著者 松木 武彦
4.5 5つ星のうち 7 カスタマーレビュー
ダウンロード 美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書) Ebook PDF - 内容紹介 石器・土器・古墳の「美」とは何か? 新たなる人類史の試み。60万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスの石斧に始まり、縄文・弥生土器、古墳に至るまで、考古学は物の機能や技術面しか見てこなかった。だが、じつは「美」こそが、いにしえの人びとの在りかたを方向づけてきたのだ。物に託された数と図形、色や質感などを切り口に、人の心の動きと社会の変遷とを重ね合わせる画期的論考。 内容(「BOOK」データベースより) はるか60万年前の石斧に始まり、縄文・弥生土器、銅鐸、古墳に至るまで、人類の歴史は「美」の歴史でもあった。従来の考古学は物の機能や技術面ばかりを重視しがちだが、じつは「美」こそが、いにしえの人びとの在りかたを方向づけてきたのではないか。物に託された数と図形、色や質感などを切り口に、人の心の動きと社会の変遷とを重ね合わせる画期的論考。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 松木/武彦 1961年、愛媛県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。岡山大学文学部教授を経て、国立歴史民俗博物館教授。専攻は日本考古学。モノの分析をとおしてヒトの心の現象と進化を解明し、科学としての歴史学の再構築を目指している。2008年、『全集日本の歴史1 列島創世記』(小学館)でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
以下は、美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)で最も役立つレビューの一部です。この本を買うか読むかを決める前に、これを検討する必要があるかもしれません。 面白いです。人間ですもの。何かを作ろうとしたらそこに意識が入り込むのは当然だと思います。その意識が何なのか。今後の更なる研究に期待します。火笑ん土器を見た時、スゴい芸術的で、日本人的だなーと思いました。あの土器の回りで火を焚いてお祭り騒ぎしてそう。弥生土器から落ち着いて洗練されてきたのかなーとか。色々と想像出来て楽しいです。 従来の考古学は物の機能や技術面ばかりを重視して来たが、心理的な側面も重視するべきではないのか。そこからわかる古代の「謎」があるのではないか。松木武彦氏の、新たな冒険をワクワクしながら読んだ。例えば土器文様は、時代や土地や技術から離れて独自の発展をする。(機能的役割を持つ)「素朴段階」から(社会的なメディアとしての役割を持つ)「複雑段階」へ。そして(物理的機能を優先する)「端正段階」へと変わる。また、人間の指は十進法の発達を促しただろうし、偶数がの「四」が最初に採用されたのは、最も典型的な偶数だからだろう。よって縄文時代前期までは、四の波を打つ土器ばかりだった。ところが、複雑段階になる中期から、四の土器は減らないものの、三や五の波を持つ土器が増えゆく。そして、端正段階に入る晩期から、また亀ヶ岡式土器という波を消した土器が出現し始める。私はこの本に、「四」の持つ物語性を説明してもらいたかった。確かに「四」は安定した数字だ。しかし本当にそれだけなのだろうか。認知考古学と云えども、それ以上は言及出来ないのか。松木氏によると、弥生時代は、稲作の始まりよりも、金属器の導入時(前期後半BC4世紀)の方がインパクトがあったという。金属器には正円と直線が導入される。剣にしても、銅鐸にしても、銅鏡にしてもそうである。墓が参るものから「向き合う」ものへ、巨大モニュメントとして変化したその最初の契機に、吉備の楯築と、山陰の四隅突出墓を挙げている。楯築の二つの突出部は先端に大きな石が並べられているので、登り口としても作用しない。その代わり、墓に対する顔としての意味を持つだろう。しかも、頂上の平坦部には見たこともない特殊器台が置かれている。既に継承儀礼が終わった後の楯築の異様は、仰ぎ見るものとしてのみ作用しただろう。それは、その後の前方後円墳に引き継がれる。数で面白いのは、こういう事実もある。「もともとは偶数の表現が優っていた銅鐸に、奇数表現が現れ、さらには五段や三段の奇数を志向する前方後円墳が現れて発達するのが、紀元後1世紀から5世紀にかけてであることは重要だ。人々の間に階層が生じ、有力者が出て支配を強め、さらにそれらが政治的に結びついて日本列島の王権や国家ができてゆく数百年間に、それは当たっているからである。縄文時代に一度栄えたのち、しばらく鳴りをひそめていた奇数が、中央性や階層性の感覚と結びついたもうひとつの側面を強調されて、再び物の形に盛り込められて行った様子が伺える。」(125p)縄文土器は機能的役割よりも作り手のメッセージを発する手段として機能した。祭り道具だけでなく実用道具としても複雑段階だったことで、縄文時代の人々は科学的思考をする思考習慣(アプリケーション)を持っていなかったとも考えられる。という。なるほど!最盛期の縄文土器に、不均衡・不均等・非対称・奇数など、私たちに「不合理」とも感じられる造形や表現が盛り込められているし、「どうでもとれる」曖昧な表現、煮たき、貯蔵、盛り付けなどの機能性がないことなどから、どういう縄文時代の「理」があったのか。万象の中に隔てや境界、区切り、終始などの線引きをしない、人を自然の中に組み入れる、その中に生と死を繰り返す、独特な価値観があったのではないか。と、松木氏は云う。紀元前400年ごろから紀元前後の日本列島は弥生時代ではなかった。という。弥生時代は、簡単に日本列島にきたのではなかった。199pの図は、私には衝撃だった。朝鮮半島南部と北九州では国境はなかった。それと、水田稲作はもたらされていたが縄文時代の「理」は刷新していなかった西日本、そして金属器は伝わらず複雑段階の縄文土器さえ残っていた東日本とにわけられる、という。なるほど!ただ、松木氏は史的唯物論と認知考古学を対立的に捉えている。しかし、史的唯物論も、上部構造が下部構造に影響を与えることは認めているのだが、松木氏にその認識はないのだろうか。私は認知考古学も史的唯物論で説明出来ると思うのだが、どうだろう。気になったところではある。2016年8月読了 Tags:美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)PDFダウンロード美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)PDF美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)のePub美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)ダウンロード美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)オーディオブック美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)ダウンロードブック美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)発売日美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)試し読み美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)ネタバレ美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)amazon美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)download美の考古学: 古代人は何に魅せられてきたか (新潮選書)kindle