A letter from 山下月子 「ごめんなさい」
あなたがまっていたことを知っています。いまさら謝ってもすまないとはおもうけれども。わたくしがそこにいると思ってあなたは早足でお出かけになり、電車に乗って、鼻歌を歌いだしてしまいそうなほどうきうきして、約束の場所に向かう間、その胸が風船のように膨らんで、次の一歩でもはや空に向かって歩み出してしまうほどであったであろうこと、わたくしには想像できるのです。
なぜなら、わたくしもそのようにあなたを待ったことがあります。わたくしが焦がれて焦がれて、一緒にいる時間の早さに歯軋りしてしまうほどに、あなたを求めていた頃のことです。あなたはわたくしの空気であり、水でありました。一秒たりともわたくしはあなたなしで生きられないと、世界中に向かって叫びたいほど、わたくしは全身全霊を歯磨きチューブの最後の一ひねりのように搾り出してあなたを切望しておりました。
そう、そのエナジーこそが、あなたに一目会うために早朝目覚めさせ、あなたの一言を聞くために夜中に電話をみつめてはため息をつき、そしてあなたの優しい手に抱かれることを夢見ながら、さながら先ほどのあなたのように、湿った古い町並みを砂糖菓子のごとく甘い香りに変え、雲の上にまでとんでいきそうなくらい軽やかに、わたくしの足を運んだのです。すべてのものがみずみずしく美しく、ふくよかな香りを放ち、どちらをみても新たな驚きで満ちている。何を見ても初めて見たような気持になり、なんと鮮やかに、心のふるえや肌の感触を微細に感じ取ることができたことか。あなたを愛しただけで、世界中がわたくしを祝福してくれた。
そして今、わたくしは切望するのです。
「あなたを」でなく、「わたくし自身の」 その溢れんばかりであったエナジーを。
わたくしは気付いてしまったのです。あれはわたくしの息吹が描いた蜃気楼であったことを。あなたをいくら待っても、あなたからそれを得ることはできないと、、、皮肉なことに、あなたがとうとうわたくしを求め、あなたの瞳が、確かにわたくしの瞳にきらめいていたのと同じ星の光を湛えた今!あなたがそのエナジーを得たことを知った今!気づいてしまったのです。
ごめんなさい。わたくしはもうあなたを待ちはしないのです。あなたは待ちくたびれて、二度と来るものかとここを去ったかもしれません。そしてわたくしはそんなあなたの後にこうしてこの場所を訪れ、あなたが立っていたであろうところに、まるで男のように立ってみるのです。まちぼうけの宙ぶらりんなわたくしは、それでもあなたがもういないことに既に慣れ初め、憩いはじめているのを感じています。
山下月子