設計はボランティア
私が就職した当時、先輩に「設計はボランティア」だと言うことを言われました。そのときはぴんと来ませんでしたが、日本における設計業務の歴史というものを考えると、どうもそうだと言えることが解りました。そして現在抱えている問題点も見えてきます。
日本における製造業というものはたとえば昔浪人が手工業で作っていたという「からかさ」の製造を例に考えると、かりにこれがものすごく売れて一人では作れきれない状態になってくると、数人が同じ場所に集まって材料の仕入れや製品の搬出の効率化を図ると思います。さらに効率化するなら製造過程を分業します。そして、全体工程の人員バランスをとる係であるライン長が現れます。ライン長は新しく入ってくる工員の訓練もおこなうようになるでしょう。
この段階で製品自体の価値を上げたりバリエーションをつけてさらに売れるようにするには、油紙の色を変えたり別の素材に変えたりするといいのではないかと思うのですが、むやみに変えただけではのりがつかなかったりするかもしれません。その調整をするのがライン長でボランティアとしておこなうことになると思います。
つぎの段階で製品展開して雨の関連商品として長靴とかをつくることになると前の流れでライン長がボランティアで製造方法を調整することになります。
さらに次の段階でさらなる製品展開で世の中にないものを新しく作りだそうとしてもやはりライン長がボランティアで考え出すことになります。この段階で現在の「設計はボランティア」という状態が発生します。
日本における設計者はライン長と同じ立ち場であり同じ給料なのです。
欧米では別の歴史をたどったために設計者は経営者の一部とみなされています。
日本がたどった歴史は上では「からかさ」を例に上げましたが実際は欧米の製品を模倣した歴史であり昭和の初めまで続きました。歴史がわりと浅いために未だに「設計はボランティア」の立ち場にあります。
設計はボランティアであるためにその価値が過小評価されてしてしまい、社員の誰が実際に設計しているのかが解らなくて人員を再編成すると設計部隊に本当の設計者がいなくなるような事態がおきたり、リストラすると本当の設計者が会社から去っていったりする事態が発生します。
また逆に偶然か故意にか本当の設計者が多量に集まった部隊ができるとすばらしい製品を作ったりします。
「本当の設計者」というものが解らないでいると会社としての設計能力は不安定になってしまいます。その原因が「設計はボランティア」だという思い込みです。