プロヒーロー勝己とプロヒーロー出久のお話。
箱庭推理系です。
「……どうなってんだ」
「なに、ここ……」
固いアイアンソールがふかふかと沈む、アイボリーの柔らかいカーペット。
綿菓子のような、甘い匂いに包まれた空間。
蹴って躓いた先、足元に転がるのは、赤いリボンで飾られた大きなくまのぬいぐるみ。
カゴに積まれた赤、青、緑、オレンジにピンクの積み木。
床いっぱいに広がるおもちゃ。カラフルな色合いに、目がチカチカする。
バルーンとガーランドで装飾された子ども部屋のような壁紙一面には――窓も扉も、出口何一つない。
何が一体――どうなったのだ。
僕は確かに、かっちゃんと一緒にヴィランを追っていたはずなのに。
「なんでお前と組む必要があんだよ」
「仕方ないだろチームアップなんだから……」
僕の管轄でもかっちゃんの管轄でもない、とある地区。
1か月という短期間で、受理された行方不明者届は10件以上。
寄せられた目撃情報と監視カメラの映像がとらえる最後の証跡はみなバラバラ。違う駅、違う改札、違う建物。
最後に消息を絶った人物は、応援要請を受けて調査チームに加わっていた一人のヒーロー。もうその職歴は10年目。
どうやらただの人探しではないと早期に切り替え、警察と連携してこうやって何人かのヒーローが捜索に当たったが、足を踏み入れた者は誰一人として帰ってこない。
誰か一人でも情報を手に入れて帰ってくれば何か対策の立てようもあるが、これではただ人員を割いては食われるのみ。
「……バカじゃねえの、こんな任務、普通ならベテランがやるだろ」
こんな僕ら若手にさえ声がかかるのだから、よほど困窮した状況なのだろう。
二つも三つも市を跨いだ向こうの管轄からの応援要請に呼び出されたのは、隣を歩く幼馴染も同様だった。
「よりにもよって俺とお前とってのが解せねえ」
「索敵能力あるメンツと組めないってのが人手不足を感じるよね……」
ああ、耳郎さんとか障子くんとかと組めたなら……いや、言っても仕方ない。
人手不足が、過ぎる。
僕らに割り振られた捜査対象の管轄。この駅で降りる人は、みなここから来てはここに帰るのであろう。その目の先にあるのは、碁盤の目のように張り巡らされた広大な住宅団地。
最後に消えたヒーローが、パトロールで回っていた場所。
「『最後の手がかりの場所に行け』だけだなんてこうも行き当たりばったりな指示出すあたり、頭の方も数足りてねえんだな。上層部は何してんだ、一度顔合わせて対策立て直すべきだろただのパトロールじゃねんだから」
「行方不明者リスト見ても、目立った共通項は見当たらなかったし……場所も時間も一貫性が見られないから、こだわりのある性格とは思えなさそうだ」
「誰一人として、遺体さえも帰ってこないってのが、唯一の共通点だな」
「……愉快犯の無差別な犯行って、ことなのか」
「それ、もっかい見せろ」
茜色の空、団地に囲われた狭い空の四角で、夕陽はただ冷ややかに沈んでいく。探しているものがそこに映り込むことはなく、ただ無機質な色だけが残った。
伸びる二つの影に重なる、もう一つの小さな影。
「お兄ちゃんたち、誰?」
音もなく、現れた。
背後からかかる声に、背中がわずかに強張る。
振り返った先、声の主は随分と目線の下にいた。
「こんばんは!」
「……こんばんは。どうしたの?なにか困ってること、ある?」
「ううん、何も、ないよ」
見上げる眼差しは、夕陽の光を吸って瞬いている。
どこか冷たい額縁のようなこの区画のなか、そぐわないほどに爛々と輝く瞳。
しゃがみこんで、目線を合わせる。
小さな子ども、小学生くらいか?事件がなかったとしてもたった一人出歩くにはもう遅い時間だ。ランドセルは背負っていないし、一度家に帰って遊びにでも出てきているのか。
捜索の前に、家に送り届けるのが先か。
「おい、デク、ガキに構ってんじゃねえ」
「もう日も暮れて危ないから、君はお家に帰らないと」
「ねえ、もしかしてまた何かあったの?お兄ちゃんたちも、何か探してるの?」
元気に受け答えする笑顔の少年は、僕の言う言葉など、耳にも入っていない。
そわそわとはしゃぐ声は何か新しいおもちゃでも見つけたかのような高揚、それはまるで宝探し。連日の報道など、対岸の火事だ。ここでの発生事象はまだメディアに露出していないし、他人事でもまあ仕方ないのかもしれない。
しかし背筋を走る微かな寒気は、既に発生している違和感を察知していた。
また何かあった、とは。
お兄ちゃんたち、“も”?
