玉江

 海と陸の文化を結ぶ玉江の信仰と祭り

萩の西側に位置する玉江は、山間部の奥玉江と川沿いの玉江浦、河口付近の山麓に位置する倉江など複数の集落に分かれています。玉江浦は延縄漁で栄えた集落で、港に帰る船の目印でもあった観音院や漁師を育成した青年宿の建物など、漁業集落の面影を現代に多く残しています。奥玉江では、田園地帯だった土地に新しい住宅地や建物が増えましたが、昔から親しまれてきたホタルの舞う景色を住民が一丸となって守り続けています。江戸時代には岩国藩の吉川氏の領地であった倉江は、農村としての特徴が色濃く残っていて、砂地を活かしたナツミカン栽培が今も盛んに行われています。
玉江浦と奥玉江の境目にある権現様(玉江神社)は両地域が共同でお世話をしていて、例祭では玉江浦からは天狗拍子を、奥玉江からは鶏闘楽を奉納していました。
玉江浦の伝統的な和船競漕であるおしくらごうは、玉江浦と倉江の有志によって支えられ、地元の一大行事として現在も続けられています。また、倉江にあるオミセンサマ(倉江神社)には玉江浦の若い漁師たちが海難防止を祈ってお参りをしていました。
地形や時代背景によってそれぞれ異なる形で築かれてきた文化と、それらを互いに結びつけてきた寺社やお祭りが玉江のおたからです。
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