俳画セッション 子規以前の句
むかばきに卯の花かかる雨くるし 加舎白雄
白雄2度目の登場である。この句に出会ったのは9年前。その頃新聞に「高橋睦郎 花をひろう」という連載があり、毎週楽しみにしていた。卯の花の週の、卯の花八句の中にこの句があった。俳句を始めた頃だったので強く印象に残っている。
遠乗りに出かけたが急に雨が降り出してしまった。せっかくの卯の花がむかばきに張り付き、いやな気分である。雨さえ降っていなければ…。そんな気分ではなかろうか。戦国の世でもないので、初夏のすがすがしさに誘われての遠乗りを楽しもうとしていたのだ。
むかばきは向脛(むかはぎ)に穿くという意で武士が騎馬の際に袴の上に着用したもの。
卯の花は空木の花、卯月(陰暦四月)に咲くので卯の花。茎を切ると中が中空なので空木という説もある。万葉集にも盛んに詠まれ、古今和歌集をはじめ勅撰集の重要な題目であった。庭や垣根に植えられたりしたが最近はあまり見ない。むしろ畑の境木として残っていることが多い。
唱歌にもあるように卯の花といえばほととぎすを思い浮かべるが、どちらも重い季語なので両方を一句に詠むことはまず無い。
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
ぜんまいののの字ばかりの寂光土 川端茅舎
鑑賞子、5月には毎年友人たちと山菜狩りに行く。1年中で一番うれしい行事である。あまりにもうれしいので、自分の俳号まで「山菜」にしてしまった。
雪が溶け出して、フキノトウ、コゴミ、ウド、タラノメ、コシアブラ、ワラビ、モミジガサ、続々出てくる。自炊の温泉宿に泊って、地酒と収獲したばかりの幸を味わう。
意外なことに、山菜を詠んだ句にはいいものが多くないようだ。多分俳人は山菜狩りをそれほど好まなかったのだろう。その中で、この茅舎の句は山菜狩りのこころをよく捉えているものといえる。
ここでの獲物はゼンマイ。はじめはなかなか見つからないが、そうこうしているうちに目が慣れてきて、簡単に見つかるようになる。
ゼンマイは綿毛をかぶった「の」の字を描いたような山菜。そのうちに自然に「の」の字に反応するようになる。そのころはもう無我夢中である。目をつぶっても「の」の字、空を見上げても「の」の字。目を凝らして見るとそこは吹き出したばかりの淡い緑の山の中。まさに寂光土の住人である。
ネマガリダケの山に入ると、寂光土の熊に遭遇して恐い目に逢うことがあるそうだ。用心用心。
(鑑賞・絵 森下山菜)