プロヒーロー(教師)出久とプロヒーロー勝己のお話。
ワーカホリックかっちゃんにブチ切れる出久くんです。ちょっと大人向けラブコメです。
「かっちゃんいい加減にしろよ」
帰宅早々、靴ひもを解く俺の耳に落ちたその声は、冷たく凪いでいて、逆にぞっとした。
暖色の逆光に浮かぶ輪郭は硬く、感情を隠したまま、俺を見下ろしている。
「…うっせえな、問題ねェわ」
「問題あるから言ってるんだけど」
立ち退かない肩を強く押して廊下に逃げる。追い詰めるように背中に張り付く足音が無言の怒気を叩きつけてくるようで、振り返れなかった。
普段の穏やかさは影に潜んで、あの丸くて大きな瞳が、今はひどく細く、冷たかった。もはや別人だ。
温和を絵に描いたような奴が怒るときほど、背筋に氷を這わせる瞬間はない。
出久の言葉に心当たりがなかったわけじゃない。自分でも、よくわかっている。
1か月休みなく働きどおし。要するに、オーバーワークだということは。
要人警護の関係で1週間張り付きだった序盤には、まだこんな怖い顔はしていなかった。任務遂行中は当然連絡できるわけもなく、開始前と終了後にしか声は聞けなかったが、その時はまだ”心配”というよりも”頑張って”だった。その後休む暇なくヴィランの大規模掃討作戦に組み込まれたあたりから、”心配”の色が混ざり始めた。しかしこれも職務上避けては通れない道、出久も何も言ってこなかった。
しかしその後溜まりに溜まった残務処理で朝も夜もなく事務所に居座り続け始めたあたりからは「事務処理なら少しは他に任せろ」や「ちゃんと家に帰ってきて休め」と苦言を呈された。これは完全に出久が正しい。しかし早めに片づけないと気持ち悪い性分、加えてミスでもあれば手戻りが面倒くさい。人に預けても、結局締まるのは自分の首なのだ。だったら自分ですべてやってしまえと出久を無視し続けて冒頭の”いい加減にしろ”である。
風呂からあがってみると出久はテーブルに肘を組んで座っていて、対面に置かれるのはミネラルウォーター。俺の処刑台はすでに出来上がっていた。
こちらに寄こした目は椅子を促し、指す指が「座れ」と言っている。
「…んだよ」
「君、お風呂場でちゃんと鏡見た?」
全身に刺さる視線、圧迫面接に背筋が凍る。
「顔、真っ白だぞ。それでよく周りは何も言わなかったな。言わせなかった、の間違いかな?」
「3…いや5キロは落ちたな。どうせ全然食べなかったんだろ。僕にはちゃんとしろって言っておいて、ヒーローは体が資本なんじゃなかった?」
「そんな落ちてねえ」
「僕が君のこと分からないわけないだろ。体重計持ってきてあげようか」
「要らねえわ」
一つため息をついて意図的に傾げた首は、胸をざらつかせて今までにないくらいに煽り立てた。
「ねえ、そんなんになるなら仕事手伝ってあげようか。そしたら少しは判断力も戻ってくるんじゃないの」
「は?…うぜえな、嫌味かよ」
「嫌味以外にないだろ。あれだけ普段仕事ができる君が”いい加減”さえ分からなくなってるみたいだから、僕が背負ってあげるって言ってるんだ」
卓を叩きそうになった拳は、膝の上で握り押し殺す。これが正論だとしても、ここまで責められる謂れはない。
「なんでそこまで言われなきゃいけねえんだふざけんなクソが」
「逆になんでここまで言わなきゃわかんないんだよ呆れてるんだよこっちは」
「わかってるわ!!」
「わかってないよ!!だからこんなんなるんだって!!」
「ああ迷惑かけて悪かったな、気にせず放っておけばいいだろうが!!」
「はあ!?子どもかよ、かっちゃんそんな馬鹿じゃないだろ誰だ君」
「子どもじゃねえわ!!つうかもう休ませろや疲れてんだよ」
「ほら疲れてるんじゃん、だから僕が手伝ってあげるって言ってんだよ」
「要らねえわ!!一人でできるんだわ仕事も回ってるわ邪魔すんじゃねえ馬ァ鹿」
「でも”休む”ってこともできないんでしょ?”明日休む”ってこともできないなんて可哀想だなあ、自己管理の鬼がそれさえもできないなんてよっぽど頭が回ってないんだねえかっちゃん可哀想に」
「あ!?できるわ舐めんじゃねえ」
