連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<7>科学・学問総集編』を転載します。

2019.04.24

以下は昨日の弘学研 @gugakuken (Twitterアカウント)からの連続ツイートです(2019年4月23日)。

(前回分は 2019.01.30.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<6>脳科学編(後編)』を転載します。 です。)


今日は今から『21世紀の科学革命のアイデア』第7弾 科学・学問総集編の連続ツイートを始めます。今回は科学・学問の総論と、自然科学、形式科学、実験科学、人文学、社会科学、応用科学の各分野で、21世紀に私たちが取り組むべき課題とその見通しを示してみます。では冒険を始めます。

まず、科学・学問の総論についてです。『21世紀の科学革命のアイデア』の脳科学編のまとめでも述べた通り、科学・学問はこれまで「客観」であれ「間主観」であれ、「観察者」に徹してきました。従来の科学・学問は観察者として対象を一方的に説明・記述・理解しようとしてきたのです。

つまり、これまでの科学・学問とは認識(知)の営みでした。しかし、今後の科学・学問では意志(夢)や表現(愛)、信頼(絆)も重要になってきます。それは宗教や芸術といったものへの歩み寄りでもあります。そして、命と心の尊重も課題となってきます。これらは人間の営みを統合する試みです。

学問の大分類として、自然科学、人文学、社会科学があります。これは『自然→人間→社会』という関係創発によって生じる階層構造、あるいは歴史発展に対応しています。自然と社会との間、あらゆるものの間に人間は位置しています。『人間は万物の間(あいだ)である』のです(図1)。

人間は万物の間として、あらゆるものを統合する役割を担っています。自然と社会、人間と人間、命と命、心と心。この21世紀に科学・学問を統合する『弘学革命』が始まろうとしているのも、人類の統合の過程が最終段階に入っていることを意味すると言えます。私たちは統合を実現できるでしょうか?


次に、科学・学問の各分野の21世紀の課題と見通しを示していきたいと思います。まずは自然科学です。自然科学では『客観から主体へ』のパラダイムシフトがあります。これは『説明から意志へ』の転換とも言えます。なぜこのパラダイムシフトが必要なのか考えてみましょう。

「客観性」は対象から観察者=自己へ向かう矢印です。客観では逆方向の矢印が生まれず、「利己」的関係に陥り、個は孤立します。一方、『主体性』は対象=他者へ向かう矢印であり、この矢印は返ってくることができます。つまり、主体は『利他』的関係を実現し、個が系を創発できます(図2)。

自然科学の分野ではこれまで要素還元主義が主流でした。しかし、『自然→人間→社会』の階層構造で自然科学が人文学や社会科学の基礎としての役割を果たすには関係創発を実現する必要があります。このため、自然科学には『客観から主体へ』、『説明から意志へ』のパラダイムシフトが求められます。

ここで自然科学の各分野の『21世紀の科学革命のアイデア』をおさらいしてみましょう。これまでに発信した物理学、天文学、化学、地球科学、生物学、脳科学の連続ツイートを順に引用していきます。

『21世紀の科学革命のアイデア』第1弾は物理学編でした。物理学では『因果から選択へ』のパラダイムシフトにより、『正負根子モデル』に現れる無を因果律を超える選択論の主体とし、自由意志(選択意志)の存在を許容しました。

2018.12.12.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<1>物理学編』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第2弾は天文学編でした。天文学では『終焉から希望へ』のパラダイムシフトにより、負の質量を持つ物質『負物質』の実在を予言し、正負物質の相互作用で宇宙の進化が継続する可能性を示しました。

2018.12.15 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<2>天文学編』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第3弾は化学編でした。化学では『還元から創発へ』のパラダイムシフトにより、化学の対象を物質から物質系へと飛躍、創発現象の一般的表現法の確立を目標に『ダイアログラム』を提案しました。

2018.12.20 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<3>化学編』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第4弾は地球科学編でした。地球科学では『分析から統合へ』のパラダイムシフトにより、生命誕生の問題を地球環境と結び付ける『地学進化』説を提示し、地球・人類を統合する糸口としました。