「何か、って?」
「……お前、ここで何か見たんか」
「前にテレビで見たヒーローのお兄ちゃんも、ここ歩いてたよ。迷子になっちゃってて」
「――だから、探し物の場所を、教えてあげたんだ」
愉快そうに上がる、その口角を見た。
他のチームに応援要請の通信を繋げる刹那、ほんの一瞬甘ったるい匂いが鼻に刺さる。
視界は一気に暗転し、少年の姿もかっちゃんの姿も、すべて見失った。
そうして、冒頭の子ども部屋に、戻る。
「……っか、ダイナマイト!!!!」
「横にいるわ」
一瞬の瞬き。
夕暮れの団地はどこかに消え去り、辺り一帯パステルカラーの落ち着かない空間。
人形は天井にも壁にも吊り下げられていて、四方から視線を感じる。
ぬいぐるみが抱える大きなオルゴールは、不規則に音飛びしながら歪なグリーンスリーブスを流している。音が途切れるたびに、間が不気味に伸びる。
右に立つかっちゃんのその眉間には、僅かにしわが寄っていた。
「眠らされたって感覚はなかったが、一瞬でここだ。お前、体に違和感は。どっか痛むところあるか」
「いやそれは大丈夫……ここってどこなんだ」
これは睡眠系か、幻覚系か?脳神経でもやられたのか。
掌を握って、開く。感覚も、正しくここにあるように見える。
しかし隣に立つ彼は、本物か。まがい物ではないのか。少なくとも攻撃してくるような素振りは見えない。
そもそも僕の見ている幻覚かも知れないし。そうだとして、じゃあ確認方法は。
「わ」
顎に手をやってぐるぐると思考を巡らせていると、ふと頬に、厚めのグローブ越しの体温を感じる。その手は後頭部に滑り、引き寄せる首元に顔を寄せられる。
「匂いは、お前のもんだな」
「え、な、なに」
「声も一緒」
「僕、偽物じゃないよ」
「今一番信用ならねえセリフだな。俺が確認してんのは、今お前の考えてることとおんなじだ」
「それは確かに……っていうかこんな確認方法、君こそ偽物くさいよ」
「……まあ触れるってだけだと、ちゃんとここにいるって信用にはなんねえ」
優しく触れていたはずの指がするりと頬に戻されたかと思ったら、それは力いっぱいの抓りに変わる。
「っだ!!いたいいたいいたいやめ、やめろ!!何するんだ」
「赤くなってんな、……は、五感もちゃんと働いてはいそうだな。本物かはおいといて」
「それぜんぶ自分で試してくれない?」
この横暴な感じは、たぶんかっちゃんぽいな。
とりあえず、信じておくか。不審な行動を取ったら、お互い潰すだけだ。
視界の端、何かが、蠢いた。
おもちゃのかたまりから、揺らめきながら起き上がるなにか。
どこか冷たいオルゴールの音が鳴り響く空間。
『おにいちゃん』
「君は……」
『あそぼうよ、僕と、あそんで』
「やっぱ、てめえだったんか」
『なにして、あそぶ?』
唇は結んで弧を描いたまま、少年はぬいぐるみを掻き分けながら覚束ない足元でこちらにやってくる。
右手と右足が一緒に出るような、どこかブリキの人形のように、ぎこちない。
瞬間、間合いを詰めたかっちゃんは、少年のようなものの胸ぐらを引き掴んで一気に床に抑え込んだ。
「残念ながら俺ら下っ端には、遊んでる時間なんてのはねえんだわ」
「ここ最近の行方不明……いや、誘拐事件の犯人は、てめえ絡みだな」
『わかんない、なあに、それ』
『みんな、僕と、あそんでくれただけだよ』
かっちゃんに組み敷かれたままケラケラと笑う少年は、どこか僕らと同じ生き物の感じがしなかった。
なんか、ただの、入れ物。
遊んでくれたってのは、どういうことだ。
彼らは、こことはまた違う場所に捕らえられているということか。
どこだ。どこにいる。
三六〇度目を凝らしても、どこもかしこもおもちゃにぬいぐるみだらけ。脱出口でも、見つけられたなら。
「答えろや」
『おにいちゃんは、僕とあそんでくれない?』
「爆破されたくなかったら、おとなしく捕まえたやつら解放しろ」
『やれるものなら、やってみたら?』
グッと、胸元を締める手の力が強まる。それでも苦しい素振りひとつもすることなく、機械のように少年の口は笑い続ける。
一面に広がる、カッと刺すような光。熱が、伝播する。
コントロールされた超小規模な爆発は、掴んだ先のものを一瞬で消し炭に変えた。
「かっ……っちゃん!?ば、爆破しちゃったの!?」
「ん。……見てみろ、これ」
上がる黒煙の中かっちゃんの背中越し覗いてみると、掴んでた手元、首だったものはどろりと溶けて残るのは空洞、独特の異臭が漂っていた。
まるで、ビニールが高温で溶けたような匂い。
燻って爛れる笑ったままの顔面、左目のガラス玉は欠けて、ラグの上に転がっていた。
「さっきのは人間じゃねえ、体温も心音もなかった。触ってそれが分かったから、爆破しただけだ」
「そう、なんだ。いきなり殺したのかと思って、びっくりしちゃった」
「さすがにしねえわ、許可も下りてねえし」
――でも、じゃあ、本体はどこにいる?
