秋雨時近くの図書館に出かけ、某書からホットな句を選んで勝手に妄想を働かせると、
鬼灯に女の素足指うごく(加藤楸邨)
これは、作者(1905~1993)の句集『吹越』(1976)に載っているらしい。人間の内面心理の探求者といわれる作者だが、赤い鬼灯の実を口にくわえて鳴らしている「女」の裸足の指が動くとは何を象徴しているのだろう。「鬼灯」と書くのは「実が赤くて怪しげな提灯」から得た印象で、また花言葉は「偽り」「私を誘ってください」のことのようだから、魔界の花園への招待を詠んだものかもしれない。
朝ぐもり女の羞恥掌に残る(堀井春一郎)
これは昭和29年、作者27歳の作らしい。朝ぐもりとは夏の朝もやを指すようで、二人はまだ蒲団の中にいて、男は出勤を控えて目が覚め女は隣でまだ眠っているのか。男は煙草でも吸いながら昨夜の女の、あられもない狂態の感触が残る掌をさすりながら悦にいっているのであろう。そういう優越感を一度は味わってみたい気もしないではないだろう。
葬ひのある日もっとも欲情す(上野ちづこ)
これは、かの著名な社会学者の句集『黄金郷(エル・ドラド)』(1990)に載っているようで、知る人ぞ知るであろう。エロティシズムはタナトス(死)を意識したときに極まれりという観念俳句として見られているようだが、形而下でそれを疑似体験するには渡辺淳一の『失楽園』や『愛の流刑地』を読んだり観たりするしかないであろう。
女夫鹿や毛に毛が揃うてけむつかし(松尾芭蕉)
これは作者28歳(1672)の頃の三十番発句合『貝おほひ』にあるらしい。鹿のオスメスが毛すりあわせて睦みあい、最中は気むづかしくて他人をはばかる様子を当時の小唄などをもじって詠ったもののようだが、ユーモアがあって笑いを誘う。余人にはわからない形而上的夢でもみて枯野をかけめぐるよりも、こういう通俗的な若き日の句のほうに親しみを覚えることもあるだろう。もっとも、その夢にしても、実は俳諧の世界における永遠の名声という形而下的なものだったのかもしれない。