俳画セッション 子規以前の句
憂きことを海月に語る海鼠かな 召波
召波は江戸中期の俳人・漢詩人で黒柳氏。京都の富商で蕪村門。
今回はどちらも擬人化と寓意の句。ゆらゆらと水中や水面を漂う海月(クラゲ)に、海底で生活し人に捕らえられる運命の海鼠(ナマコ)が我が身のはかなさを愚痴っている。有用・無用を寓意的に表現した句なのだ。
海鼠は当て字で古くは「こ」とよばれており、「生」の「こ」なので「なまこ」となったらしい。
しかし海鼠君、海月も毎年幕府に献上された記録があるのだ、決して何の心配も無く大海を漂っているわけではないのだよ。まして両者とも何百種類の仲間がいるが、捕らえられ食べられてしまうのはほんの数種類だけなのだよ。ほとんどは一生海底を這いつくばっているか、大海を漂っているのだ。
海鼠は気味悪がられ、海月は人を刺して厄介者扱いされてしまうことに比べれば、捕らえられ食べられても美味い美味いと人間の役に立てることを誇りに思いたまえ、などと自分勝手ななぐさめ方をしてしまうのだ。今夜は海月と胡瓜の前菜、海鼠の酢の物でも食べようか。
最後にこの句の種明かし。蕪村の「思ふこといはぬさまなる海鼠かな」を反転させた句でありました。
(鑑賞 遠藤酔魚 / 絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣
こういうのを風狂というそうである。
とにかく主人公が泥鰌である。あの泥の中にいる泥鰌がだよ、水面に顔を出して何か言って沈んだというだけの話だが、ただただおかしい。
妻「今ちょっと手が離せないのよ。鯰さんの奥さん産気づいちゃって大変。あんた、鍋におかずがあるから勝手に食べといてよ。」
子「かあちゃん、ちょいと帰れねえんよ。鯰ちゃんに宿題教えてもらっててさあ。うそじゃねえよ。」
夫「馬鹿云うんじゃねえ。女なんかいねえよ。鯰が会社辞めるんで、しんみり話を聞いてやってるんじゃねえか。飯はいらねえ。じゃあな。」
というセリフを想像してしまうようではないか。
そこには花鳥諷詠も人生観も何か象徴するものもない。あっけらかんと何もない。
しかし、その何もないということの気楽さ、力の入ってなさが、何とも言えないおかしさを生み出しているのである。巧まないおかしさ。読む人をほっとさせるのである。
この人には鯰の句が多いらしい。
池の鯰逃げたる先で遊びけり
何ともこの空漠さ、ニヒリズム。永田耕衣という俳人、ちょっと並みじゃない。九五歳で句集を出し、九七歳で亡くなった(一九九七年)人生の達人であった。
(鑑賞・絵 森下山菜)