『すごいね~おにいちゃん』
足元から、くすくすと笑い声がする。声はどこかくぐもっていて、その音は僕が足をとられて踏みつけにしていたくまのぬいぐるみから発せられていた。
もごもごと、突然命を持ったかのように動き始める。
『でもそれ、ぼくもできるよ!見てて』
どういうことだと問う暇もなく光り始める体に、咄嗟思い切り足元のそれを蹴り飛ばす。
空中で酸素を吸ったように膨らんだ明滅は思い切り破裂して、あたりに赤いリボンと綿が飛び散った。
ひらひらと舞う赤と茶、焦げ臭さの中、何ともいえぬ不気味な不安感に襲われる。
『いた~い、こっちのおにいちゃんは優しそうにみえたのにひどいなあ』
部屋の隅、バケツの中カタカタと揺れる積み木。しなるゾウのすべり台。ボールは跳ねて、おもちゃの兵隊は、楽しそうに笑っている。
「姿も見せずに、卑怯もんだな」
『この部屋の中のおもちゃぜんぶが、僕なんだ』
『おにいちゃんたちがなにをしたって、むだだよ』
『だから、ぼくとあそんでよ』
「……だったら、ぜんぶ一気に焼き尽くすまでだ」
籠手を左右に翳して、掌に溜まっていく光。それが容赦なく部屋の一角を焼いた時、まるで引き留めるようにまた違う場所から聞きなれた声が響いた。
『……爆豪?』
一瞬固まるかっちゃんの両手、視線の先の声の持ち主は、これもまた、見慣れた表情。
一見ただのデフォルメされたヒーローグッズのひとつにしか見えなかったそれ。
でも、この声は――
『ちょっとやめてかっちゃん、俺のことも燃やしちゃう感じ!?』
「は」
「え」
『死んじゃうから!死んじゃうから勘弁して!!』
『緑谷もなんか言ってやって!!俺まだ死にたくない!!』
この声は、つい最近も聞いた。ちょうど、1週間前。
瀬呂くんと切島くんと、一緒に飲んだ時。
半泣きで縋るような、でも気の良い、優しい声。
「上……鳴くん……?」
「んであいつ、こんなところいんだ」
そういえば――彼は僕らよりも、この管轄に近かった。
まさか。
『な~んちゃって!!似てた??』
『このお兄ちゃんはほんものだよ、この前僕とあそんでくれたんだ』
『優しかったなあ、僕を笑わせようと、たくさんあそんでくれた』
『それで、負けちゃったから……僕のおもちゃにしちゃった』
気づくには、あまりにも遅すぎた。
これは、捜索された全員を人質に取られた――ただの交渉だ。
『もう遅いよ~、ほら、今度はおにいちゃんの体を借りちゃった!』
『だから……このおにいちゃんをさっきみたいにされたくなかったら、ぼくとあそんで』
「とりあえず、最初は俺が出るわ」
「良いの?かっちゃん」
首を鳴らしながら見据えた眼差しは薄く開き、何かを考えている表情。
「あいつ、嘘ついてんな。もう少し泳がせる」
「えっかっちゃん、もうわかったの」
「まだ推測だ。考えもなしにぶっぱしねェよ。だからそれを、今度はお前がよく見てろ」
突貫で作り上げられたルーレットと壇上、ひな壇には寄せ集めのぬいぐるみ。乗り上げるのは、そんなかわいい雰囲気に不似合いなほどに、不機嫌そうな男。
『じゃーねー、ぼくと三回勝負をしよう』
『一回でも勝てば、この中の誰か一人を戻してあげる』
『ここの人たち全員置いて、ここから出してあげてもいいよ!』
『でも三回とも負けたら――おにいちゃんたちのどっちか、僕のおもちゃになって』
今、「出してあげる」と言った。ということは、やはりここは幻覚にせよ物理にせよ、奴がいずれかの手段で作り上げた空間。こんな不可思議な事象、技術ではない。奴の個性によるものである可能性がほぼ100%だ。
口ぶりからして、出る手立てが全くない、というわけではなさそうだ。
そしてたぶん――相手は、子ども。
加害対象に一貫性はなく、行動原理に怨恨を思わせるものはない、これは純粋な“遊び”。あと、おそらく計画性もない。これは僕も、推測の範囲内だけれど。それはこのあとのかっちゃんの勝負を見て、様子を見ることにする。