2018.12.26.a 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<4>地球科学編』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第5弾は生物学編でした。生物学では『利己から利他へ』のパラダイムシフトにより、生命進化とエコロジーを結び付けた『関係進化(親化)』説を提唱し、人類の進化の方向を指し示しました。

2018.12.26.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<5>生物学編』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第6弾は脳科学編でした。脳科学では『二元から不二へ』のパラダイムシフトにより、『物心不二』の下、意識はどのようにして生まれるかという心脳問題に挑みました。前編では心の起源を探ります。

2019.01.30.a 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<6>脳科学編(前編)』を転載します。 (該当する本サイトのページ)

『21世紀の科学革命のアイデア』第6弾の脳科学編の後編では自然科学のアイデアを結集し、意識が創発する仕組みの理会を目指しました。そして、心の存在証明に向けた挑戦は自然科学から人文学、社会科学へと展開していきます。

2019.01.30.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<6>脳科学編(後編)』を転載します。 (該当する本サイトのページ)


次に、形式科学です。形式科学では数学、統計学、計算機科学、システム科学について論じます。形式科学は対象を観察されるもの、「客体」として扱ってきましたが、これが主体性の本質となるもの、『本体』へと転換すると考えられます。形式科学は『客体から本体へ』とパラダイムシフトするのです。

形式科学の『客体から本体へ』の転換に伴い、その手法も、論理を用いた「論証」から、想像を通した『物語』へと転換すると考えられます。形式科学は『論証から物語へ』ともパラダイムシフトします。形式科学の『客体から本体へ』、『論証から物語へ』のパラダイムシフトを各分野で見てみましょう。

まず、数学です。数学では『数と形の統合』が課題です。これは物質系の化学で開発中の『ダイアログラム』で実現できるかもしれません。ダイアログラムは、『+1・0・-1』の三値を基礎とする拡張された論理式(数)と、向かう先の変化する矢印で表すダイアグラム(形)を組み合わせたものです。

『ダイアログラム』は論理学としては三値論理とファジー論理、直観主義論理、様相論理を組み合わせたものと言えるかもしれません。また、ダイアグラムとしてはグラフ理論に関係しているのは間違いないでしょう。これらで因果律=論理を超えた選択論のアイデアがどう効いてくるかが気になる所です。

ダイアログラムに部分構造として含まれる倫理式(論理式)を命題とみなすと、ダイアログラムの全体構造は公理系を表すと考えられます。また、ダイアログラムの関係構造の変化による新たな系の関係創発は公理系の拡張に相当するでしょう。この際、系に存在するループは自己言及を表すと思われます。

ダイアログラムの構造を変化させる関係選択の主体はダイアログラムの中にいます。この選択は確率論ですから、言わば、論理(因果律)を超えた想像(虚数空間変位)によって公理系を選択する主体(心理値のゼロ点)が公理系の中に存在し、外部の公理(負値)を選択して公理系を拡張するわけです。

ダイアログラムの中で関係選択する主体は関係創発を通してより大きなループを形成します。つまり、公理系の拡張に伴い、新たな自己言及が生まれるため、不完全性定理は終わらないが、公理系を拡張し続ける(負値を選択し続ける)ことは可能である、という『負完全性定理』は成立すると思われます。

数と形を対象として論理を追究してきた数学が、数と形を統合した対象の中に論理を超えて想像する主体を見い出したとすると、面白い発見となるかもしれません。数学はこの『数と形の統合』の実現に伴う『主体の発見』によって『論理から想像へ』とパラダイムシフトする可能性があります。

次は、統計学です。統計学では『確率論の表現』が問題となります。統計学は決定論的な記述を目指しますが、この世界の一般的な現象は確率論を含む選択論だと考えられます。この確率論は統計的な手法の中で均されて隠れてしまうのでしょうが、確かに存在します。これをどう扱うかが問題です。

