明木

 街道による人・物の交流と思いやりの中で生まれ栄えた明木のおたから

明木の地名は、安芸の殿様(毛利公)から検地での褒美として名前を賜ったとの説がありますが、表舞台に登場するのは「萩往還」をはじめとする街道が整備されたことによります。明木地区には、道を保護する石畳のほか一里塚・駕籠建場・高札場の跡などの交通施設、宿駅の町割りが色濃く残っています。その歴史の中には「彦六・又十郎」の心暖まる逸話や、幕末の動乱や松陰先生に関する要素も残されています。明治になってからは、私財を投じて文化芸術への支援・人材育成や日本最初期の村立図書館の建設に力を注いだ「瀧口吉良翁」などの功績によって明木は発展しました。
地域の成り立ちから地域の発展に導いた「利他・思いやり」に満ちた一連の要素が明木のおたからです。