『じゃあ一回戦目は、クイズをしよう』
『この箱にお題が入ってるから~、お互いひとつずつ回答して!でも間違えたら、その時点で負けね!』
「先攻不利じゃねえか」
『だってここはぼくのおもちゃ箱だもん、ルールを決められるのは僕だけだからね』
上鳴くん(のぬいぐるみ)とかっちゃんで、先攻後攻のじゃんけんをする。
「……アホ面と勝負してるみてェで気ィ散るから、他のに変えられねえんか」
『ダメで~す』
「クソ仕様が」
「かっちゃん早く勝負してよ」
残念ながらかっちゃんはじゃんけんに勝ってしまって、先攻になった。
不本意を全面に出して、ごそごそとお題の入る箱を漁る。
引き掴んで取り出した一枚、紙を開いたかっちゃんの顔は心底微妙そうな顔だった。
「かっちゃん、わかりそう?」
「……お前だったら、確実にわかるやつだわ」
わからないのか。あれはわからない顔だ。わからないって顔してるもんな。
何その顔、初めて見た。ちょっとかわいい。
あんなに「俺が出る」とか勢い勇んでおいて、こんな雰囲気で数学や物理の問題でも出ると思ったのか?出るわけないだろう。変なところで勘が働かないんだから。
頭をひねって数十秒、指折り数えるその仕草は何なんだ。
そしてこんなに歯切れの悪い口ぶり、初めて聞いた。眉間にしわを寄せて、ぽつりとひと言。
「……切島?」
……切島くん?
なんだ、切島くんって。なんの問題だったんだ。ちょっと教えてほしい。
ひな壇のぬいぐるみたちが、一斉に首をかしげる。
間抜けな不正解音が鳴り響いて、はしゃいだ声で煽られる。
『ぶっぶ~!正解は尾白くんでした!』
君なにで間違えたんだ。
切島くんと尾白くんなんてなにをどう間違えるんだ。
それにしたって、出てきたの元A組じゃないか。そのメンツで間違えるなよ。
しっかりしろ、何だその凡ミス。
「君、上鳴くんがどうなってもいいのか!?」
「そもそもあのアホ面が捕まるのが悪いんだろうが!つうかみんながみんなお前みてえなナードじゃねんだよ!分かるのお前だけだわ!あとなんでてめえもわかんだよキメエな!!」
ぎゃあぎゃあと、ひな壇のぬいぐるみたちにブーイングを寄せられている絵がシュールだ。
指折り数えていたのは、片手でちょうど一往復。
切島くんと、尾白くんで、その10本の指で間違えるのなら……
「……身長?」
「は」
「元A組で10番目に背の高い人……とか?」
あ、ひさしぶりに見たなこのドン引き顔。どうやらそれっぽい。
『おにいちゃんすご~い!!問題を当てちゃうなんて!!』
「お前マジでなんなんだ」
「いやあそんな褒められるほどの事では」
「褒めてねえわ」
『僕ヒーローがだいすきで特に元A組のみんながだ~いすきなんだけど、おにいちゃんは全然クラスメイトのこと物知りじゃないね?』
『ここに立ってたのが後ろにいたおにいちゃんだったら、良かったのにね』
ひな壇の端に座る一体のぬいぐるみが弾けて、中の綿が焦げた匂いを漂わせながら、ゆっくりしぼんでいった。
『これで一回戦目は、おにいちゃんたちの負けだね』
『あと二回、頑張って!!』
「次はお前が行ってこい」
「自信消失したの?」
「じゃねえわカス」
足蹴にされて、戦場に送り出される。
自分が負けたからって、僕に当たらないでほしい。
「いるぞ、本体」
次どっちが出るか決めさせろとタイムをかけて、腕を引いて連れられた部屋の隅。
肩を寄せてこそこそと、作戦会議に見せかけた、お互いの推測の答え合わせ。
「部屋ぜんぶが自分だとかほざいてたがそんなんじゃねえ。本体が紛れ込んでる」
「なんでそう思うの?」
「これまでのあいつの行動と発言からの推測だ」
「さっき俺が部屋全体をぶっ壊そうとした時、あいつは何した」
「上鳴くんを乗っ取って、引き留めたね。でもそれは、自分のおもちゃを壊されたくなかったから、とかじゃなさそうだった」
「そうだな。おもちゃが大事なら、最初から自爆なんかしねえ」
