連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<8>弘学革命創始編』を転載します。

2019.04.27

以下は昨日の弘学研 @gugakuken (Twitterアカウント)からの連続ツイートです(2019年4月26日)。

(前回分は 2019.04.24 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<7>科学・学問総集編』を転載します。 です。)


今日は今から『21世紀の科学革命のアイデア』第8弾 弘学革命創始編の連続ツイートを始めます。本シリーズは今回の弘学編が最終回です。『#弘学ぐがく』は #21世紀の科学革命 で重要な役割を担います。故の『#弘学革命』。弘学革命の実現に向け、弘学の意義を論じます。では創めます。

今回の弘学編では、まず弘学とは何かを説明し、弘学革命の必要性と意義を論じます。また、なぜ日本で弘学革命が始まるのかも考えてみたいと思います。そして、弘学革命の指針と弘学者の役割を示します。最後に、21世紀の科学革命、弘学革命の実現を呼び掛けたいと思います。では始めましょう。


まず、弘学とは何かを説明します。その前に「科学」という言葉を考えてみます。「科学」は「科目に分かれた学」がその語源です。元々、西洋の“science”を日本に輸入する際、既に多くの専門分野に分かれていたため「科学」と翻訳されたのですが、事実、科学には専門分化する性質があります。

この専門分化する性質を持つ「科学」に対し、私が提唱する『弘学(ぐがく)』は『弘(ひろ)まる学』という意味で、『弘く学問する、学問を弘める』という学問の在り方を表します。このように『弘学』は「科学」の対となる言葉として位置付けることができます。『弘学』は学問の統合を担います。

また、私は「専門」の対義語として『無門(むもん)』という言葉を造りました。『無門』は『専門を持たない、専門に囚われない、無数のことに意識を向ける』という意味です。専門を持たない『無門』としての学問が『弘学』というわけです。専門分化する科学に対し、弘学は無門統合を目指します。

まとめますと、『学問』は、専門を深め分化を担う『科学』と、無門を広め統合を担う『弘学』の、二つから成ります。

学問 science=科学 deepening science+弘学 broadening science

となるのです。弘学の誕生で科学は新しく位置付けられ、学問は進化します。

ちなみに、『弘学(ぐがく)』は当初は「広学(こうがく)」と呼んでいましたが、これだと「工学」と誤変換されてしまうので違う読みのできる字にしました。『弘学』の『ぐ』と『科学』の『か』は母音・子音を入れ替えると『が』『く』=『学』になり、四つの音素で『学問』の全てを表せるのです。

専門を追究し学問の分化の役割を担う科学者と、無門を追究し学問の統合の役割を担う弘学者。弘学者が誕生し、科学者と協力することで、全ての分野での同時多発的な科学革命、『弘学革命』をこの21世紀に実現することができると私は考えています。


次に、弘学革命の必要性と意義について論じます。現代の科学者、科学、大学、学問、社会、人類が抱える問題を提示し、これらの問題の解決に弘学者・無門家が必要であることを論じます。その上で、弘学革命の意義を示したいと思います。では、現代の私たちが抱える問題をまず考えてみましょう。

第一に、科学者が抱える問題です。科学者は専門分化によって視野狭窄と孤立化に陥っています。異分野の科学者同士で意思疎通が困難になっていることが原因です。この最たる問題がC・P・スノーが提示した科学文化と人文文化の「二つの文化」の断絶です。解決には断絶を乗り越える人間が必要です。

第二に、科学が抱える問題です。市民の科学へのアクセスと科学者の説明責任が問題となっています。これらの問題が深刻化しているのは、科学が発展して社会への影響力が増す一方、科学の閉鎖性と専門分化が知の共有を阻んでいるからです。市民と科学者の相互理解を促進する科学の仕組みが必要です。

第三に、大学が抱える問題です。大学改革が叫ばれていますが、これを阻むのは大学人の専門性への固執です。異分野の知を受け入れるには専門に囚われない人間が必要であり、学問も社会もそのような人間を必要としています。教育を担う大学はこれを自覚し、社会の中で主体的に役割を果たすべきです。