確率論は要素=個から生じ、系の創発=変化を実現します。この創発は例外的な事象ですが、無視できません。統計学が確率論を扱うには集団=総体を論ずるのではなく要素=個体を起点とすべきです。統計学の目標は『総体から個体へ』のパラダイムシフトによる『確率論の表現』、『個の尊重』です。

続いて、計算機科学です。計算機科学の課題は『意味の意味付け』です。人工知能(AI)の発展に伴い、機械にも情報の意味を理解できると錯覚されがちです。しかし、意味を情報の関係性として捉えると、従来の決定論的な計算機械は意味を扱えません。情報に意味を与えるのは主体(無)なのです。

量子コンピューターならば根子レベルの無を含むので、これを主体とすることで意味を扱える可能性があります。それは人間の脳の様な物質系とは違った仕組みかもしれません。ともあれ、計算機科学は『情報から意味へ』とパラダイムシフトし、『意味の意味付け』、『主体の創造』が目標となります。

最後に、システム科学です。システム科学で課題となりそうなのは『選択論の実現』です。創発現象を実現する系=システムは選択論の主体=個を含みます。故にシステム科学も選択論を取り入れる必要があります。要素の間の構造が要素自身の選択によって変化するものとしてシステムを捉え直すのです。

系の外部への反応も究極的にはある時点の特定の個が役割を担っています。システム科学はシステムの関係構造を機械論的に決定付けるのではなく個の関係選択で変化するものとすべきです。システム科学は『構造から変化へ』のパラダイムシフトの中、『選択論の実現』、『個の配役』が目標となります。


次に、実験科学です。実験科学の課題と見通しについて考えてみたいと思います。客観主義の下で行われる実験というのは観察者が条件を厳密に制御することで為されますが、果たしてこの方法は妥当でしょうか。例えば、医学的にこうするのが健康に良いとする主張が世間では溢れ返っています。

例えば、ある人が卵を1日何個食べるのが健康に良いという医学的主張の通りに行動しても、栄養やその他の状態の変化がこの人の他の行動の選択に影響を与え、返って不健康に陥ってしまうかもしれません。主体の選択を無視した決定論的な実験の知見は現実の選択論の世界では効果も限定的でしょう。

また、要素還元主義的な実験では、上述の例の様に、ある要素に与えた条件の変化が観察者の想定したのとは別の関係構造のルートを辿って、思わぬ形で他の要素に影響を与える可能性もあり、場合によっては逆効果となってしまうことさえ起こり得ます。このように要素還元主義にも限界があるのです。

このような客観主義・決定論・要素還元主義に基づく実験科学の限界を乗り越えるにはどうすべきでしょうか。これが実験科学の課題です。その解決の見通しは、対象を主体とし、選択論を尊重し、関係創発に配慮することにあるはずです。言わば、対象の心を尊重することが解決の鍵に違いありません。


さて、今度は人文学です。人文学は人間に関する学問で、自然科学と社会科学の間に位置しています。従来、自然科学は要素還元主義を追究してきましたし、社会科学は全体主義に囚われがちでした。実は要素還元主義と全体主義は全体から要素へと向かうという意味でベクトルが同じ向きだったのです。

この「全体から要素へ」というベクトルを共有していたため、自然科学と社会科学は共に「科学」と呼ばれ、親和性が高かったのです。大変なのは両者に挟まれた人文学です。本来、対象の階層構造や歴史発展は関係創発であり、要素から全体へ向かうベクトルなのですが、これを実現できなかったのです。

『要素から全体へ』という関係創発のベクトルが本来なのに、自然科学や社会科学は「全体から要素へ」のベクトルを要求してくる。人文学は苦悩し、言わば精神分裂状態にありました。「人文学」と呼ばれたり「人文科学」と呼ばれたりしてアイデンティティーが不安定なのもこの葛藤のためでしょう。

しかし、21世紀の科学革命で人文学も苦悩を克服します。基礎となる自然科学が要素還元から関係創発へと転換することで、人文学も関係創発のベクトルを共有できるようになります。さらに社会科学とも関係創発のベクトルを共有し、人文学は自然と社会の間を繋ぐ人間の学問となります(図3)。

