note記事『無門大学 分野を越えた学びの場をネット上に創ろう』を転載します。

2021.03.28

以下は今日の弘学研 gugakuken (noteアカウント)からのnote記事の転載です(2021年3月28日)。


今回は『無門大学』のコンセプトについて書きます。

分野を越えて学び合う場をインターネット上に創ろうという呼び掛けです。


『無門大学』の着想の根底にあるのは、日本の大学では学生に広い分野を学ぶ機会が与えられていないという問題意識でした。

日本の大学では専門家教育ばかりが重んじられ、アメリカの大学でよく見られるメジャー・マイナー(主専攻・副専攻)の制度さえ普及していません。ジェネラリスト教育も最近になってようやくごく一部の大学で着手されるようになったばかりであり、まだ一般的な学びの選択肢というには程遠いです。

日本の大学の教員の方たちは勘違いしておられるようですが、学生たちは大学の学部学科の「専門性を身に付ける」というアドミッション・ポリシー(入学者受け入れ方針)に納得しているわけではありません。日本ではジェネラリスト教育が普及していないから、広い分野に関心がある学生も選択肢がない中で仕方なく専門家教育を受けているだけです。

『弘く学び、学を弘める』『弘学』を目標に持った私自身もそうでしたが、『広く学びたい』という学生は確かに一定数存在していることが見受けられます。そのような学生たちの『広学心』にこれまで日本の大学教育は応えてきませんでした。広く学びたいなら独学で、と言うなら大学は要りません。学生の多様な学びの欲求に応える気のない大学に最高学府を名乗る資格はありません。弘学教育の実現は学生たちの学びの選択肢を増やすために絶対に必要です。


弘学教育の実現は今や学問及び社会からの要請でもあります。異分野の統合は真理探究においても課題解決においても最早不可欠です。

真理の究明は一つの学問分野だけでは達成できません。天文学の観測によって見つかった暗黒エネルギーと暗黒物質の謎に物理学の理論は答えを出せていません。物理学の従来の理論が意識は科学では扱えないと決め付けようとも脳科学は意識の謎の追究をやめません。コンピューター科学が心を人工知能に実装できると主張しても哲学は懐疑します。実験科学が再現性を科学の成立要件に求めても地球科学や生物学は地球史上の生命の誕生と進化の過程を再現することは望めません。生物学が進化心理学と称して人間の倫理性を自然科学の論理で説明しようとしても社会学は納得しません。

現代社会が抱える大問題はどれも分野を越えて生じています。新型コロナウイルスは影響が経済活動全般を含め広く社会全体に及んでいて最早医療だけの問題ではありません。福島の原発事故では原子核反応を扱う原子力工学には想定外の化学反応による水素発生が爆発を起こし放射性物質の放出に繋がりました。二酸化炭素の増大による地球温暖化問題は電力やエネルギーの供給と利用の在り方を通じて人間活動のあらゆる面に見直しを求めています。マイクロプラスチックの問題は人体や環境への短期・長期の影響の把握や物質文明の代表たるプラスチックの代替という難題を突き付けています。新たに開発されたがん治療薬や再生医療は医療費の高騰によって財政を逼迫させ命の値段を問い詰めます。情報技術によって生み出された仮想通貨は経済のみならず国家や政治の基盤さえ揺るがすと危惧されます。

専門家である大学教授たちがいくらジェネラリスト不要論を唱えても、学問や社会は分野を越えた問題を次々と提示してきます。このような問題を解決するためには、一つの分野の知識や経験しか持たない専門家だけでは足りず、広く学び分野を横断する人間が多数かつ多様に必要です。『専門を持たない』という在り方を私は『無門』と呼びます。無門家は各々の専門分野に囚われている専門家たちの視野を広げ、新しい発想をもたらし、分野を越えた協力を促します。弘学者・無門家の誕生を学問も社会も待望しているのです。弘学教育・無門教育の実現は急務です。



私は弘学教育・無門教育の必要性を訴えてきました。しかし、大学改革は遅々として進みません。分野を越える弘学者・無門家を既存の大学では育てられないのなら、いっそ既存の大学には囚われない超大学を新しく創ってしまえばよい。これが分野を越えた学びの場、『無門大学』の着想です。

専門家が牛耳っている既存の大学の改革を待っていても時間が掛かり過ぎます。ならば、インターネット上で専門分野に囚われず広く学ぶ意欲を持つ人々と呼び掛け合って、新しい大学の創設を勝手に宣言して、広く学び合い、教え合えば良いと思い付いたのです。カリキュラムも自分で作って、研究も自由な形で実践します。

大人たちに弘学教育を造らせると画一化してしまうでしょう。自分たちで弘学教育を創ればもっと自由にやれます。教育も子どもたち、若者たちの手で自由に創っていいのです!


