「おしゃべり林檎と私」
<Chapter 1>林檎が来た訳
「ねえ、昨晩遅く電話したけど通じなかった。どうして?」
「友達んちで飲み明かしていたから。」
「ふうん。」
手持ち無沙汰で何気なく男の冷蔵庫を明けると
みなれぬ黒い袋が入っていた。
「これなあに?」
「これ林檎。持っていく?」 彼は言う
私は袋を見つめる。
ショッピングバッグでない
高級ブティックの黒い袋に林檎・・・。
いつ誰からもらったの? でなく
「うん。林檎頂戴。」と私は言う。
そうしてここへ来たのがこのおしゃべり林檎です。
<Chapter 2>林檎が言うには
林檎を彼に与えた女は離婚して淋しくて
けれどもう自由でいたい。
それで利口というよりはいじましい知恵を絞り
男の髪を撫でながら甘く哀しげに言うのだった。
あなたが誰を好きでも変わらずに
わたしはあなたを受け入れるから
(時々会ってセックスしましょう)
の部分はもちろんオフレコにしておいて、
このまま仲良しでいましょう。
自由な関係でいましょう。
あなたがいなくなったら淋しいわ。
でも覚悟しておくわ。
だって、あなたには幸せになってもらいたいの。
私のように失敗してほしくない。
大事な彼女に気付かれないようになさいね。
何か聞かれたらお友達だと言いなさい。
だってそうでしょう?私たち、お友達でしょう?
(そうじゃなきゃこっちが困るのよ。)
そうして別れ際、
(でも、完全にバレないってのも癪に障るわけ)
おいしいのよと何気なく手渡す
ブティックの黒い袋には毒が満載。
「男と言うものは単に愚かなのでなく
直観の二文字が欠落したぶんぶん蜂だね」
林檎はそう言って口を閉じた。
<Chapter 3>魔法の鏡の正体は
白雪姫の国から見れば相当にファー・イーストに位置する
日本国の首都東京の片隅の狭い台所に佇み
これまた狭い脳梁間に火花を散らせ
長編恋愛ドラマを一瞬にして繰り広げた私は
毒林檎をガブリしないせいか、
おかげさまでこうして生き生きと生活しつつ、
多分同じ理由からこのまま愛しの王子さまにも
巡り会えないのだろうかと一抹の不安をおぼえるけれど、
今日は冥王星と水星が直角に並んでるんで、
つまらない憶測にとらわれがちなのだと納得する。
恐らく私から北東約 22.5 キロに位置するであろう
林檎の女は鏡に向かってつぶやくのだ。
「あなたには幸せになってほしいのよ」
結果的に失いやつれただけの人生の前半で
唯一失うことなく獲得した技術であるとっておきの、
それで男はイチコロだと自負するその表情を
鏡の裏からのぞきこみ私は答えてあげなくては。
「女王様、女王様、何事かに焦って黒焦げになったお顔が見えます。
あなたの目元の張りも、あの男も、引きとめる価値はありません。」
本日のお勧めCD
「Two Worlds」 by デイブ・グルージン&リー・リトナー
熱に浮かされた頭を冷却するにはもってこい。 聖水のごときアルバムです。
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(昔、ある会社のウェブサイトで連載していた「ハートブレイク・カフェ」という短編より。最後におすすめCDがある連載だったのです。)