さて、人文学が関係創発を実現し、自然科学と社会科学の間を繋ぐ学問と成るためには、人文学自身も変わらなければなりません。人文学はこれまで「間主観」的真理を追究してきましたが、このように「観察者」として対象=人間を一方的に「記述」するのでは他者と対等な関係を築くことができません。

人文学も「観察者」として「記述」するのではなく『主体』として『表現』することで他者と対等な関係を築く『間主体』の発想が必要です。特に、「観察者」は「他者批判」しかできませんが、『主体』なら『自己批判』も可能です。これで私たちは自己を改め、他者とより善い関係を築くことできます。

人文学は自然と社会の間を繋ぐ人間の学問として、人間同士の関係創発を目指し、『間主観から間主体へ』、『記述から表現へ』というパラダイムシフトを実現するべきです。『自己批判』を実践し、他者と対等な関係、より善い関係を築いていくこと、これが21世紀の人文学が目標とすべき所です。

続いて、人文学の各分野の課題と見通しについて考えてみます。人文学の分野として、哲学、宗教学、心理学、言語学・語学、人類学・考古学、歴史学、地理学、文学、芸術について論じていきます。では哲学から順に始めましょう。

まずは哲学です。哲学のテーマは『真理と倫理の合致』です。つまり、『良く知ること』と『善く生きること』を一致させることが哲学の課題です。近代以降、哲学から分化した科学は自由意志を否定し、宇宙の終焉を予言、さらに個人を要素に分断しました。結果、科学は真理と倫理を相違させたのです。

「自由意志は存在しないから自分のすることに自分の責任はない」「宇宙はいずれ終焉を迎え人類も滅亡するからどんな努力も無意味」「人間は自分のためにのみ行動する存在である」。近代以降の科学の「真理」は突き詰めるとこのような無責任、虚無主義、利己主義の考えに至り、倫理を退廃させます。

しかし、21世紀の科学革命は選択意志の存在を許容し、宇宙の進化が継続する可能性を示唆し、個人同士の関係創発を提唱します。これによって真理と倫理は矛盾せず、合致するものとできます。哲学が求め続けてきた『良く知ること』と『善く生きること』をようやく一致させることができるのです。

哲学のもう一つの課題は学問論にあります。17世紀には哲学から科学が分化しましたが、この21世紀には哲学から弘学が分化します(図4)。この弘学は哲学や諸科学を統合する役割を担います。この『弘学の分化と学問の統合』が哲学の学問論としての課題で、これを実現するのが弘学革命です。

次は宗教学です。宗教学の課題は『一神教と多神教と無神論の並立』です。物理学の新理論『正負根子モデル』では、最初に正負根子対を創造した無を唯一神と考えることもできますし、そこから無数に生まれた万物に神性が宿るとも、それらは全て生きる者であり神はいないとも考えることもできます。

宗教学のもう一つの課題は『キリスト教とイスラム教の仏教による和解』です。創発の表現法『ダイアログラム』で考えると、キリスト教(正)によるイスラム教(負)の抑圧の状態があり、両者を調和させる役割は仏教(無)にあると思われます。西洋とイスラムを和解させるのは東洋の役目でしょう。

次に心理学です。心理学のテーマは『物質から意識への創発』であり、脳科学との接続が課題となります。脳科学のアイデアで考えると、心理学の行動主義は誤りであり、心脳は選択論です。脳は行動を選択する主体であり、同じ入力に対し異なる出力をし得る存在です。心理学にも発想の転換が必要です。

心理学のもう一つの課題は実践面において『他者を主体として尊重すること』でしょう。対象として観察していた他者を心を持つ存在として受け止め、その主体性を尊重することが学問においても社会においても大切な姿勢となっていくでしょう。心を理会する心理学が率先して示すべき在り方です。