第四に、学問が抱える問題です。学問の自由が大学人や職業科学者という一部の人間だけに独占されていることは問題です。学問の自由は全ての人に開かれるべきです。大学や科学の伝統的な教育を受けていない人々が学問や科学の営みに参加することで、学問や科学に新たな可能性が芽生えるはずです。

第五に、社会が抱える問題です。社会では人々の分断と孤立が進み、不満と憎悪が蔓延しています。多様な人々を競争させていること、希望がないことが原因です。私たちは希望を共有し、協力的な関係、共生を目指すべきです。その際、「官・産・軍・学」の組織を補完する個人の役割を重視すべきです。

第六に、人類が抱える問題です。人類が抱える諸問題を解決するには、『力』も重要ですし、それを行使する『心』も大事です。『倫理的特異点』は創造と破壊の究極の選択であり、私たち一人一人の心の葛藤の問題です。私たち人類はこの心の葛藤を乗り越え、平和な未来を創造できるでしょうか。

以上の現代の私たちが抱える問題を踏まえて、弘学革命の意義を考えてみましょう。まず、21世紀に私たちが実現すべき科学革命は異分野協力によって実現します。この異分野協力を推進するのが分野を越える弘学者の役割です。故にこれは『弘学革命』となります。人類初の同時多発的な科学革命です。

また、弘学革命は平和的革命です。今の世界も、特に日本も、希望がない、希望が見えないことが最も根本にある問題です。そこで、まず学問の世界から協力・共生の可能性を示し希望を共有することが目標です。これが普遍を探究し未知へ挑戦する学問の役割であり、故にこれを『弘学革命』と呼びます。

学問の世界での分野を越えた共創の実践、そしてそこから得られる学問的成果は、人々の希望となり、共創の取り組みは社会全体に拡がっていくでしょう。そして、全ての個人が協力して未来を創る指針となり、全人類の幸福と世界の平和の実現へと繋がるでしょう。『弘学革命』の意義はここにあります。


さて次は、なぜ日本で弘学革命が始まるのかを考えてみます。第一の理由は、日本が弘学を実践しやすい環境だからです。日本は東洋と西洋の境界に位置し、両方の文化が交わり共存します。東西両文化が歴史的に蓄積し、アクセス可能です。特に東洋思想や仏教は21世紀の科学革命で重要になります。

また、日本では母国語で学問を学ぶことができます。松尾義之さんが『日本語の科学が世界を変える』で示す様に大変恵まれています。漢字文化を捨てた韓国の苦悩は如何ばかりか。日本では外国語を習得していなくても学問を学び始めることができるので、初学者でも最先端の問題を知ることができます。

日本では外国語を未習得の初学者でも学問を学べます。故に、初学者の純粋な眼と柔軟な頭と開かれた心でその分野の未解決問題について思考できます。また、外国だけでなく異分野にも異文化があることが忘れられがちですが、日本では専攻分野の外の事も母国語で自由に学べるので弘学を実践できます。

また、科学史家の中山茂さんは『パラダイムでたどる科学の歴史』で科学革命が西洋で起こった理由に「議論する」文化を挙げましたが、これと対になる東洋の「読み書きする」文化は弘学の実践に重要です。つまり、多分野の人々に直接教えを受けに行くのは大変で、書物を通して独学する方が容易です。

さらに、西洋の「耳と口」の学問の弱点が活版印刷の技術で解決し科学革命に繋がったとすると、東洋の「目」の学問の弱点はインターネット・SNS・Twitterで解決し弘学革命に繋がるでしょう。特に漢字の様な表意文字は口頭より文章での議論に向き、日本は中国と比べ情報統制も少ないです。

そして何より、西洋に負けじと近代化を進めてきた日本には各分野に数多くの専門科学者がいます。専門科学による知の蓄積は弘学・無門を実践するための基礎となります。弘学者が誕生し、科学者と協力することで、これらの専門科学の知を統合し、21世紀の科学革命、弘学革命を実現できるはずです。

日本で弘学革命が始まる第二の理由は、日本人の和の精神が弘学に通ずるからです。西洋の『民主主義』が自由・主体性・多様性という個の文化に通じ、これが科学を生み出したとすると、日本の『勤勉の精神』は共生・利他性・関係性という和の文化に通じ、これが弘学を生み出すと考えられます。

