俳画セッション 子規以前の句
つげて明けぬ玉子の親ぢ世界の春 富尾似船
この句の眼目は「玉子の親ぢ」と「世界の春」の対比であり、談林調の滑稽味なのである。似船の時代つまり蕉風が興る以前は伝統的・法式的な貞徳流に反抗して談林風の俳句が一世を風靡したが、口語使用と滑稽な着想が特徴の談林調の一端を示している。
似船は寛永6(1629)年生れであるから芭蕉より15年早く生れている。江戸前期の俳人の句としては何とも壮大である。
この句の「世界」という概念は現代の我々の思う世界ではなく、仏教語の中の「三千大千世界」から発していると考えられる。それは須弥山を中心に太陽や月やあらゆる天を含んだものを「小千世界」とし、これを千個合わせたものを「中千世界」といい、さらにそれを千個合わせたものが「三千大千世界」であり、正に宇宙全体なのである。
「玉子の親ぢ」は雄鶏で、産んだのは雌鶏だが我が子の誕生と初春の喜びを暁の声に込めて高らかに鳴いたのである。雄鶏を「玉子の親ぢ」と表現したところが滑稽味であり意表を突く。小さな玉子と壮大な世界の取り合わせが面白い。「四方の春」や「今日の春」の句は数多あるが「世界の春」は近世ではこの句しかないだろう。
丸い小さな玉子と地球や太陽などの球体との対比を現代の私は想像してしまうのである。
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
波寄せて詩歌の国や大旦 大谷弘至
カーテンを開けたら、どおっと大きな世界が広がった。
大旦(おおあした)は元日の朝のこと。まさに、「あけましておめでとう」のめでたい句である。
「波寄せて」、「詩歌の国」、「大旦」を組み合わせると、こんなに広々とした大きな世界を構築することができるのである。
作者の大谷弘至は、1980年生まれの若い俳人だが、何とも大らかでスケール感のある俳句をつくる。
気に入ればここがふるさと鰯雲
初蛙金の水輪をつくりけり
さて掲句、柳田國男の「海上の道」を思い浮かべた。
「日本は島国であり、海を渡ってきた民族」である。彼らは椰子の実が流れついたように、黒潮に乗ってやってきて無人の孤島に漂着した。独特の言葉をつくり、素晴らしい詩歌を詠んだ。その遥かな国の歴史を正月の朝に思い浮かべてお祝い申し上げたということである。
外国の人に日本のことを説明するには、この俳句が大いに便利である。
(鑑賞と絵 森下山菜)