神は存在するのか?
前に2015-04-24原初の神に神とは何なのかを書きましたが文を省略しすぎてわかりにくくなっているような気がしたので改めて書きたいと思います。
まず学問には理系と文系という区別があります。理系は万物を研究対象にする分野であり、文系は人間関係を研究対象にします。理系は万物を研究するので人間関係も含まれますが、我々が人間であるのでそれ以外のものに比べると人間関係は大変大きなものであるので切り離されています。
この理系文系の区分で言えば神は文系の分野で考えるべきものであり理系が扱う物理現象とは関係がありません。そのため物理現象に答えを求めても結果は得られません。
人間関係は2人の人がいると親的立ち位置になったり子供的立ち位置になったりします。これは生物学的に親子が存在しその立ち位置が他人にも及ぶと言うわけです。たとえば小学生が先生のことを「おかあさん」と呼んで笑われるとかいうエピソードがあったりします。人間関係には平等というものもあります。同じ小学生どうし学校では先生が親で子供たちは兄弟という立ち位置になります。この小学生たちの一人が何か悪いことをして別の小学生がその人をたしなめる時には、どのような表現をするのか思い出してください。最初は「だめだろう」と直接言うと思いますがそれでもらちがあかないときは先生を持ち出して「先生に言ってやろ」と言い出すと思います。親的立ち場の人を引き合いに出して自分がその立ち場に一時的に立ち相手をたしなめようとします。
これが出来るのは学生のときで就職したりしたら会社の上司の存在を伺わせておこなうのですが、一般社会において同じ組織に属していない人に対して同じことをするにはどうしたらよいのかという疑問が出てきます。日本で古くは「おてんとさまが見ている」と言っていたかもしれませんが、ここで全ての人間の親的立ち場である「神の存在」の必要性が出てきます。
逆に神が存在しないのなら全ての人間の親的立ち場である人間の王様が必要になって来ます。しかし、人間の王様は単独で存在出来るわけではなく下部組織が必要となり構成人員全員を含めたヒエラルギーに発展しかねません。そのような社会は人員の活躍の場が失われるので継続発展出来ません。そう言う理由で神が存在する社会が生き残ります。
「神は存在するのか?」の答えは「神の存在が必要である」という少し斜め方向を向いたもになります。神とはどのようなものかは特に決める必要がないのです。