「じゃあなんで止めようとしたんだろう」
「たぶん、止めざるをえない状況になった。そうされちゃ困るもんがあったから――自分自身が、危険にさらされたからだと思っとる」
「じゃあやっぱり全部壊すか、というのももう無理だろうね」
「ああ、今はそんなんでもやろうもんならもう上鳴がやられるのが先だ」
「せめてどいつなのかがわかればな……そしたら、僕でもかっちゃんでも、一撃で仕留められるのに」
ひねる首、傾いた頭にこつんと同じものが寄こされる。
「おおざっぱな場所は、たぶん把握した」
「え」
「俺が負けたとき、あいつに違和感はなかったか」
……そうだ。
なんで彼が問題を把握できてるんだろうって、ほんの一瞬思ったんだ。
でもすぐ、勢いに押されて流してしまった。
「……かっちゃんしか見えないはずのクイズが、彼には見えてた、ように見えた」
「それだ」
「上鳴の位置からは見えないはずの問題文をあいつが把握してるのがまず違和感だ、だから乗っ取っているものに本物が入りこむってわけじゃねえってことだ。操っているとか、そんな感じなんじゃねえか」
「それに黙ってりゃ良かったのに出久が言い当てたときに「問題を当てるなんて」って口を滑らせるくらいだから、まあまあボロが出とる」
「あいつが見えてる範囲と、俺たちが見えてる範囲。そこにズレがあるのは確実だ」
「だから、まずあいつは、上にいる」
頷きに、頷きを返す。
「そんで上っつっても、こんな広いからな。だから次は、上のどのあたりかをあぶり出す」
「そのためにできるだけ、僕に時間を稼いで来いってことだろ」
「たりめーだ、即死しやがったらぶっ殺すからな」
「即死した君に言われたくないんだけど」
時間切れを言い渡されて踏み入れるそこは、模様替えがなされていた。
リングのように囲われて観戦客のぬいぐるみが取り囲う中央、ちょこんと置かれる小さなブロック。
観客席のぬいぐるみたちは、小さな手をぱちぱちと叩きながら「がんばれ~!」と声をそろえる。揃いすぎた声色が、不気味なエコーになって耳を圧迫する。
『じゃあ二回戦目は、ジェンガをやろ~』
『これは簡単、崩した方が負けだよ!』
震える指、三本並んだ真ん中を抜く。コトンと落ちた一本を、また真ん中に置く。
僕は大体この戦法だ。だってなんか、両脇に支えられてて安心するから。
「なんか、性格出んな」
「集中してるんだから茶化さないでよ……!」
ぬいぐるみたちさえも静まり返り、僕の一挙手一投足に視線が集まる。
ぐるりと覗き込むように抜けそうなブロックを探していると、「ここにも良さそうなのあるよ!」「なんかちょっと傾いてる!」などと小声で囁いてきて、集中力をごっそりと削り取られていく。
やりにくい。やりにくいぞ。くそ、子どもならではの嫌がらせか。
『おにいちゃんそんな慎重にジェンガやるなんて、ただの遊びなのに生真面目だ~』
『ほらすぐ抜いちゃった、またおにいちゃんの番だよ』
ひょいっと置かれたブロックが端に寄りすぎていて、自分の番じゃないのにびくびくしてしまうのはなぜだろうか。
できることならさっさと崩させて勝ってしまうのが本来は吉なのだが、いかんせん今の僕の手にはかっちゃんと僕の推理タイムがかかっている。何とかして、引き伸ばしの末に勝たねば。
左端、軽く押すブロックに何の力も加わっていないのを指で感じる。ゆっくりゆっくりと押し出して、もう片方の手で引き抜いていく。
もう、手に汗をかいてきた。
『ん~~結構いいところ抜くね~』
『じゃあ、次はどうしよっかなあ』
左右に揺れる上鳴くんの頭は、一度も僕の面を覗き込むことはない。
かっちゃんが、ふいに上から話しかけてくる。
「おいてめえ、こっちのが抜きやすいのあんぞ」
「えっ」
「たぶん今お前が取ろうとしてるやつより断然ちょろい」
ピタリと、対面の指が止まる。
『……いいじゃん、こっちでも』
『僕は僕の、やりたいようにやるし~』