日本人の美徳とされる『勤勉』という字は『勤労』と『勉強』が合わさっています。このうち、『勉強』は「強いる」と受け取られがちですが、辞書を引くと「勉」にも「強」にも「つとめる」という意味があります。故に、『勉強』は「強いる」ではなく『努力する』を意味する熟語だと考えるべきです。

『勉強』する、『学ぶ』とは、他者の言葉を理解すること、『他者を理解する』ことです。だから、人は学ぶと他者に寛容になります。コミュニケーションの成立条件も「話す」ではなく『聞く』です。日本には異文化を受容する文化があり、異分野の知を理解しようとする受容性は弘学の肝でもあります。

また、『勤労』という言葉には心身を尽くして仕事をするという意味があります。『勤労』も本来、『他者を助ける』ことです。そして、他者と共生し、互いに助け合うことで利他的関係を創発できます。弘学者・無門家も異分野の科学者・専門家の共生的・協力的関係の構築を助けることを使命とします。

弘学者・無門家は『他者を理解する』『他者を助ける』という『勤勉の精神』で異分野の人々のチームワーク・ネットワークを実現します。それは本来、『和』を尊ぶ日本人の得意とする所です。弘学者・無門家は日本人の『和』の精神を体現するのです。『和』の心が弘学革命の実現を可能とするのです。

西洋の民主主義、『個』の文化から生まれた科学と、日本の勤勉の精神、『和』の文化から生まれる弘学とが合わさることで弘学革命が実現します。弘学革命は科学と弘学の協力が生む学問の可能性であり、『個』と『和』が結ぶ『絆』、人類の希望です。日本発の科学革命、『弘学革命』が始まります。


さあ、ここで弘学革命の指針を示しましょう。弘学革命には6本の柱があります。これらは科学社会学の創始者のロバート・K・マートンが挙げた科学者に共有される規律、マートン・ノルム(Marton CUDOS、Wikipedia「科学社会学」より)に対応し、それぞれ発展させます。


弘学革命の6本の柱の前半です。(括弧内はMarton CUDOSより)

①万人の科学:インターネット上で科学する(⇔公有主義)

②アウトサイダー・サイエンス:大学の外で学問する(⇔普遍主義)

③平和共創イニシアチブ:まず自らが競争から共創へと転換する(⇔利害超越)


弘学革命の6本の柱の後半です。(四番目は新たに追加)

④無門も含む個性教育:専門を持たない学びの選択肢も示す(新しく追加)

⑤葛藤的弘学:異分野の知が創造的葛藤を可能とする(⇔系統的懐疑主義)

⑥パラダイム・クロス:次の科学革命は異分野統合で実現する(⇔独自性)


弘学革命の柱は互いに連関します。また、『弘学』は科学と社会の間に入る「ポスト通常科学」(ジェリー・ラヴェッツ)となります(図1)。中山茂さんの「学問論も科学革命を受けるのである」(『パラダイムと科学革命の歴史』)の予言通り、弘学革命は科学や学問それ自体も進化させるのです。


弘学革命の6本の柱を順に説明します。第一の柱、『万人の科学』とは『科学は人類の共同事業であり、全ての人が自由・平等に科学に参加・関与でき、科学の過程と結果を共有でき、科学の成果から恩恵を享受できる』とするものです。これは「公有主義」を科学者集団から市民全体に拡大するものです。

科学は万人に受け入れられるものでなければなりませんから、一部の人間の間だけで共有されているルールは科学の本質ではありません。例えば、神が世界を創ったとする創造説がたとえ誤りでも、創造説を主張する自由を奪うのは科学的態度ではありません。発言の自由を認めた上で批判すべきです。

査読制度も限界です。ソーカル事件もSTAP論文騒動も分野を問わず査読が真理を保証しないことを示します。「時々嘘が入り込む正直者」こそ一番厄介である様に、100%の真理を保証しない査読制度は無意味です。真理は数人の査読者ではなく万人の批判と追試によってしか明らかになりません。

出版文化も限界です。万人が求めるオープンアクセスを阻む科学論文誌の出版社を延命しているのは、有名誌に論文を投稿したがる科学者の権威主義に他なりません。また、知識人は著書を出版しようとしますが、現代のネット社会では書籍は読まれず、出版で真理を万人に届け啓蒙するのは困難です。

