田万川

田万川のおたからを育んだ海彦・里彦・山彦

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萩市の北東部に位置する田万川は、北は日本海に面し、天然の良港といわれる江崎湾は、漁港として栄えてきました。毛利藩政時代には、米や蝋、紙といった「防長三白」の積み出し港として北前船などの回船が出入りし、海が「縁」となりつくられた西堂寺六角堂、志士の墓など、人やものが行き交った名残が現在に伝えられています。

中央を流れる田万川沿いの里の地は、肥沃な大地で、昔から米や野菜が実り、美しい田園風景が見られます。

山々に囲まれた小川地区は、火山の噴火によって生まれた平山台、上の原台、原山台の3つの台地があり、平山星の 城をはじめとする中世の山城や千人塚などの戦いの跡が伝わると共に、開拓され果樹園や田畑が広がっています。

これら海・里・山に育まれたおたからが、田万川のおたからです。