次は言語学・語学です。言語学のテーマは『意識から言語への創発』です。創発の表現法『ダイアログラム』の、主体の関係選択によって変化する関係構造という描像を言語の理会にも活かせるでしょう。それはチョムスキーの生成文法とソシュールの構造主義を統合した言語理論となるかもしれません。

また、語学の課題は『外国語で理解し、母国語で表現することの尊重』です。相手の言葉で理解し、自分の言葉で表現できることが最も対等なコミュニケーションです。言語の多様性が文明と文化の発展に寄与することを考えると、私たちはこのような対等なコミュニケーションの実現を目指すべきです。

『負物質』の仮説を生んだ「万有斥力」という言葉が「万有引力」という日本語の対義語として造られたのは明白ですが、元の英語の“universal gravitation”には対義語を造る素地はなかったのです。各自然言語には「盲点」がありますが、多様な言語があればこれを補い合えます。

また、相手の言葉を理解しようとする姿勢は寛容に繋がります。外国語理解の困難も翻訳技術で解決していくでしょう。一方、自分の意思の表現だけは自分以外に代替させることはできませんし、機械に頼ることもできません。したがって、各自が自分の最も表現しやすい言語で表現できる自由が必要です。

さて、今度は人類学・考古学です。人類学・考古学のテーマは『生命から人間への歴史発展(動物からヒトへの飛躍)』です。生物学の新理論で考えると、人間への進化の歴史は利他的関係の創発です。言ってみれば、人類の歴史は『他者』を目指して旅立ち、『他者』と出会うまでの長い旅だったのです。

人類学・考古学のテーマを実践的に捉え直すと、『未来への敷衍』となります。人類の『他者』に出会うまでの長旅は21世紀の弘学革命で最終段階に到達します。人類は地球規模で繋がり、宇宙へと飛び出そうとしています。国家の枠組みも社会の分断も越え、全ての個人が結び合わされるべき時です。

続いて歴史学です。歴史学のテーマは『選択論としての歴史』です。人間の選択は常に最善というわけではありません。生物学の新理論では、人間の選択は利己か利他かです。利己を選択して失敗することもあり、利他を選択することで歴史は作られ、進みます。歴史とは選択の成功と失敗の積み重ねです。

歴史学の実践的な課題は『未来の選択』です。選択論の歴史は、現在から過去へと遡っていくと一本道ですが、現在から未来への道は選択によって分岐していきます。私たちは利己ではなく利他を選択できるか。歴史を前に進め、未来を創造できるか。この21世紀に人類の最大の選択の時が迫っています。

次に地理学です。地理学のテーマは『分化としての文化』です。自然科学の新理論に基づくと、文化は基盤となる自然の多様性、そして人間自身の関係選択と関係創発によって多様化していくことが分かります。文化は多様化し分化していく性質があるという事実は誰もが認めざるを得ないものです。

故に、地理学の実践的な課題は『文化の統合』となります。文化の多様化が「分断」ではなく『分化』となるためには、異文化と協力的な関係を築く『統合』が必要です。『分化』と『統合』ならば並行して進めることが可能です。多様性と関係性を両立し文化を統合することが21世紀の人類の課題です。

次は文学です。文学のテーマは『世界と人生の一回性』です。自然科学の新理論が示すのは、世界の在り様も一人の人生も選択論であり一回的であるという事実です。そこでは選択によって選ばれなかったけれども起こり得た現実も存在することになります。これをどう扱うかが文学の課題なのでしょう。

文学の役割とは『起こり得た現実を想うこと』です。文学に必要な想像力あるいは空想力とは起こり得た現実を想う力です。脳科学の新理論が示す様に、この起こり得た現実は、現実ではありませんが、想像(創造)された情報として確かに人間の脳の中に存在しています。文学はその自負を持ちましょう。

人文学の最後は芸術です。芸術のテーマは『他者に通ずる美の普遍性』です。画家の千住博さんは「芸術は問い掛けだ」と言います。芸術家が追求する美には他者に通ずる普遍性があります。その世界の普遍性を求めて芸術家は表現する。これは学問と同じです。芸術も学問も他者への表現なのでしょう。

