プロヒーロー勝己とプロヒーロー(教師)出久のお話。
多忙を極めてすれ違い続けた結果拗ねてしまった出久くんです。ラブコメです。
忙しい朝だった。
早朝、電話で叩き起こされた。重たいまぶたをこじ開けて、ぼんやりした視界にまだ薄暗い部屋。
ぬくぬくの布団を抜け出した瞬間、冷たいフローリングに足を踏み出して「ああ、冬だな」と肩をすくめた。
起き抜けの体にはつらすぎる温度差。でも、こんなのにも慣れてきた気がする。
朝食も食べられないどころか、洗顔さえできないほどにバタバタと家を飛び出す。そんな日々が続いた。朝の準備もどんどん最適化されてきて、出動タイムアタックは自己ベスト更新中。
大きい事務所だろうが小さいとこだろうが、忙しいときはみんな同じ。呼び出されたら全員出動、それがこの世界の当たり前。一般企業だって障害でも起きようものなら、全員一斉呼び出しなんか当たり前のことだろう。それは出久もよく分かってくれていた。むしろ、ヒーローだけやっている人間より分かっているだろう。
それでも、出動の時はできるだけ起こしてねと言われていた。
この仕事は命がかかっている。いつ、二度と会えなくなるか分からない、そんな職業だ。出久も俺も同じ立場だからよく分かる。最後に見た顔が数ヶ月前だなんて、そんなことが起きたら立ち直れない。
だから分かるのだが、あまりにも疲れ切って寝ている姿を見ていては、そのためだけに起こすのは憚られる。飛び起きるくらいの呼び出し音ひとつくらいでは起きないくらいに疲れ切って布団に沈む恋人を揺すり起こして「行ってくる」なんて、そんなことできる人間は少ないのではないのだろうか。できれば少しでも多く寝てその体を休めてほしい。
だから、習慣になっていた行ってきますのハグもキスも、ずっとしなかった。たぶん毎度頬に落とすそれには、気付いてないだろうな。
それが、何日も続いた。同棲しているのに、ひと月くらい会話もしていなかった。もらうメッセージにもなかなか返信はできず、恋人のくせにそこらの友人より疎遠になっていた自覚はある。
恋人とは?という疑問も頭に浮かぶが、本当に仕方のない事だから。そう、仕方ないのだ。会えなくて寂しいのはお互い様だ。でもチームアップももう明日には終わる。そうしたら、思い切り抱きしめて体に出久を染み渡らせようと頬を叩き、今日も気合を入れる。
遠かった。玄関のドアがこんなに遠く感じたのは久しぶりだった。
「たでーま」
リビングから漏れる暖かい光。出久はもう帰宅しているのだろう。人がそこにいる温かさも感じる。
しかし返ってきたのは無音だった。自分の声だけが玄関にこだまする。
首を傾げてリビングドアを開くと、奥のアイボリーの広々としたソファ、そこに緑色の柔らかい髪色が見えた。
無視してんじゃねえと近寄ってみたら、どうやら意図的にそうしているわけではなかったらしい。
ヘッドホンを着けて、何か動画を見ているようだった。
最近買ったと言っていたBluetoothのノイズキャンセリングヘッドホン。俺の声はノイズとしてキャンセリングされていただけだった。
全く気付かないので背中越しに覗いてみたら、ふとした時に出久が撮ったであろう散歩中の動画だった。こいつはいつも要らねえところまで、写真にも動画にも残す。
ずっと会えない間こんなことをしていたのかと思うとたまらない気持ちになってヘッドホンを引っこ抜いた。
「うわ!」
「俺の声を消してんじゃねえ」
「ごめん、おかえり。かっちゃんずっとお疲れさま」
「たでーま」
本日二度目の帰宅の合図は今度こそ届いた。ん、と両手を広げると、同じように体を寄せられた。
が、その直前で思い直したようにすっと一歩後退された。
「なんだよ」
「…おかえり」
「さっき聞いたわ」
ぱあっと笑顔になったさっきの顔は途端少しぶすくれて、寄れば寄るほど斥力が働いているようにじりじりと後退を続ける。
巻き込んだ唇が「気に入らない」を前面に出している。
「なにしてんだお前」
ずっと触れたかった恋人はソファを盾にして防戦を続け、一切の接触を拒んでいる。ひょいと飛び越えてその体を捕まえると案外素直に素直に腕の中に収まったが、腕を返されることはない。
頭だけはこてんと肩に預けてくれるが最後の砦のようにだらりと下ろされたままだ。これじゃぬるいマネキンでも抱いてるみたいだ。
