俳画セッション 子規以前の句
猪も抱れて萩のひと夜哉 高尾
御隠居「おい熊、おめえもいい年だから馬鹿ばかりやってないでたまには俳句でもひねってみたらどうだい」
熊「そういえば吉原の大夫が『猪も抱れて萩のひと夜哉』という句を詠んだそうですがどういう意味ですかい?隠居」
御隠居「おめえもなかなか風流なことを知ってるじゃねえか。意味はな、猪も秋ともなれば萩の寝床で優雅なひと夜を過すであろうてなことさ、一応は」
熊「なある。でも一応とはどういうことなんです?」
御隠居「この句はな、『徒然草』の〝おそろしき猪のししもふす猪の床といへばやさしくなりぬ〟っつう一文を踏まえているんだな」
熊「さすが大夫ともなればてえした知識でげすね」
御隠居「さらにだよ熊、これは客の出した句に対する返答の句かもしれないし、たとえば猪は客の旦那で、萩の模様の夜具か打ち掛けと思ってみねえ。また一段と味わいがあるっつうもんじゃねえか」
熊「ちげえねえや。ところで御隠居、味わいついでに今夜はももんじやにでもくりだしますかい?」
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
単純明快!でもねえ、この風鈴、どこにでもころがってるガラクタとはちょいとわけが違うんだぜ。飯田商店の一番たけえお宝だい。
誰でえ、秋になってもまだ取り外していねえ鋳物の風鈴が寂しく鳴ってるなんて馬鹿なこというやつは。寂寥感だって。貧乏くせえ話しをするなって。
里芋の葉っぱに白露がコロコロとこぼれてアルプスの山なみがくっきりと見えるような空気が澄み切った秋の一番いいころを思い浮かべてみねえ。そのときに「くろがねの秋の風鈴」っていうこの世に一つしかねえ風鈴が、今まさに満を持して鳴り響いたっていうすげえ話よ。まあ人間でいやあ、働き盛りをやっと終わって一番うれしい「人生の秋」って頃だな。作者がこの風鈴の気持ちになって鳴り響かせちゃったのだろうなあ。うれしいねえ。
この句、何回読んでもいいぞ。重々しいし、きりっと男っぽくてよ。まるで古武士のたたずまいっていうのかなあ。まさに国の宝だね。おりゃあ日本に生まれてきてよかったねえ。
絵は、運慶作といわれる鎌倉時代の彫刻の傑作、重源上人坐像。東大寺を再興した人である。
(鑑賞・絵 森下山菜)