俳画セッション 子規以前の句
短夜や未濡色の洗ひ髪 三宅嘯山
三宅嘯山は江戸中期の京の俳人・漢詩人。生業は質商、宋屋門で蕪村一門と親交があった。
さて、今日は大川の花火大会。小唄の師匠の於志津も教えている旦那衆と連れ立って見物に行って来たのだ。
両替屋の清左衛門、仏具屋の金蔵、蝋燭問屋の五平、薬種屋の徳右衛門、料理茶屋の平助らと六人で。清さん徳さんは色も欲も無い年寄なのだが、少し若い金蔵は花火そっちのけで色目を使うし平助も負けじと言い寄ってくるし五平はそれを面白がるしで蒸し暑い上にさらに暑苦しい夜になってしまったのだ。
それにしても両国橋の人出は大変なもので川面にも見物の屋形船や猪牙舟がひしめきあっていた。花火を見に行ったのだか人を見に行ったのだかわかりゃあしない。
ようやく家に帰って汗ばんだ体に行水を使いさっぱりしたところである。
夜とはいえまだ昼の熱気が残っており、洗い髪もなかなか乾かない。冷酒でも一杯ひっかけて花火の余韻にでも浸ろうか。
でもそんなことをしていたら短い夏の夜はすぐに白々明けてしまいそうだ。
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
汝が胸の谷間の汗や巴里祭 楠本憲吉
「ながむねの たにまのあせや ぱりーさい」と読む。
いつの頃も男子の目を引きつけて止まない胸の谷間。谷間といえば昔の文学少年はバルザックの「谷間の百合」を想起した。このフランス臭さがこの句の伏線にある。
そして7月14日はフランスの革命記念日である。ルネ・クレールの映画「巴里祭」(1933年)にちなんで、日本ではこの日にパーティーなどが行われ、季語の「巴里祭」が誕生したという。もっとも「巴里祭」なるもの、日本にしかない日本のつくりものだそうだ。映画の元題は「七月一四日」なのだ。
作者も銀座のキャバレーの巴里祭に参加して、ホステスの胸の谷間に見とれていた。ときに昭和28年、特需景気で湧き返っていた頃のことだとか。
「とりあえずパー券(パーティー券のこと)を買ってパリ祭を祝い、あこがれのフランスに行ったことにしてしまおう」、「七面倒くさくてよくわからないけど、革命万歳、民主主義バンザーイだ!」。何とも軽い民族の軽い文化が俳句に結実した。
巴里祭もキャバレーもすでに姿を消した今、この俳句が昭和の歴史の証となったわけである。
絵は、フェリーニの映画「甘い生活」で、主人公を翻弄するグラマー女優アニタ・エクバーグを、フランス革命を率いる自由の女神に見立ててみた。
(鑑賞・絵 森下山菜)