俳画セッション 子規以前の句
山やくや眉にはらはら夜の雨 小林一茶
一茶は不思議な俳人だ。自然や動物に対する慈愛の心を持っているかと思えば、肉親に対する激しい気性も併せ持つ。さらに晩年に際立つ房事へのあくなき探究心は自ら日記に残すほどである。
子規は一茶の特色を滑稽・諷刺・慈愛の三点と述べているがうなずける気がする。一筋縄ではいかない人間臭い俳人なのである。
さてこの句、「や」で切った「山やき」と「眉に…」の取り合わせの句であり、二句一章の句でもある。
キーワードは「眉」と「夜」だろう。この二つの言葉から連想するのは「女」である。
一切のものを焼き払ってしまい新たな命を生み出すための美しくも残酷な知恵である山焼き。その景色に、呆然と雨に佇む女の姿をぶつけた妙味。女は心の火で何を焼き払ったのだろうか。雨は女の流す涙のようにも感じられる。
一茶は山焼の句を二十五句残しているがなかにはこんな句も。
「裸山やけを起してもゆる哉」
(鑑賞 遠藤酔魚/絵 森下山菜)
俳画セッション 子規以後の句
葱抜くや春の不思議な夢のあと 飯田龍太
まず「葱抜くや」と「春の不思議な夢」のただならぬ言葉のつながりに驚く。
どうもこの句「夢のあと」がポイントのようだ。
「あと」を時間経過の「後」だとすると、春の不思議な夢を見た後、まだ眠い状態で畑の葱を抜いた。葱を抜くという日常行為により覚醒したという話になる。
一方、芭蕉の「夏草や兵どもの夢の跡」の「跡」だとすると、葱を抜くという行為を通して、春の不思議な夢を追想、あるいは追体験してしまったという話になる。
葱を抜くという場面を想像してみよう。葱を抜いた穴を見て不思議な国のアリスの異次元の世界にはまりこんだのだろうか。あるいは、葱の皮をむいたあのみずみずしい白さと匂いに自分の青春を思い出したのだろうか。
飯田龍太の独自の感性と省略形が、僕らに多面的な世界を想像させ、ロマンチックな楽しさをかきたてる。
さて俳画。酔魚氏曰く、「絵と鑑賞は格闘技」。というわけで、今回は眠狂四郎氏にご登場願った。
(鑑賞・絵 森下山菜)