現代はインターネットの時代です。研究はインターネット上に公開すれば良いのです。一昔前は論文や書籍を出版するのはお金が掛かることで簡単にはできませんでしたが、今はインターネットによって大したお金も掛けずに知を共有することができます。出版からネット公開へと転換するべきです。

さらに、インターネットの真価は『双方向』です。「一方向」の出版では実現できなかった、インターネットの『双方向』を活かすには、研究を「結果」でなく『過程』の段階から公開・共有するべきです。世界中と多対多・双方向で今を共有することはSNSやTwitterなら可能で、共創を加速します。

一方、科学の社会に対する影響力も増大しており、科学者が市民に対して説明責任を果たしていくことも不可欠です。しかし、専門家の科学者と専門外の市民との対話には困難も伴います。そこで、科学の見識を持ちつつ社会への影響にも配慮できる弘学者が科学者と市民の対話を支援する役割を担います。

「Publish or Perish 出版せよ、さもなくば滅びよ」から『Update and Upload 時代に追い着け、そうすれば発信できよう』へ。アクセスしやすいインターネットで研究を発信し、また、弘学者の支援で科学者と市民の相互理解を深め、『万人の科学』を実現しましょう。


次に弘学革命の第二の柱、『アウトサイダー・サイエンス(サイエンス・ブリュット)』とは『科学や学問に関する教育を受けていない者による科学研究・学問探究の活動』です。これはアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)からの連想で、「普遍主義」を職業科学者以外にも適用するものです。

『アウトサイダー・サイエンス』は、学校や大学で教育を受けていない(受けられない)者、具体的には、不登校の人やひきこもりの人、障害者、経済的・社会的弱者といった人々が学問の自由を得て科学研究や学問探究に取り組むことで、科学や学問の新たな可能性を開こうとする試みです。

科学史家のトーマス・クーンは『科学革命の構造』で、パラダイムの発明を実現する人のほとんどが「非常に若い」か、「分野に新しく入ってきた新人」か、「どちらかである」と指摘し、これらの人々は「通常科学の伝統的ルールに縛られることがなく」「外のものを考えよう」と「なり易い」とします。

知識や経験の浅い者が、既存のパラダイムで説明できない変則事例と出会い、素直に発想して科学革命を起こします。実際、ニュートンは20代中頃の若者、ドルトンは気象学からの新参者、ダーウィンは自称地質学者の独学者、アインシュタインは特許庁勤務のアマチュアとして科学革命を実現しました。

ここから、現代では科学や学問の伝統的な教育を受けていないアウトサイダーこそが科学革命を実現し、科学や学問の新たな可能性を開くと予想できます。アウトサイダー・サイエンスは大学や企業、政府といった組織による科学・学問を補完するもので、ネットワークで繋がる個人が重要となるでしょう。

実際、現状では専門家育成に傾倒する大学で教育を受けるより、独学の方が弘学を実践しやすいです。また、大学人には観察者として「社会から一歩、離れる」のを良しとする風潮がありますが、アウトサイダーにとっては研究や学問に取り組むことは主体的に『社会へ一歩、踏み出す』機会にもなります。

学問は人生を充実させてくれますし、うまくいけば人類に貢献することもできます。また、学問は他者と関わる社会参加の機会にもなります。私は、不登校・ひきこもり・障害者の人々にも『学問する』という選択肢を示したいです。また、経済的・社会的に恵まれない人々にも学問の場を作りたいです。

私自身も統合失調症を患う精神障害者で、大学を中退したひきこもりですが、学問に楽しみを見い出しています。学問でも劣勢な方を応援することや少数派の視点は重要ですし、助け合う心を持つ弱者こそ新時代を始めます。SNS・Twitter上で『アウトサイダー・サイエンス』を展開しましょう。


次に弘学革命の第三の柱、『平和共創イニシアチブ』とは『世界平和に向けて、国家よりもまず個人が他者と信頼関係を築くため、まず自らが他者への協力的な行動を実践するという試みを、まず学問の場で共創として実現しようとする運動』です。これは「利害超越」に発見の行為まで含めるものです。