「あっそォ」
言うこと言って満足、しれっと観客席に戻るかっちゃんに、苦情を申し立てる。
「ちょっとかっちゃん何のつもり!?敵にヒントなんて与えて」
「は、いつまでもぬるいゲームしてっから。はよ勝てや」
「自分は即死したくせに……!!」
しかしこいつ、なんでこんなにうまいんだ。ただのジェンガなのに。
僕はこんな真剣に戦っているのに、やってるのがジェンガなだけでなんかもうダサい。
それこそ僕だって数学とか物理の問題出された方が、何百倍も勝率が高い。
観客席のぬいぐるみたちは、瞬きをしないままじっとこちらを見つめている。その均一すぎる沈黙が、かえってざわついて聞こえた。
滑る指、引き抜いたと思った瞬間に積みあがったブロックのバランスは崩れ、心臓が引き攣る。意味もなく受け止めようとする手にはいくつものブロックがこぼれてきて、派手な音を立てて塔は山になった。
「は、雑ァ魚」
「君より長持ちした方だけど…!?」
崩れ落ちる音が止むと同時に、会場のざわめきも途切れた。その直後に――「ぺチャン」と、不自然な潰れる音だけが響いた。ぐしゃりと潰れたのは、小さなひつじのぬいぐるみ。短い脚をばたつかせる間もなく、無様に床へ広がった姿は――どこか、自分自身を見ているようで。
やわらかいはずの綿が弾け、そこから漏れる空虚さに胸がざわついた。
『あーあ、おにいちゃんの分身、つぶれちゃった』
くすくすと笑う声に、背筋が凍った。
「潰れんのは、てめえとどっちが先だろうな」
のしのしと、リングに踏み込んで歩いてくる相棒。腕を引っ張り上げるその顔は、さっきより幾分か険しい。
「だいたい、わかった」
「次で、ケリつけんぞ」
耳打ちする、かっちゃんの低い声。声には出さず、頷きだけを返す。
いずれにしても、次が最後。次で決める。
上鳴くん、連れ去られた人。全員――無傷でここから帰す。
取り囲むぬいぐるみたちも、今は息を潜めて見ている。
『じゃーねー、次は似顔絵対決をしよ~』
『上手に描けた方の勝ちね!』
なるほどな。こう来たか。
これなら、主人に“負け”はない。
「勝負がつかねえな。ぜんぶの判断基準はてめえじゃねえか」
『え~、僕より上手に描けたら“勝ち”にしてあげるよ?』
『だから~、こわいほうのおにいちゃんが描かれる方!僕とジェンガのおにいちゃんが描く方ね!』
「だとよ、ジェンガのおにいちゃん」
「僕をあまり馬鹿にするなよ」
だったらかっちゃんだってクイズのおにいちゃんだろ。
僕を描く方に持ってきたのは、ジェンガで不器用そうだったからだろうか。画力がなさそうとでも思っているのか、腹が立つな。まあ実際、かっちゃんの方が上手いけど。
でも、助かったな。
この采配だったら、試合に負けても、勝負に勝てる。
いつの間にか用意されたスケッチブックと色鉛筆。
中央の椅子にどっかりと座るモデルは、上鳴くんを眺めて僅かに哀れんだ。
「可哀想になあ、お前くらいは戻してやりたかったが」
「負け確定みたいに言うな」
『じゃあ、始めるよ~!!』
ああ、ちょっと前まで事件の捜査をしていたのに、偶然にも犯人に巡り合えたかと思えばこうして犯人と一緒にかっちゃんをスケッチしている。意味が分からない。どんな地味なことでも真摯に取り組もうと常日頃思っているが、犯罪現場で相方の似顔絵描いてるこの現状に頭が追い付かない。
駄目だ。さっきの会話を思い出せ。
次に僕がやるべきは、“負けること”だ。
「案外お前が粘ったから、だいぶ絞れたわ」
「そうだね、僕も何となくわかった」
「まず真上じゃねえな、ある程度角度がねえとなんもできねえから」
「うん。抜きやすいものを敢えて抜かずに置いておいたけど、一切抜かれない面があった。だから僕側は死角だったんだろう」
「つうことで、最後はまあ、何とかなんだろ。あとはパフォーマンス次第だ」
じっと床を眺めて上げられないまつげは、ライトの光を吸ってきらきらと光っている。
