年 肯定派日本において永久機関について言及した最も古い人物である。江戸後期の算学家。射水郡西広上村(現高岡市上伏間江)の肝煎筏井家24代の8男に生まれる。幼名は清五郎。兄25代を継ぎ,26代四郎右衛門満好を名乗る。石黒信由に学び,信由とともに加賀藩縄張役。広く越中・能登・加賀の測量に従い,恩賞を受ける。弟子も多く,金沢卯辰山観音堂はじめ各地の神社に木の板に和算の難題を書いた算額を奉納。和算の実学化を進めた点で評価されている。低いところの水を自然に高いところへ持ち上げる揚水器の研究をし、1808年『自然登水車』を著す。明らかに実現不可能な永久機関である。