『平和共創イニシアチブ』は、アメリカの心理学者のチャールス・オスグッドの、軍縮の実現に向けた「平和のための段階的な一方的イニシアチヴ」を参考にしたものです。このオスグッドの考えは湯川秀樹さん・朝永振一郎さん・坂田昌一さん編著の『核時代を超える』で坂本義和さんが解説しています。

オスグッドが提唱する「平和のための段階的な一方的イニシアチヴ」とは、「軍縮を実現するためには」、「協定や合意」や「相手が守る」という「保障などがなくても」、「まず自分の側から、自分の安全を根本から脅かさない限度で、一方的に若干の軍縮を行なって譲歩する」というものです。

湯川秀樹さんが「世界の平和なくして学問はない」と述べた様に、学問の自由を求める者にとっても平和の問題は無視できません。科学者や大学人、学問を探究する者も平和の問題を他人任せにすることはできず、自らの問題として主体的に取り組むべきであることは、湯川さんの言葉通り、当然なのです。

しかし、科学者や大学人、学問を探究する者が自身を省みた時に気付くべきことは、自らも学問の世界で競争に明け暮れているという事実です。競争は必ず戦争に向かい、最終的に人類共滅に向かいます。普遍を追究するべき学問の探究者が競争に明け暮れていては、世界が平和になるわけがないのです。

世界の平和を実現するためには、普遍を追究する科学者、大学人、学問の探究者がまず競争をやめ、他者と協力的な関係を築くことの可能性と意義を示すべきではないでしょうか。そう信じる私がまずそれを実践してみよう。これが弘学革命の柱の一つ、『平和共創イニシアチブ』の骨子となります。

平和共創イニシアチブは、具体的な実践としては、自らの業績は捨て、研究のアイデアを惜しみなく公開し共有します。研究の結果がまだ出ていなくても、研究を目標や計画、過程の段階から公開・共有していきます。そして、他者と協力して研究を進めていくのです。「軍縮」を個人から始めるわけです。

『平和共創イニシアチブ』の実践が広まり、学問の世界で共創を実現して、個人が他者と協力する未来を示すことができれば、この希望は人類全体へと拡がっていき、世界平和の実現へと繋がっていくでしょう。世界の平和も個から始まります。平和を想う心から全ては始まるのです。


次に弘学革命の第四の柱、『無門も含む個性教育』とは『学ぶ者の個性に合わせた教育「個性教育」を実現するため、学ぶ者の意欲と能力に合わせて学びの目標・内容・方法を選択できるようにし、その際、専門を持たない「無門」も選択可能とする』ものです。これは弘学者・無門家の育成も兼ねます。

一律の学習指導要領での教育は時代遅れです。学問の分野に限って見ても、この多様な世界を理解するには多様な人間が必要です。また、各々の専門分野が深まるほど、専門家の役割が重要となると同時に、分野を越えて活動する無門家の役割も重要となります。分化と統合は同時に進む必要があるのです。

今の日本の教育では尖った人が切り捨てられるため、普通の人も没個性となってしまいます。また、各分野の専門家は皆、自分の専門分野を教育に盛り込もうとしますが、人それぞれ必要となる能力や心構えは異なるのですから、カリキュラムで必修科目を増やすのはかえって個々人の可能性を閉ざします。

能力というのはある能力を伸ばすと別のある能力が落ちるという関係にあることも多々あります。それ自体が問題なのではなく、ただ一つの理想像を設定し押し付ける一律教育が問題なのであって、各人の意欲を尊重し、目標の達成に必要な能力を取捨選択して養成するという個性教育に転換するべきです。

例として、『学ぶ』と『考える』は学問の両輪ですが、『学んでから考える』は通常科学的方法で効率的である一方、『考えてから学ぶ』は科学革命的方法で創造的であり、これらは一人では両立できません。人類が両方の可能性を追求するには、各人で取捨選択した上で他者と協力する必要があります。

弘学教育の斬新さも、新しい型の人材を育成するということよりも、一人で完璧を目指す必要はないという発見にあります。専門と無門の両方を一人で実現する必要はなく、専門家と無門家、科学者と弘学者、両方を育てて互いに協力させれば良いという発想の転換こそ『無門も含む個性教育』の要点です。