「全然休めなさそうだけど?”休む”ひとつもできずに明日も元気に事務所行きそうだよ君」
「馬鹿にしてんじゃねえそんくらいできるわ」
「できるの?本当に?信じられないな~」
「っるせえな!休んでやるわ!これで満足かよ」
「…言ったな。じゃあ、明日君は休暇だな」
「…あ?」
「言ったよね、”明日休む”って。言質取ったからな」
あ。
完全にやられた。最初から狙いはこれか。嵌められた、クソが。
にやけた口元、これは煽りじゃなくてしてやったりの笑みだ。ぶん殴りたくなった。
「…ご飯食べる?」
再び傾げられたその首の意図は、さっきとは真逆。
テーブルに乗り出して髪を柔く撫でる優しい手は労わるようで、それを振りほどくことはできなかった。
「ごめんね。本当は普通に無理しないでって言いたかったんだけど、君絶対聞かないだろ」
言うとおりだ、絶対聞かない自信がある。きっと一番最初から、俺のことはすべてお見通しだったのだろう。
こいつが知略に長けたやつだってことは、知っていたことなのに。…人を馬鹿にするような怒り方なんて、するやつじゃないのに。
ずっと手のひらで踊らされていただけってか。…ダッセェな。
拍子抜けした瞬間、なんだか急に体中の力が抜けて、前のめりになっていた体を背もたれにどっかりと預けた。
「…食う」
「うん。もう用意してあるから、一緒に食べよ。それで、久しぶりに一緒に寝よ」
食事の用意をしにキッチンに向かう出久の背中を、今度は俺が追う。
俺よりも一回りも小さいけれど、命を預けられるほどに信頼している強く大きな背中。後ろからぎゅうと腕を回すと「ねえ、動けないってば」と軽く笑みがこぼれた。
「出久」
「なあに」
「…今日、シてえんだけど」
「だめです」
ひと月ぶりに会ったのに睦言の誘いはあっさりと断られた。年甲斐もなく不貞腐れるも、軽く流され続ける。
「んでだよ」
「いや今日は寝なよ。なんでそんな元気なんだよ最中に死ぬぞ。殺したくないよ」
「死なねえわ」
「だから顔真っ白なんだって。こんな軽いかっちゃん初めてだよ、今日は体力消費しないでしっかり食べて温存して寝なよ」
「別にそんなヤワじゃねえ」
「ええ?だってかっちゃん、ほら」
肩越しに振り返った出久の右手が、ついと顎に添えられる。視線は交わって、ふ、とほほ笑むような吐息が唇にかかる。
僅かに伏せる瞼。覆うように塞いできた唇は、二度三度の触れ合いの後軽く食み、下唇に舌を這わせた。薄く開いたそこにゆっくりと侵入してくる熱は、脳を茹らせる。
しかし互いのそれが絡まることはなく、出久の舌は内壁すべてをなぞるように触れてくる。まるで何かを、探るような動き。
ねっとりと触れられるそこに、肩が跳ねる。
まさかそんなことまで知られてるとは思わねえだろ。
軽い水音を立てて離された互いを引き留める銀は、下から舐め取られた。
「ほらあ、4か所も口内炎あるって相当だぞ。免疫力落ちちゃってるんだって」
「てめえなんつう探り方してくんだよ…」
「あはは、こんなんで真っ赤になっちゃうくらいなんだから今日はだめです」
そういうのは元気になったらしようねと子どものようにあやされる。ワーカホリックに浸かった体は、唇一つの交わりで使い物にならなくなった。クソ悔しくて仕方がないが、今日はおとなしく手料理を食べて健やかに眠るしかなさそうだ。でも、どうせなら。
「出久」
「もうご飯できるから諦めてよ」
「もっかい」
「…もう一回だけね」
激務の弊害が、まさかこんな形で出るとはな。
明日からはちゃんとワークライフバランスだ。
そう決めて、恋人との口づけに耽った。
この前口内炎が一気に4つもできたときに思いつきました。しょうもない思いつきしかしません。
「恋人のやり取り」を描いているだけというのが多くて、あまり左右ない話が多いです。これもただの仲直り話だし…
スパダリっちゃんばかり書いていたので、かっちゃんより上手な出久くんを書くというのはあまりなくて、楽しくなってしまいました。二人ともかわいい。
勢いだけで書きましたが、気に入っています。
2025-06-11