芸術の役割とは『想いを共有すること』と言えるでしょう。普遍性を追い求め、他者に向かって表現する。これが他者に受け入れられ、応えてもらえれば、そこに利他的関係(ループ)が生まれ、普遍性が実現される。芸術も学問もこのように想いを共有することで普遍性を追究する営みとなるのでしょう。


次は社会科学です。社会科学が扱う社会とは自然・人間を基礎として関係創発によって生じると考えるべきです。従来、社会は「下部構造」だと考えられていましたが、これだと人間以前に社会が存在することになってしまいます。そうではなく、社会は人間が創発する『上部構造』なのです(図5)。

社会は人間から離れて存在するものではありません。社会は確かに実在しますが、それは各々の人間の(脳の)中に形成されるのです。そして、社会は常に『他者』として立ち現れます。他者の存在や言動など、社会は常に他者という具体的な個が代表する(関係選択する)形で私たちの前に姿を現します。

例えば、『社会のため』と言う時、これは常に『他者のため』と読み替えることができます。こう考えれば、社会は幻想でも空虚でもありません。逆に、具体的な他者を想定できない様な「社会のため」という言葉は偽りだと判断できます。それは大抵、「自分のため」という狭い他者を暗に仮定します。

人間が社会を創発する過程とは自己と他者とが信頼関係で結ばれることに他なりません。社会を人間の下部構造と見る従来の考え方は社会は常に人間よりも重要だとする全体主義に陥ります。しかし、人間として他者と共に生きようとする時、ベクトルは反転し、社会は人間が創り出すものとなるのです。

社会を人間と分けて「理解」しようとすると、個人より「全体」を優先してしまいます。しかし、社会とは各個人が互いを『信頼』し合うことで関係創発する『統合体』です。社会科学という学問も、人間が社会を創発するため、『全体から統合体へ』、『理解から信頼へ』とパラダイムシフトすべきです。

さて、次からは社会科学の各分野の課題と見通しを論じます。社会科学の分野としては、政治学、法学、経済学、経営学、教育学、社会学があります。これらを順に考えていきましょう。最初は政治学から始めます。

まずは政治学です。政治学のテーマは『分権の歴史』と『独裁主義と民主主義の葛藤』です。政治の歴史は分権の歴史です。日本では、国王→豪族→貴族→武士→軍閥→資本家(→市民?)、の順で分権が進んできました。自然科学の新理論でも、個同士が平等化された状態が最も系の創発が進んでいます。

また、国際政治では、独裁主義に対抗するために自国が独裁主義に陥っては意味がないという葛藤もあります。独裁主義は競争に強いですが、競争は必ず破滅に向かいます。逆に、民主主義は競争ではなく共生の手段です。他者を支配するのではなく自己と他者の両方を尊重できるかが民主主義の課題です。

政治学の目標は『分権による統合』と『希望の共有』です。各主体の選択論で関係創発した系は多様性と関係性を両立し、生産的かつ創造的です。政治学で言えば、分権が進むことで統合も進み、各個人が平等化された状態が最もシステムとして安定で創造性にも富むのです。個人分権を目指しましょう。

また、人類が社会の分断や国家間の競争を乗り越え統合を実現するには未来への『希望』を共有することが何よりも大切です。希望とは『実現可能性のある理想』です。宇宙が進化し続け、人類が永続できる可能性があるという『希望』を共有することで、私たちは争うよりも協力する道を選べるはずです。

次に法学です。法学のテーマは『加害と被害の根源』です。物理学の新理論に基づくと、私たちは確かに意志を持ちます。しかし、この意志は、「自由意志」というよりは、関係構造から与えられた条件の中で選択し得る意志、『選択意志』と呼ぶべきものです。加害と被害もこの関係構造の中で生じます。

例えば、他者(社会)から多大な利己を受けた者が、自分を責めれば自殺し、他人を責めれば殺人を犯すでしょう。個人という主体が利己でなく利他を選択しようと努めることも、社会という関係構造の中の利己の偏りを解消することも、両方必要です。法学もこの発想での『内なる法の形成』が目標です。