特に、上の世代ほど専門化してしまっているので弘学の実践は難しく、下の世代の方が弘学を実践しやすいのです。この意味でも弘学者の誕生は革命的です。また、弘学者・無門家はその広い見識で、異分野の研究者から成る大学の運営や、大学と政府や企業、また、広く社会の人々の関係構築を担えます。

深めることに際限がない様に、広めることにも際限はありません。故にそこでも取捨選択が必要になります。大切なのは他者と協力し人類全体でこの世界をカバーできればそれで善いと理会することです。二兎を追い二兎を得る。『無門も含む個性教育』と他者と協力する和の心で多くの道を選択できます。


次に弘学革命の第五の柱、『葛藤的弘学』とは『異分野の知を併せ持つ弘学者・無門家による内面での主体的な葛藤が、創造的な問題の発見・認識や判断・解決を可能とする』というものです。これは「批判的科学」を発展させ、「系統的懐疑主義」を弘学者の主体的葛藤の克服の過程に変換するものです。

現実の問題は専門家が想定する以上に複雑かつ密接に関係しており、異分野の視点が重要になることがあります。例えば、福島の原発事故では「水素が建屋にたまることが原子力屋の盲点だった」そうです。原子力発電は原子核反応で物理学の領域、対して水素の発生は化学反応で化学の領域だったのです。

また、専門の中だけで強引に問題を判断し解決しようとすると、極端な方法に陥って他への悪影響が深刻化してしまうこともあります。専門家は専門外では素人同然で、他への影響には知識も考えも及ばず、責任もない場合も多いです。専門家のこの無知・無謀・無責任とその無自覚は縦割りの弊害です。

このような多岐に渡り、複雑に入り組み、切り分けることができない問題、そういう問題を弘学者・無門家が発見・認識し判断・解決する役割を担います。弘学者・無門家は広い知識と視野、バランス感覚を持っていますから、このような問題に対処することが可能であり、責任を担うことができます。

また、科学の負の面を知ることはそれをプラスに転化させるためにも必要で、現行の科学を批判する「批判的科学」も大切です。しかし、「批判」は他者に向かい無責任に陥りがちです。自己批判の実践には自身の問題とする必要がありますが、専門分野の中にいる科学者は自・他を区別するので困難です。

弘学者は「自分野」を持たないので「異分野」の認識もなく、自・他を区別せず自身の問題として受け止めることができます。そこに生じるのは客観的な「批判」というより主体的な『葛藤』です。自己と他者とでは「異分野対立」(宮野公樹さん)ですが、弘学者の内面では『分野間葛藤』となるのです。

異分野を内に含む弘学者が自身の問題として主体的に葛藤することで、創造的な解決策が生まれてきます。分野間の葛藤を乗り越えて到達した境地は普遍に値するものとなるはずです。また、弘学は自己と他者を分けないので、差別を防ぐ力もあります。自己と他者を大切にするのも弘学の役割の一つです。

専門家は気付かないで途方に暮れているようですが、全体を見渡せば、『ここで起こっている問題の解決の鍵はあっちにあるな』ということばかりです。弘学を実践していると、自然と世の中の問題の解決の糸口は見て取れるようになります。『葛藤的弘学』で異分野の知を繋いで蒙を啓くことが大切です。


最後に弘学革命の第六の柱、『パラダイム・クロス』とは『21世紀の科学革命は異分野のパラダイムが交わる異分野統合によって実現する』というものです。これはクーンの「パラダイム・シフト」とフランス・ヨハンソンの「交差的アイデア」を合体し、「独自性」を異分野共創へ飛躍させるものです。

ヨハンソンの『アイデアは交差点から生まれる』の、異分野を結び付ける「交差的アイデア」は非常に創造的です。しかし、宮野公樹さんの指摘通り、「異分野協力」だけでは新分野が乱立し学問は細分化します。特にスノーが『二つの文化と科学革命』で提起した科学文化と人文文化の溝は深いままです。

また、基礎科学が通常科学として発展を続けると、専門分化して枝葉末節な研究が増えていき、代わりに応用科学の芽が伸びていきます。通常科学が進展するにつれて科学が基礎から応用へとシフトしていくのは必然なのです。ならば、基礎科学の再興に必要なのも、基本パラダイムの転換、科学革命です。

