hibernation2
"hibernation"の前日譚のようなもの
「____貴様の魂と引き換えだ。」
死の神は、彼にそう告げた。
「…俺の……?」
呟いた声が、自分のものではないように聞こえた。
「左様。厄災を止め、それだけの数の命を地上に繋ぎ止めるためだ。安いものだろう。」
立ちすくむ彼に、死の神はたたみかけた。
「千年の昔、貴様と同じことを成し遂げた者は神となった。
貴様の魂にはそれだけの価値がある。」
「…わかった。俺の魂でよければくれてやる。」
しばらく俯いていた彼は、顔を上げると、静かな声でそう応えた。
「ほう?」
髑髏のようなその面立ちからは表情は読み取れないが、死の神の声色は、なにか面白がるような口ぶりだった。
「意外だな。貴様は自分の魂にもっと執着しているものだと思っていたが。」
「…もう…充分なんだ…」
その声は震えていた。
彼は小さくかぶりを振ると、死の神の足元に歩み寄り、膝をついた。
______俺が死んだら…お前は…泣かないのだろうな。
______………さあ、わからないわ。泣かないかもしれないわね。
______……そうだろうな。そのほうがいい。
目を閉じて、思うのは、彼女のことばかり。
その会話を交わしたのは、いつのことだったか。
ひどく昔のような気がする。
「……そのほうがいい。」
彼は小さくそう呟いた。どうか、悲しまないでほしい。
俺はもう、充分だから。
お前を必要としている者が、たくさんいる。
だから、どうか__________
「来い。・・・!」
死の神が、彼を呼んだ。
______思うのは、彼女のことばかり。
* * *
「今からお前には、女王陛下と、そしてもう一人、ある男と会ってもらう。」
「…はい。」
侍女は神妙に応えた。
女王の親衛隊長の男から呼び出され、これから新しい仕事をしてもらう、と告げられた。
それに続く言葉が、これであった。
「女王陛下はお前をご指名された。これから会ってもらう男は、女王陛下の、…そして俺にとっても、
とても大事な人だ。」
その言葉だけで、この仕事の重さ、自分に寄せられた期待の価値を把握できた。
この城に侍女として仕え始めた期間はそう長いものではないが、その男の話はいくらか聞き及んでいた。
女王にとって、そして、親衛隊長にとって、大切な人。
侍女は強張った表情で、ゆっくりと頷いた。
「ありがとう… よろしくたのむ。」
親衛隊長は微笑んではいたが、どこか悲しそうな瞳をしているようにみえた。
親衛隊長とは何度か話したことがあったが、彼はいつも自分のことを「私」と言っていた。「俺」と言っているところなど、初めて耳にした。
「とても、大事な人…」
侍女はそう呟きながら、指示された部屋に向かうため、尖塔の階段を登ってゆく。
心がざわざわする。足取りも落ち着かない。
尖塔の階段の窓からは港が見えた。いままさに出港する定期船が、ゆっくりと動き出す。
方角を変えて望んだ窓からは、遠くに広がる深い森が見える。
この階段は幾度か登ったことがあるのに、窓からの景色をこんなに意識したことは初めてだった。
「よく来てくれたわ…。ありがとう。こちらへいらっしゃい」
ひどく緊張していた侍女の耳には、女王の声が遠く聞こえた。
ひとつ足を踏み入れたその部屋は、明るい光に満ちていた。
開け放たれた大きな窓からはたっぷりと光が注ぎ、草の匂いを孕んだ気持ちの良い風が吹き抜ける。
「あなたが来るのを待っていたわ。あなたに紹介したいひとがいるの。」
女王は、部屋の奥に設えられた豪奢なベッドの脇に立っていて、ベッドサイドテーブルに飾る花を整えていた。
「わたしの大切なひとなの。」
ぱちん、と、花の茎を切る鋏の音が響く。
あの花は見覚えがある。風が種を運んできたのか、このところ中庭にたくさん咲き出した野の花だ。
花は女王自ら手折ってきたものなのだろうか。そんなことを考えながら、侍女はベッドに近づいた。
ベッドに眠っていたのは、思った通り、色素の淡い髪をした男だった。
その様子から、侍女は一目で察した。
彼が目覚めることはないのだ。
「…彼に、触れてみてくれる?」
女王は侍女の手をとると、彼の手に重ねた。
見た目の印象よりも、さらに冷たい手だった。
しかしそれは、柔らかく瑞々しい肌をしている。
驚く侍女のその手を、今度は彼の胸の上に導いた。
その刹那、彼が小さく息を吐いた。ほんの微かに、彼の胸が動いたのを感じた。
「生きているの。…でも、魂を奪われてしまった。」
女王がぽつりと呟いた。
「森の動物はね、冬になると、長い眠りにつくの。
呼吸も、鼓動も微かになって、身体もつめたくなって。」
それは、なにかを懐かしむ口ぶりだった。
「今の彼とよく似ているでしょう。魂を奪われて、目覚めることなく眠り続ける。それは慈悲だったのかしら。
あまりにも残酷だと思うのだけれど…、けど、彼は生きている。
動物たちは、春になると目覚める。魂を奪われた彼は…そうではないのかもしれない。」
そうであってほしい。
微かな呼吸で、冷たい身体で、眠り続ける彼に、女王は幾度それを願ったのだろう。
「あなたは…今の彼を見て、どう思うかしら。正直に言ってみて。お願い。」
ひどく、胸が苦しい。
泣き叫んでしまいそうだった。でも、女王の質問に答えねばならない。
「……女王…陛…か……」
女王は、慈愛に満ちた瞳で侍女を見つめていた。小さくひとつ頷く。侍女は促されたような気がした。
「とても…綺麗です。」
それは、心からそう思った言葉だった。
凄惨さに近い印象の美しさだった。
元々色素の少ない体質なのであろう。髪は明るい光の中で透き通るようだった。
血の気が感じられない肌の色。それを包む、白い清潔な寝具。
閉じられた瞼、彩る長い睫毛も薄い色。
美しい容姿の男だと、耳にしたことがあった。
女王と並んで歩く姿は、さぞかし人目を引いたであろう。とても似合いのふたりだったはずだ。
その男はいま、光に透けて消えてしまいそうな姿で眠り続けている。
「…ありがとう。……綺麗ですって。よかったわね、・・・?」
女王は侍女に礼を言うと、彼にむけて語りかけた。
眠る男のそばに身をかがめ、女王は優しい表情で彼の髪を静かに撫でる。
その姿に、侍女はもう嗚咽をこらえきれなくなった。
「………っ……ご無礼を…… …申し訳ありません… うぅ… っ…!」
柔らかな絨毯に、涙が落ちる。
しゃくり上げながら、謝罪の言葉を絞り出す侍女に、女王はかぶりを振った。
「いいの。ありがとう。…彼のために泣いてくれて、ありがとう。
彼の身の回りの世話、あなたにお願いできるかしら。」
断れるものか。
「心を尽くして…お仕えさせていただきます。」
侍女は涙を拭い、誓いを立てた。この涙は、彼のためのものではないから。
女王とその恋人のために。
慈愛と孤独を背負った女王が、彼に寄り添っていられるように。
願いを、叶えられるように。
___彼女が、悲しまなくなる日が来るように。
元々はtwitterで見かけた「100人を殺さないと目を覚まさない呪い」というお題からの発展だったので
結末はバッドエンドを想定していて書き始めたものです。
これを書き上げた後、「死んで生き返りましたれぽ」を読んで、バッドエンドにしたくないな、と思いました。
彼らを助けるルートを探りたいなと思います。
あと親衛隊長は白い髪をした男です。