俳画セッション 子規以前の句
春の雪しきりに降て止にけり 加舎白雄
暦の上では立春から春になるのだが、それを実感するのは二月末から三月に入ってからであろう。雛祭や卒業式の頃は「仲春」であるが、「春寒」や「料峭」のように寒い日もまだまだある。冬型気圧配置の時に関東地方南岸を通る低気圧のコースによっては雪になることも間々あり、時に大雪になることもある。この予報は微妙で気象予報士泣かせのようである。
立春過ぎの雪を「春の雪」と呼ぶのだが、さてこの句、新暦ではいつ頃であろうか。「春の雪がしきりに降っていたが止んでしまったよ」それだけの言葉しかない句だが、春の雪の儚さ、明るさ、温かみ、そしてその中にいる自分、それらを見事に表現しているのである。余計な事を言わず「しきりに」という副詞と「止にけり」という「切れ」と「詠嘆」だけで。
降る雪の表現としては「霏霏」や「しんしん」もあるがそれでは冬のイメージになってしまう。やはりここは「しきりに」でなければならないのである。積もるかと思わせるほどの降りが、嘘のようにぴたりと止み、雲間から薄日さえ洩れて来そうな景色が見え、作者の、辛く長い冬もようやく終り、もう春なのだなあという感慨まで伝わってくる句である。
(鑑賞 遠藤酔魚 / 絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
水温む鯨が海を選んだ日 土肥あき子
「水温む」に「鯨」と「海」と来た。なんともうれしい気分である。いいなあ、やっと春が来た。北国の人にとってはもっと切実にうれしいことなのだろうなあ。
とにかくのどかである。のどかな春の俳人といえばやはり蕪村を想起してしまう。
春の海終日のたりのたり哉
水ぬるむ頃や女のわたし守
菜の花や鯨もよらず海暮ぬ
そしてこの土肥あき子のこの句も蕪村の延長線上の句である。あき子俳人、やはり蕪村が大好きなのに違いない。
この句の世界の大きさはどうだ。鯨が陸に棲むことをやめて、この広い海を選んだ。その日がこの春のよき日なんだって。春になると、人間すっかり気が大きくなって、途方もないことを考え出すものだなあ。
ちなみに、そのむかし鯨の先祖は哺乳類の偶蹄目のカバに一番近い種属で、陸上で生活をしていたそうだ。その後5千万年前に、海に住むご先祖が出現した。海は肉食の外敵が少なく安全で、浮力があるため大型化するのに適していたようだ。
マリリン・モンロー似の素敵な鯨に出会ったら、しかたがない、飲みこまれてしまおうか。
(絵と鑑賞 森下山菜)