俳画セッション 子規以前の句
角あげて牛人を見る夏野かな 松岡青蘿
青蘿は芭蕉から約百年後、江戸中期の俳人で、江戸詰め姫路藩士の子息であったが、後に藩を追われた。
夏野を歩いていると、すぐ近くで草を食べていた牛が角を上げてこちらを見た。一瞬走る緊張感。しかし程なく牛は何事もなかったように再び草を食べ始めた。
うだるような暑さと草いきれの中、人と動物との接近遭遇。
この牛は荷役や農耕のための牛であろう。もともと温和なうえ人に馴れており、よほどの敵意を示さない限り角を上げて向かってくることはないのだが、距離が近いと睨み合いになることもあるのだ。
当たり前に牛がいた時代の何気ない出来ごと。見過ごしがちなことをとらえ、一瞬の緊張感と永遠のようなのどかさとの対比。
夏野の体験を牛中心の表現とした一句。
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
谺して山ほととぎすほしいまま 杉田久女
この季語の「ホトトギス」は、日本では昔から愛され、歌にもよく読まれている渡り鳥である。
初夏の緑がまぶしい山の朝。深いしじまを破って、ホトトギスが啼き出した。
キョキョ・キョキョキョキョ
存分に啼き声を響かせて、山の景色をひとりで支配している。うれしくなってこちらも思いっきり背筋を伸ばし、山の冷気を胸いっぱい吸い込む。
愛すべき「ホトトギス」は、正岡子規の俳号になり、また由緒ある俳句の結社の名前にもなった。
久女はのちにこの結社を除名されるに至るが、この句を詠んだころはホトトギスの女流俳人としての名声をほしいままにしているという自負があった。「谺して」、つまり句を詠めば皆もそれを口ずさむという大いなる自信。
掲句は久女が、福岡県と大分県の境にある霊山、英彦山に登ったときの作で、「ほしいまま」のフレーズを手に入れるまで、その後何度も英彦山に登ったそうである。
「ほしいまま」、「のぞむまま」、「あふれるまま」。
僕はこの女流特有の言いまわしに、女性ドライバーが目をつぶってハンドルを握っているようなそんな危なっかしさを感じてしまう。受け手もはらはらしながらそのドライバーを盗み見る気分になっているのに違いない。
女流の句は、ステキだけど恐怖だなあ(汗)。
(鑑賞・絵 森下山菜)