俳画セッション 子規以前の句
温泉(ゆ)の底に我足見ゆる今朝の秋 蕪村
蕪村は芭蕉没から二十二年後の享保元年、攝津の国(大阪市)生まれ。写実的でありながら浪漫的な俳風も合わせ持つ俳人だ。
「なの花や月は東に…」「さみだれや大河を前に…」「朝がほや一輪深き…」「春の海終日のたり…」これらの句は俳人ならずとも多くの人が一度は目にしたことがあるはずである。
蕪村も俳諧師として全国を歩き回ったことであろう。ある日、旅の疲れを癒すべく山の温泉に浸かったところ、その湯の底に自分の足がくっきりと見えたのだ。その足は自分でもびっくりするほど痩せ細っていたのだ。透明でゆらめく湯の底の牛蒡のような足。それは言わずに見えたとだけ言い、今朝の秋と受けただけなのに、周囲の空気の透明感、ひんやりした空気感、峠を過ぎた人生観まで伝わってくるのである。
当時の伝統的な手法では秋は風や紅葉や水などの風物で詠むのが当たり前であったが、「足が見えた」ことの発見に秋を重ねたところが蕪村の革新なのだ。凡人なら湯や空気が透明だとか足が細いとかを書きたくな
る場面だが、ただ湯の底に足が見えた事実と秋。それだけでその何倍何十倍ものことを想像させるすごい句なのだ。
(鑑賞 遠藤酔魚 / 絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
貌(かお)が棲む芒(すすき)の中の捨て鏡 中村苑子
蕪村句ののどかで明澄な句とは対照的に、何ともおどろおどろしい恐―い句である。
まず「芒の中の捨て鏡」が恐い。昔から櫛や鏡にはそれを使った人の怨念がこもるといわれたようだが、それをススキ原にみつけた恐さ。その鏡の中に「貌が棲む」んだって。「貌」という字が恐い。本来「かたち」と読んでかおかたちのこと。そして鏡は、三種の神器の一つとして大事にされてきたものであり、どこの神社にも祀られている。昔の人は、鏡の向うにこの世とは別の世界があると考えた。あの世との出入口であった。
夕暮れのススキ原、逆光の中に一瞬キラリと鏡が光る。よく見ると割れた鏡の破片である。なんでこんなところに鏡の破片が。
この鏡の持ち主は女性だね。女性の怨念だ。六条御息所かな、お岩さんかな。そういえば蕪村にも恐い句はあった。
身に入むや亡き妻の櫛を閨に踏む
苑子俳人には恐い句がたくさんある。
わが墓を止まり木とせよ春の鳥
一椀の水の月日を野に還す
一生懸命生と死の出入り口をさがしていたひとであったようだ。
いずれにしても、これだけの連想を掻き立てる十七音、つくづく隅に置けないものである。
(鑑賞と絵 森下山菜)