「なんで抱き返してくんねえの」
「いやちょっと…」
「なに」
「会えなくてつまんなくて…つまんなくてちょっと拗ねてる」
「あ?」
「拗ねてる」
「いや聞こえてたわ」
「…」
唇を髪にも額にも頬にも落としたがその顔は何かを耐えているようで、本当は抱きしめ返したいのに意地が勝っているようだった。
「動画見てたのに本物は要らねえってか」
「うう…い、要る。でも…ああ~何かつまんないつまんないつまんない寂しくて死ぬかと思うほどつまんなかった、ていうか画面見るなよ」
自分でも何の意地なのかもう分からないらしい。捲し立てるようにこれまでのご不満をぶちまけられた。
「それより何で起こしてくれなかったんだよ!僕ずっと寝てたよ、毎日一人で寝て、起きたらまた抜け殻しかなくて寂しかったんだよ」
「目に隈作って死んだように寝てるやつ誰が起こせるかよ、ただの気遣いだわ分かれよ」
「分かってるんだけどさあ~!ありがとうね!でもつまんなかったんだよ僕は!君が優しいのがつまんない、もっと欲しがってよ」
「お前が言える口か!お前も気ぃ遣って家事も全部やってくれてたろうが!作り置き俺の好きなもんばっか冷蔵庫入れやがって、自分の食べたいもん入れとけや」
「僕は暇だからいいんだよ!あと洗濯物とか畳まなくても良いから君はさっさと寝ろよ」
「うるせえ良いから腕を返せ地蔵でも抱かせる気か」
嫌だねもうちょっと拗ねさせろと腕の中から逃れようと下がった出久の右足が、足元に転がったヘッドホンを蹴った。それを見て何を思いついたのか、腕の中からすぽっと抜けて、顎をあげてこちらを見下ろすような姿勢を取った。
空気を抱くような仕草を見せて両腕は体の前で畳まれた。ふんと、わけのわからない文句をのたまう。
「Bluetoothです」
「あ?」
「Bluetoothです」
「何言ってんだお前」
「僕は拗ねてるんだ、くっついたら潰しそうだから接近禁止です」
「潰される立場のやつが何言ってんだ」
眉を寄せて染まる頬が「うるさい」を言っている。
「かっちゃんなんてBluetoothで十分だもん」
「心は繋がってますって言ってんのかピュアだな」
「良い方に取るな!僕が君を好きだからってうぬぼれるなよ!」
「でもペアリングは切らねえんだな」
「うる、うるさいな!切るぞもう」
「かぁいいなぁ出久」
いつも穏やかで理解のある出久がこんなに訳のわからない意地を張っているのを見るとだんだんとかわいく思えてくるあたり、俺も大概だ。
本当に寂しく思ってくれていたのだと分かると顔がにやけてそれがさらに火に油だ。かわいくて楽しい。
「その顔やめろ!大、好きではあるんだ、でも今はダメです触んないで」
「俺は触りてえのに?」
「い…ダメだ!とにかく今はムカついてるから触んないで、ちょっと待って普通にするから」
「はいはい」
じゃあその間に風呂でも入るかと踵を返して視界に入ったのは寝室。そういえば。あることを思い出した。
バッグから財布とスマホだけ取り出して玄関に向かう。
「ちょっと外出るわ」
え、と固まった出久の足は俺の背中を追いかける。
あれだけ触れるなと言っておいて置いていかれるのは嫌なようだ。訳が分からなくてかわいい。
「いやちょっと待ってそんな遠くに行って欲しいわけじゃないよ」
「めんどくせえな下のコンビニ行くだけだわ」
「遠いよ!」
「めんどくせえ…」
「僕のはクラス3なんだぞ、1m範囲内にはいろよ」
「そォかよ、俺のはクラス1だわ、100mくらい我慢しろや」
「やだ」
「おい掴むな有線なってんぞ」
「矛盾を突いてくるなよとにかく行くなよ」
「一回接続切っても帰ればおんなじだろ」
「そんなこと言ったら設定切るぞ」
「設定切ったら初期化すっからな」
「…それは傷つくやつだろ!」
駄々をこねる声は、一撃で黙らせる。
「切らしてるもん買ってくるだけだわ馬ァ鹿」
「…えっ」
「何が無線だ、泣くほど仕返ししてやるから準備しろ」
本当は今晩泥のように寝てやろうと思っていたが、予定変更だ。
ゼロ距離で愛してやる。
職場の飲み会で先輩社員がグラスの届かない人に「Bluetooth」と言って乾杯しているのを見て爆笑しました。
その先輩はもう退職してしまったのでもう二度と接続できませんが、あまりにもそれが好きだったので、それだけで書きました。
2025-05-22