基礎科学を再興し、学問の細分化、二つの文化の断絶を乗り越えるには、異分野協力を質的に変化、各分野のパラダイムの間の矛盾を解消し、末節の融合を超えて本質から統合する試みが必要です。文理融合改め、文理統合。パラダイムが交わる異分野統合としての科学革命、『パラダイム・クロス』です。

パラダイム・クロスの実現には従来の異分野協力では足りません。自分の頭の中の概念を結び付けるのは容易ではなく、ましてや自分の頭脳と他人の頭脳を結合させて新しい発想を得るのはもっと困難です。異分野交流には自ずと限界があり、異分野の科学者を集めるだけでは知の統合を実現できません。

やはり、『人』が大事で、知の統合にはそれに特化した、分野間の境界を越える人間が必要です。それが弘学者・無門家です。弘学・無門は異分野交流の限界を超える試みです。弘学・無門は偶発的なアイデアの出会いを意図的に実現する方法で、これによって異分野統合を加速することができるはずです。

私が実践して感じた弘学の良さは①異分野からの連想で新問題を発見②異分野の問題の統合で問題認識を多面化・ヒント増加③異分野の発想の転用で問題解決です。視野が広がるほど発想も増え、深まります。『広める』も研究哲学として成立するのです。拡げていると繋がっていくのは最高に面白いです。

弘学者は専門科学者ではないので独力での理論完成や実験検証はできませんが、各分野の新パラダイムは密接に結び付いており、弘学者はその内的な整合性を示せるはずです。弘学者はこの異分野の知を統合する創造性を説得力に全分野の科学者の参加を促し、『パラダイム・クロス』の実現を目指します。


まとめ:弘学革命の6本の柱

①万人の科学…ネット上で科学

②アウトサイダー・サイエンス…大学の外で学問

③平和共創イニシアチブ…自ら競争から共創へ

④無門も含む個性教育…専門を持たない学びも

⑤葛藤的弘学…異分野の知で創造的葛藤

⑥パラダイム・クロス…次の科学革命は異分野統合


これまでのまとめとして、弘学者の役割を示したいと思います。弘学者の役割は『結ぶ』ことです。弘学者はあらゆるものを結び合わせる関係性を志向し、弘学革命の実現によって学問と社会、人類の統合を目指します。この弘学者の『結ぶ』役割を以下で詳しく論じてみます。

まず、弘学者という『人』が大事です。孔子は「人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず」と言いました(『論語』)。弘学の実践は『人を弘むる』と思いますが、弘学を実践しようとする『心』、『人』がまず大事です。『人』にこそ『結ぶ=むすぶ=生すぶ・産すぶ』力があり、そこから始まるのです。

弘学者の『結ぶ』力を活かす第一の道は、『場』を作る、『場』をまとめることです。ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは「異分野チームワーク」を提唱していますが、関係構築能力を持つ弘学者・無門家が参加することで、これを『弘学チームワーク』へと進化させることができます(図2)。

弘学者の『結ぶ』力を活かす第二の道は、『ネットワーク』を築く、『ネットワーク』を担うことです。科学者集団リバネスは「超異分野ネットワーク」を提案していますが、関係構築能力を持つ弘学者・無門家が交流することで、これを『弘学ネットワーク』へと進化させることができます(図3)。

以上を踏まえて、弘学者の役割をまとめます。弘学者の第一の役割は、『異分野の科学者を結ぶ』ことです。弘学者は、分野を越えて広く活動し、関係構築能力によって異分野の科学者の協力を促します。そして、異分野統合としての科学革命、『パラダイム・クロス』の実現を目指します。

弘学者の第二の役割は、『科学者と市民を結ぶ』ことです。弘学者は、広い見識を持ち、説明責任を果たすべき専門家たる科学者と社会を構成する市民との対話を支援し、両者の相互理解を深めます。また、インターネットで科学研究へのアクセスを改善し、『万人の科学』を実現します。