思い返せば、論文『弘学』を書いた当時も「弘学部・弘学科・弘学研究室を創設する」という案に留まっていて、既存の大学の枠組みの中で弘学教育の実現を目指していました。しかし、既存の大学を変えようとするよりも大学ごと新しく創ってしまう方が早いと思い至ったのです。新しい大学で弘学教育を実現すれば良いのだと。

具体的には、『広く学ぶ』という志を同じくする者たちがインターネットやSNSを介して繋がり、分野を横断して広く学び合い、教え合い、弘学研究を実践して共有し合います。専門家になること、専門を深めることを目標とする人も異分野を学びたいという意欲があるなら共に分野を越えて学び合います。この弘学学派・無門家集団・異分野学習者としてネットワークで繋がる個人の総体を『無門大学』と呼びます。弘学教育を自分たちで自由に創り、弘学者・無門家になりたい人、弘学や無門を学びたい人が弘学教育・無門教育を受けられるようにし、異分野を学ぶ機会を求める人の要望にも応えます。そうして弘学者・無門家を増やしつつ、異分野の科学者・専門家を結び付けます。広く学びたい人の意志を尊重することが正しいと信じると共に、弘学者・無門家の存在や異分野の科学者・専門家の協力が日本そして世界をより善く変えていくと確信する者たちが無門大学に集うのです。


『無門大学』という命名は、着想した当初は「弘学大学」と呼んでいましたが、似た名前の大学が既にあることや、特に学問の在り方を表す「弘学」よりも専門を持たない在り方を総称する『無門』の方がより広い意味を以て学ぶ人々を包摂できると考え、改めました。

『無門大学』はまず専門を持たない学びを尊重することを表します。また、『門が無い』から誰でも自由に入学できるという意味や、「名門大学」ではなく『無名大学』であり、学歴主義や権威主義を排して平等で対等な学び合いを実践するという意味もあります。

『無門大(むもんだい)』と省略すると『無問題(むもんだい)』と読めて、中国語の方言の『無問題(モウマンタイ)』という言葉から、このコロナ禍にあって『問題ない』『大丈夫』という希望を示したいという願いも込めています。

また、『無大(むだい)』と省略すると『無題(むだい)』とも読めて、白紙のファイルを新規作成するように、真っ白なキャンバス(画布)の如く、新しく自由なインターネット上のキャンパス(大学)で自らの学びを思い描こうという想いも込めます。『無代(むだい)』と読めば、学ぶのに代価は要らず、学費は無料であるという意味にもなります。



実際問題、大学に「弘学部」という部局を設けても組織の論理では統合を実現できないのかもしれません。弘学者や無門家は日常的に一つの学部や組織に集まっていてもあまり意味がなく、それぞれの持ち場に分散して存在しつつ繋がって学び合い教え合う方が良いのでしょう。弘学はむしろ『無門大学』という超大学的な学派・集団であってこそ学問や社会の統合を実現できるのだと思います。

そう考えると、これまで大学で弘学教育を実現できなかったのは、大学人の怠慢ではなく、弘学教育というものが大学以前に組織というものに合わなかったからということになるでしょう。組織というものは同じ一つの目的を共有することすなわち専門化が前提であり、既存の大学という組織も専門性を効率的に育てることには適しています。しかし、組織化するという方法は『広さ』を志向する弘学の教育を効率化できませんし、多様性が求められる弘学の学びを効果的に実践することにも適しません。例えば、専門教育は教える人と学ぶ人を一所に集めることで効率化できますが、弘学教育でこれをやろうとしても色々な分野の教育者をあちこちから集めてくるのに手間が掛かりますし、そうしたとしても学習者が皆同じ教育者から学ぶのでは学びの多様性は酷く限定されたものにしかなりません。

したがって、弘学の学びを実現するには組織ではなく個人が主体となって自ら学ぶ必要があり、同時にそのような個人が広くあちこちの分野や組織に分散して存在しつつ、ネットワークで互いに繋がって学び合い、弘学の知見や経験を共有することが理想的となります。この弘学を実践する各個人の間のネットワークを実現する上で物理的な制約を解消するインターネットやSNSといったツールは本質的に重要です。言い換えれば、学問や教育においてインターネットやSNSの真価は弘学の学びの実現を可能とすることにこそあったのでしょう。

現在のコロナ禍の下で大学の授業がオンラインとなり、対面授業を求める声も多いです。しかし、専門教育においては対面授業にもある程度合理性がありますが、弘学の学びにおいては色々な分野の人々から学ぶために空間や時間の制約に囚われないオンライン授業の方がむしろ適しています。オンライン授業が一般に開講されれば、今日はまず東京の先生の授業を受けて、次に大阪の先生の授業を受けて、その後は北海道の先生の授業を受けて、最後に沖縄の先生の授業を受けるということも実現可能です。私も今更ながら気付きましたが、コロナ禍は弘学の学びの実現を後押ししていると言えましょう。