パフォーマンス次第か。僕も死なないようにしないと。
鉛筆の芯が紙を削る音が、心臓を削る音に重なって聞こえる。
高校ではこんな科目なかったから、色鉛筆だなんて持つのもひさしぶりだ。
ああ、鮮やかだなあ。君の持つ色は、この色だけじゃ表現しきれない。
頑張って描くから、せめて最後は優しく吹き飛ばしてくれ。
『おにいちゃん、へったくそだなあ~』
「そんなことなくない?ねえ」
「……え、かっちゃん黙っちゃうの?僕そんなに下手じゃないじゃん」
随分と真剣に描いてしまった。両手が鉛筆で擦れて、真っ黒になっている。
並べられた二枚の絵。僕の「頑張りました」感がすごい。おそらく小学生くらいの隣の絵と良い勝負なのは、否めないけれど。
かっちゃんの眉間のしわは、寄る一方。
『僕のほうがこわいおにいちゃんのこと格好良く描けてるじゃん』
「そうでもなくない?こんな華奢じゃないよかっちゃんは」
「要らん張り合いすんな」
かっちゃんは左手でひょいっと僕の絵を天井に翳し、よくよく眺める。
ライトで透かすようにじっと見つめたのち、当てられたのは光を溜めた右手。嘘だろ。
途端熱のこもる一帯。割と大規模に僕の絵は爆破されて、焼け焦げた紙の端がちらちらと舞って落ちていった。真上にあった大きなメリーゴーランドが、巻き添えを食らって燻っている。賑わっていた観客席のぬいぐるみたちは、散り散りに避難していく。
「似てねえ」
「ひどくない?焼かなくてもいいじゃん」
「お前の絵は中学振りに見たが相変わらず怖気が走るわ爽やかに描きやがって」
「頑張って描いたのに君ひどいな仲間じゃなかったのか」
「俺はいつでも公正な判断を下すんだわ」
『じゃあ~この勝負もおにいちゃんたちの負けだねえ』
「いや、そうとも限らねえ」
きゃっきゃとはしゃぐぬいぐるみの声を割る、低く掠れた声。
空いた右手、もう一枚の絵も一瞬で無残に爆破された。気に入らなかったらしい。
すぐ隣にいた上鳴くんの髪が、ほんの少しだけ焦げている。相変わらず、すごい火力のコントロールだ。
つい、見入ってしまった。今僕がやるべき仕事はそれじゃないだろ。
「どっちも似てねえ。ドローだ」
『ひど~い、僕の絵まで焼かなくてもいいじゃないか』
「似てねえもんは似てねえ。似顔絵なんてクソキメエもんやらせやがって、延長戦だ延長戦」
ぎゃいぎゃいとぬいぐるみに囲われるかっちゃんを見るのは何回目だ。まとわりつく布の塊を掴んではぶん投げて蹴り飛ばし、ファンシーにリンチされているのか、蹂躙しているのか。もうなんか目がバグる。
『似顔絵を壊すなんて、そんなの勝負じゃないよ。こわいおにいちゃんはルール違反だから負けね!』
「もともとルールなんざねえだろ王様気取りが」
『僕の大切なおもちゃをたくさん壊して、ひどいんだ』
「てめえがやってきたことの方が、どれだけひどいのかもわからねえんだな。救いようがねえ」
『……おもちゃが、口答えするなよ』
『おもちゃになるのは、こわいおにいちゃんの方ね』
かっちゃんの左足が、筋肉質なそれから布の塊に変化する。輪郭は縫い目に変わり、皮膚はフェルト、装甲はレザーの生地に置き換えられていく。目の前でじわじわと、人間の体が布に侵食されていく様は、グロテスクで不気味だった。
ぬいぐるみたちの目は、静かだった。まるで何度も、その光景を見てきたような。絶望、のような。
ひょいと、まだ人間を残す顔だけをこちらに向けられた。その顔は何の問題もなさそうな、肩眉が上がったいつものからかいの笑顔。
「じゃ、下手すんなよ」
「うん」
「あとは、任せて」
生命を失ったように、崩れて落ちる上鳴くんのぬいぐるみ。
同時、眠りから覚めるように、大きく伸びをして起き上がるのは、かっちゃんのぬいぐるみ。ついさっきまで、僕の隣で戦っていた人は、三分の一ほどのかわいらしい姿に化かされてしまった。
腹の底、高まりすぎた熱は、却って内側から凍みるように燻っていた。