次は経済学です。経済学の課題は『競争と交換の限界』です。生物学の新理論で考えると、利己的関係は利他的関係へと進化していきます。しかし、経済学の自由競争の原理と等価交換の原理はそれぞれ要素間関係と関係素間関係を否定するので、人間同士の利他的関係の創発を阻害してしまっています。

具体的には、個の集団の関係性は、無関係→一方的→双方向的→循環的、の順に利己的関係から利他的関係へと進化していくと考えられます。自由競争の原理は個を孤立させるので無関係に押し留めることになりますし、等価交換の原理は無償労働の実践を困難にするので循環的関係の実現を阻みます。

経済学の目標は『関係創発としての経済成長』です。従来の経済学は人間の利己性によって理論を構築しています。しかし、ダイアログラムでは系としての選択論の主体は中立的な立場にあり、利己性では理解できません。むしろ、経済成長は利他的関係(信頼関係)の創発として実現すると考えられます。

従来の経済学は経済を需要と供給の関係という個を捨象した全体主義的な見方で理解しました。しかし、21世紀の経済学は個人の内面を起点とし、利己か利他かを選択する心に意識を向けるべきです。そして、他者へと連鎖し続け最終的に自分に戻ってくる無償労働の選択で循環的関係を実現しましょう。

今度は経営学です。経営学の課題は『組織の限界と個人の役割』です。脳科学の新理論などに基づくと、生産や創造といった変化の起源は常に個の選択論です。故に、組織の役割は、個人の選択の自由を拡大しつつ、他者と協力的な関係を構築できる環境を整えることで、ネットワーク化の発想が必要です。

経営学の目標は『企業経営から人類経営への転換』となるでしょう。21世紀の今日では最早、競争を前提とする企業ごとに分断された経営も限界にあり、様々な問題を生じています。今後は人類全体で協力し経営するという発想が必要になってくるはずです。各個人が互いに協力し統合を実現すべきです。

次に教育学です。教育学の課題は『一律教育による再生産の限界』です。変化が加速する現代では上の世代の「再生産」としての教育は限界を迎えています。人類の営みは拡大・深化・ネットワーク化し、一律の教育ではカバーできません。「優劣」という一次元へと序列化する偏差値教育も時代遅れです。

教育学の目標は『個性教育による創造』です。学ぶ者の立場に立ち、各人の意欲と能力に合わせて学びの目標・内容・方法を選択できる『個性教育』が必要です。その際、専門を持たない『無門』も選択可能とするべきです。これで教育は再生産を超えて下の世代の『創造』を活かすものへと転換できます。

最後は社会学です。社会学の課題は『分断と孤立』です。異民族、異文化、異世代、異分野、異なる価値観や考え方を理由に、社会では個の分断と孤立が進んでいます。この背景に競争があります。競争と多様性は両立しません。私たちは『希望』を共有し、多様性を尊重しつつ協力を目指すべきです。

社会学の目標は『弘学者・無門家による統合』です。21世紀の科学革命、『弘学革命』の実現は全人類が『希望』を共有するために必要であり、これには弘学者が重要な役割を果たします。弘学者・無門家は異分野の科学者・専門家の協力を促し、多様な個人を関係付ける役割を担い、社会を統合します。


最後に応用科学です。応用科学の課題と見通しについて論じたいと思います。応用科学の課題は『倫理的特異点』です。『倫理的特異点 ethical singularity』とは、レイ・カーツワイルが提唱した「技術的特異点(シンギュラリティ)」から私が連想した造語です。以下で説明しましょう。

私が提起する『倫理的特異点』には二つの前提条件があります。一つ目の条件は『科学技術の加速度的進歩』、二つ目の条件は『創造と破壊の非対称性』です。さらに付帯条件として『統治と支配のジレンマ』があります。これらを順に説明し、そこから導かれる『倫理的特異点』について論じます。

まず、『倫理的特異点』の第一の条件『科学技術の加速度的進歩』です。これによって個人も強大な力を手に入れます。例えば、個人が遺伝子操作や人工細胞の技術で自由に新しい生物を創れるようになったとして、もし誰かがこの技術で全人類を滅ぼす病原菌やウイルスを製造したらどうなるでしょうか?

