前号に続いてまた、「人生の店仕舞い」の時期や趣に近いとされている句をめぐって、妄想をはたらかせてみると、
人魂で行く気散じや夏野原(葛飾北斎)
これはご存知のように晩年富士山を題材にして大繁盛した作者(1760~1849)の辞世の句とみられているもので、まことに奇想天外、斬新奇抜な画風にふさわしい趣向といっていいだろうが、画道完成のために「あと十年、いやあと五年」とさらなる長寿を願っていたという思いを重ね合わせると、この画狂老人卍のユーモアにも一抹のペーソスを覚えずにはいられない。最晩年、没年の作ともいわれている『富士越龍図』中の、富士山頭上の龍も、おそらく未練を残して昇天していったのであろう。
一輪の花となりたる揚花火(山口誓子)
作者(1901~1994)は戦前、作句姿勢について「在る世界から、在るべき価値の世界の形成を目指す」といった意味のことを述べて、「ホトトギス」を離れ、「夏草に汽罐車の車輪来て止る」などの代表作を始めとして、即物具象を主観構成した斬新な詩空間を創造し、また戦後は「根源俳句」なる考えを提唱して句界に新風を吹き込んだ旗手と言われている。作者によればその根源とは「俳句の深まり」を求めての「すべての物がすつと入ってくるやうに開かれた無我、無心の状態」のことのようで、作者が晩年強調していたとされる客観描写に通じる理念なのかもしれない。とすると、「八月の神戸港の花火を見て」との前書のあるこの句は、幼子のような素朴な感動を虚心に活写しただけのことなのだろうか。あるいはまた、俳句人生で自ら散らした火花、その結実した大輪に自負と感慨を覚えていたのかもしれない。
梟となり天の川渡りけり(加藤楸邨)
作者(1905~1993)は人間探求派の俳人と言われているそうであるが、この句はいったい何をアピールしようとしているのだろうか。雉鷹や鶴白鳥の類ではなく、なぜフクロウなのか? フクロウ趣味でもあったのだろうか。もっとも、ローマ神話の「ミネルバ(詩や技芸を司る女神)の(連れの)梟」ではフクロウは知恵の象徴とみられているから、今生での探求の旅を卒業しようとしている今、これからはその知恵にあやかって三途の川ならぬ天の川吟行ロマンの旅と洒落込んで自らを慰め楽しんでいる気分なのかもしれない。