ぐらりと、デフォルメされた笑顔をこちらに向けられる。
『やった、こわいおにいちゃんをゲット~』
『つぎは、なにしてあそぶ~?』
楽しそうで、よかったな。
でもその笑顔も、もうここまでだ。
重心を落とす。膝に、グッと力を込める。
「お前とゲームは、しない」
「茶番は、これで終わりだ」
プッと吹き出したかっちゃんの舌は、愉快そうに回り続ける。
『おにいちゃんって、真面目でつまんないな~』
『なあんにもできないくせに、どうやって僕のことを捕まえるつもり?』
「捕まえてみせるさ。僕を、あまりなめるなよ」
『ま~ったく、みんな大人なのに頭が悪いよね~』
『僕がどこにいるのかもわからないのに、捕まえられるとでも思ってるの?』
「知ってる」
「かっちゃんが、教えてくれたからね」
『……余計な動きはしない方が、身のためだよ』
『それとも、このお兄ちゃんを自爆させても、いいの』
じわりと滲む緊張感が、空気を伝って読み取れる。
愚かだな。
君は彼を侮ったけど、彼は僕の知る限り、最も頭の切れる人間だ。
「――お前だ」
拳が落ちる。迷いはなかった。
床に組み伏せ首を締め付ける拳の力は、意識を飛ばすギリギリのライン。
かっちゃんのぬいぐるみが、じわじわと命を抜かれるように力なく横たわる。
お前がずっとそこにいたのを見抜いたのは、彼の知恵と戦略だ。
天井に吊られた笑顔の群れ。そのどれもが同じ顔をしていた。
けれど――ひとつだけ。頬を伝う赤が、確かに光を吸って揺れた。
『どうして……?』
――あとはパフォーマンス次第だ
大げさにやらかしたように見えたから、気づいていなかったのだろう。
僕の絵を爆破したのは苛立ちでもなんでもなく、ただ目星をつけるためので行動であったことに。
かっちゃんは、はじめから天井の十数体に狙いを絞っていた。
使ったのは、最初に壊した人形の目のガラス玉。
悟られないよう横暴に派手に振る舞い、ガラス玉の破片を爆風に乗せて、狙ったすべての人形に傷をつけた。受けた本人さえ気づかない、わずかなかすり傷。
「本体からだけは、時間をおけば血が滲んでくる」
「僕らの喧嘩は、そのためだけのただの時間稼ぎだ」
残念だったな。これでもう、ゲームオーバーだ。
『ただの遊びだったのに……』
『……だって、誰も僕と遊んでくれなかったのに』
『こんなにいじめて、大人のくせ、に、最悪、だ』
「これが遊びだと思えるかどうかは、このあとよく考えるんだな」
パステルの世界が剥がれ落ちると、そこにはただの団地の夕暮れが広がっていた。
人々が次々に目を覚まし、誰かは泣き、誰かはぼんやり空を仰いでいる。
その一つ一つの息遣いに、現実がゆっくり戻ってきたのを感じる。
……よかった。間に合ったんだ。
随分と長いこと捕らわれていた人もいるだろう。早々に後処理をしなければ。早速無線を繋いで、応援要請を呼びかける。
人混みの中から歩いてくる、厚手のブーツは人間の足。レザーに変えられた籠手は、またいつでも派手に吹き飛ばせそうだ。
「おつかれ」
「かっちゃんこそ」
「……次のオフは、上鳴のおごりだな」
「食べたいもの、考えておかなくちゃ」
任せておいてなんて大口をたたいたけれど、君がいなくなった時、ちょっと不安だった。その顔を見られて、心底安心した。
相変わらず、君は誰よりも格好いい。
「帰ってきてくれて、よかった」
それはそれとして。
「あのデフォルメかっちゃん、めちゃくちゃ可愛かったな。商品化して部屋に飾りたい」
「殺すぞ」
こちらはわたしの大好きなある漫画をオマージュして作ったお話です。
ファンシーにコメディ、ホラーにシリアスにグロテスク、ごった煮のようなミステリーものになってしまいました。
自分の「好き」を詰め込んだらもう何が何だか……という感じですが、楽しく書けたのでよかったです。
お読みいただき、ありがとうございます!
2025-08-24