弘学者の第三の役割は、『大学と社会を結ぶ』ことです。弘学者は、教育を担う大学の役割を自覚し、専門に囚われない人間の育成にも取り組み、大学や社会が抱える問題を主体的に解決します。そして、『無門も含む個性教育』によって各人の可能性を開花させつつ他者との協力を促します。

弘学者の第四の役割は、『学問と個人を結ぶ』ことです。弘学者は、学校や大学で教育を受けていない人、受けられない人にも学問の自由が与えられるよう社会に働き掛けます。そして、これらの個人が学問に参加する『アウトサイダー・サイエンス』によって学問の新たな可能性を開きます。

弘学者の第五の役割は、『人と人とを結ぶ』ことです。弘学者は、他者を理解し他者を助ける『和』の心で異文化の人々を結びます。そして、『平和共創イニシアチブ』の実践によって学問の世界から共創の可能性を示し、個人が他者と協力して平和な未来を創る希望を全人類と共有します。

弘学者の第六の役割は、『心と心を結ぶ』ことです。弘学者は、『葛藤的弘学』の実践によってあらゆる問題を自身の問題として主体的に葛藤し、自己も他者も尊重する創造の道を見い出します。そして、自分を愛する心と他者を信じる心を結び合わせます。生きとし生ける全ての者の平和と幸せのために。


まとめ:弘学者の役割

✔ 『結ぶ』

✔ 『人』が大事

✔ 『場』を作る、『場』をまとめる

✔ 『ネットワーク』を築く、『ネットワーク』を担う

✔ 異分野の科学者を結ぶ

✔ 科学者と市民を結ぶ

✔ 大学と社会を結ぶ

✔ 学問と個人を結ぶ

✔ 人と人とを結ぶ

✔ 心と心を結ぶ


最後に、21世紀の科学革命、『弘学革命』の実現を呼び掛けたいと思います。これまで発信してきた『21世紀の科学革命のアイデア』は、まだ完成には遥かに遠い、言わば「叩き台」です。弘学革命はこれから始まります。共に創(はじ)めるのです。故に、「弘学革命『創始編』」と題しました。

21世紀は「全体」「組織」や「孤高」「一強」の時代ではなく『個人が協力して創る』時代です。一国のワンマンリーダーやニュートンやアインシュタインの様な「スーパーヒーロー」の手に負える時代は終わり、今後は「群のヒーロー」(堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』)の時代となるはずです。

全ての個人が自らの持つ個性を最大限に発揮し、チームワークとネットワークで繋がって他者と協力することで和を実現する。学問も社会もそうして発展していくでしょう。人類の一人一人、宇宙の一つ一つの存在が絆で結ばれ、幸せに生きていくことができる、平和な世界を創っていきましょう。

「劫初より造り営む殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」(与謝野晶子)

私たちもこの心で自らを活かした役割を担い、平和への希望を持って人類の歴史と未来を共に創って行きましょう。


弘学革命を共に創めよう!!!


以上で、『21世紀の科学革命のアイデア』第8弾 弘学革命創始編の連続ツイートを終わります。大学人・科学者・研究者の方々、学問・科学・研究に興味がある方々、その他、皆様のご意見・ご参加をお待ちしております。ぜひ共に #21世紀の科学革命 、『#弘学革命』を創めましょう!


#21世紀の科学革命『#弘学革命』のアイデアの発信はこれにてひとまず終了です。今シリーズに盛り込めなかった研究のアイデアや弘学の思索と経験の蓄積もまだまだたくさんありますので、何らかの形で今後も発信していきます。学問を愛する想いは止まりません!弘学の可能性も無限大です!!



参考:過去分の連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア』のサイト記事(Twitterから転載)へのリンク一覧

2018.12.12.a Twitterにて『21世紀の科学革命のアイデア』の連載を始めます。

2018.12.12.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<1>物理学編』を転載します。

2018.12.15 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<2>天文学編』を転載します。

2018.12.20 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<3>化学編』を転載します。

2018.12.26.a 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<4>地球科学編』を転載します。

2018.12.26.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<5>生物学編』を転載します。

2019.01.30.a 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<6>脳科学編(前編)』を転載します。

2019.01.30.b 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<6>脳科学編(後編)』を転載します。

2019.04.24 連続ツイート『21世紀の科学革命のアイデア<7>科学・学問総集編』を転載します。