時には弘学者や無門家も交流会や学会のような形で一堂に会して交流する機会もあると良いですし、そのような会合を主催する役割を担う上でも大学に「弘学部」に類する部局を設けるというのは一つの試みとしてあった方が良いと思います。しかし、一方で大学が弘学教育の実現に向けて果たすべきより重要な役割はインターネットを利用してどの大学の学生も一般の学習者もあらゆる大学の教員の授業をオンラインで自由に受けられるシステムを構築することでしょう。広く学びたい、異分野を学びたい、あの先生に学んでみたい、質問してみたい、議論してみたい、そのような学びの目標を実現する方法は既にあるわけですから、全大学の協力の下で是非この夢を実現して頂きたいです。


無門大学の主たる活動の場はインターネットやSNS上となります。リアルで直接会うことなくSNSだけで緩くあるいは密に繋がるという形も許容されるべきだと思いますし、実名に限らず匿名アカウントでの参加も自由で対等な学び合いのために許されるべきだと私は考えています。上の世代の方々は「ネットだけでなくリアルの繋がりが必要」「自分の身近にロールモデルがいることが大事」などと話されますが、単に自分が若い頃にはまだインターネットやSNSが今ほど普及しておらず、他者とのコミュニケーションや憧れとの出会いがリアルの場に限られていただけだと思います。他者に通ずる普遍を求める学問の実質はコミュニケーションの形態に囚われるものではありませんし、今の時代ならネットでも憧れを見つけることができます。

実際、私自身も研究の道を志したきっかけは学部2年生の冬にネットで偶然見つけた創薬の過程を紹介するパワーポイントか何かの資料を読んだ時です。その資料は確かインフルエンザの治療薬の開発の過程を図解で説明したもので、その「論理的分子設計」のプロセスを知って『これやりたい!!』と憧れて創薬研究の道を目指し始めました。その後、化学科の学生ながら実験が極度に不得手だったので創薬研究者の道は挫折しましたが、新しい創薬の可能性を考えることを通してアイデアを発想することの楽しさや喜びを覚えると共に、生物学という異分野を初めて学んで異分野にも面白い世界が広がっていることを知りました。そこから弘学の道を歩み始め、自然科学の各分野を広く学んで新理論のアイデアを探究するという現在の在野研究のスタイルに至っています。

私が若い頃はまだスマホが普及し始める前だったのでインターネットを日常的に使うようになったのは大学生になって自分のパソコンを持つようになってからですが、今は高校生でもスマホを持つ時代なのでインターネットやSNSはよりリアルの日常に溶け込んでいます。憧れは日常の中の非日常、偶然の出会いであり、何が自分の心に共鳴するかは出会ってみないと分かりません。自他共にコントロールできるものではありませんが、若者が憧れを見つけるにはネットでもリアルでも具体的に現場で行われている仕事や活動を見えるようにしておくことではないでしょうか。創薬研究に憧れを見つけた瞬間の私のように、ディスプレイに表示される文字や図だけでも、そこに心に通ずる何かがあればきっと伝わるはずです。無門大学で学問の現場、研究の過程を見えるようにすることも若者が学問や研究に憧れを見つけるきっかけになればよいと思います。



私自身は『弘学』と『創造性』の追求をライフワークに位置付けています。これまでは異分野統合による科学革命『弘学革命』の実現に向けて研究アイデアの公開・共有に努めてきました。『弘学革命』が研究の取り組みなら、『無門大学』は教育の取り組みです。今後は分野を越えた学びの場『無門大学』の創出をインターネットやSNSで呼び掛けながら、その中で自身も弘学の学問論や創造的思考法を論じていきます。無門大学でアイデアを共有すると共に創造性を育てて、仲間を増やし、弘学革命を加速することを目指します。発信物のアクセス性を確保する面倒な作業もようやく完了し、新年度からは学習と研究を本格的に再開できそうなので、新しいことを学び、考え、議論するのが今から楽しみです。

独創を共創へと進化させることも弘学者である私の使命なのだろうと感じています。過去の科学革命でも先人たちは独創を実践してきましたが、21世紀の弘学革命では共創を実現することが目標です。個人の創造性を伸ばすことは前提として、これをさらに集団の創造性へと発展させることが無門大学の取り組みには求められます。『個人が協力して創る』時代とはこのことなのでしょう。私にとって最大の課題、最後の試練です。『独創を、共創へ』!


私はこれから『弘学革命』と『無門大学』の二枚看板を打ち出して学問に邁進したいと思います。

『無門大学』で分野を越えて学び合い、異分野統合による科学革命『弘学革命』を実現しましょう!!