もちろん、残りの人々もこの病魔に対抗しようとはするでしょう。しかし、ここで『倫理的特異点』の第二の条件『創造と破壊の非対称性』が効いてきます。何事も創ることは壊すことよりも遥かに難しく、先の一個人による破壊の力に対抗する創造の力は残りの全人類でも実現が困難だと考えられます。

つまり、『科学技術の加速度的進歩』と『創造と破壊の非対称性』の条件の下で、人類が滅亡しないためには、『全ての』個人が自らの手にした力を破壊に用いないという倫理性を持つ必要があるということです。ここに人類の存亡に関わる倫理的に重大な問題があることを理解して頂けたでしょうか?

まとめると、『倫理的特異点』とは『各個人がたった一人で全人類を滅ぼすほどの強大な力を手に入れても、誰一人としてこのような全人類の破滅を選択しない程度の倫理的な心を持つことができるか』という問題です。その前提条件は『科学技術の加速度的進歩』と『創造と破壊の非対称性』の二つです。

倫理的特異点の前提条件『科学技術の加速度的進歩』と『創造と破壊の非対称性』は動かすことはできないでしょう。この倫理的特異点は、「技術的特異点」が本当に実現するか否かとは関わらず、「技術的特異点」よりも前にやって来ると予想できます。創造と破壊の究極の選択論の日が近付いています。

倫理的特異点には付帯条件もあります。『統治と支配のジレンマ』です。つまり、全ての個人を誰か一人か少数の人間の管理下に置く『統治』の方法を考えることはできます。しかし、統治者がこの力を『支配』に用いたら結果は同じです。結局、全個人の問題を一部の個人の問題にすり替えただけです。

倫理的特異点は「力」ではなくそれを行使する『心』の問題と言えます。心の調和性と排他性の葛藤というのは最早、ある国とある国の争いとか、誰かと誰かの争いではなく、私たち一人一人の心の中の問題なのです。個人的破滅が全体的破滅に直結するという難題を私たちは乗り越えられるでしょうか?

21世紀は『心』の時代です。『倫理的特異点』は全人間、全人類の最大の試練です。『倫理的特異点』を克服する方法は私もまだ分かりません。しかし、一つだけ見通しを示すならば、私たち人類が『倫理的特異点』を乗り越えることができれば、私たちは世界の平和と無限の創造を実現できるでしょう。


これで自然科学、形式科学、実験科学、人文学、社会科学、応用科学の各分野の課題と見通しを示すことができました。21世紀の科学革命は自然科学から始まり、他の学問分野へと波及していきます。この同時多発的な科学革命、『弘学革命』の実現を目指し、弘学者は異分野の科学者の協力を促します。

人類の歴史は最終段階に入っています。私たちは創造と破壊の究極の選択である『倫理的特異点』を克服できるかという最大の試練を前にしています。これを乗り越えるには全個人、全人類が協力しなければなりません。私たちは『希望』を共有し、共に平和な未来を創造しましょう。

以上で、『21世紀の科学革命のアイデア』第7弾 科学・学問総集編の連続ツイートを終わります。あまり学んだことのない分野にも冒険してアイデアを出しましたので、各分野の専門家の方々からもご意見を頂戴したいです。 #21世紀の科学革命 、 #弘学革命 を共に実現しましょう!


#21世紀の科学革命 のアイデアの発信、次回は最終回、弘学編です。21世紀の科学革命、 #弘学革命 の実現に向けて、弘学革命の意義と指針、弘学者の果たすべき役割を論じたいと思います。弘学は全ての学問を愛しています。そして、弘学への強い信念を持っています。それをぶつけます!


(次回分は 2019.04.27 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<8>弘学革命創始編』を転載します。 です。)