油がいのち

短編小説

「油がいのち」

山形 達也(瀋陽薬科大学)

片手鍋が強い火力で熱せられて、かすかに青い煙を挙げだした。李小陽は二の腕の筋肉を膨らませて5リットル入りの営業用ボトルを持ち上げて、油をとくとくと注いだ。一瞬待って鍋の油が薄い煙を上げる。油の良い香りが広がるが、李小陽は出来るだけ油の蒸気を吸い込まないようにしている。何しろ一日厨房に立っているのだ。

刻んだ豚肉の入った皿から肉を放り込む。金じゃくしを使ってかき混ぜて、調味料を入れる。次は、刻んだ野菜をざるから鍋に空けて、野菜をかき混ぜる。たくましい右手で鍋を持ち上げ、中身を空に放った。一度、二度、舞い上がる野菜に火がちりちりとつく。

料理は男じゃなきゃ出来ることじゃない。ちらと頭の隅をよぎったあの華奢な女の細腕では、この片手鍋は扱えるわけがない。李小陽は、ふっと息をついて女の面影を追い払いながら、出来たばかりの回鍋肉を皿に移した。

見習いの白中琴に、さらを客席に運ぶようあごで命じた。ここは瀋陽のレストランの厨房で、李小陽はここで働きはじめて二年目になる。五月のいまは瀋陽の良い季節だ。長い冬が終わって、すべての木と草がいのちを取り戻して、若やいだ葉を延ばしている。と言っても、ここは街中だ。通りに植わっている街路樹以外に、植木を見かけることはない。窓を開け放っていても、無機質なコンクリートと窓ガラスが見えるだけで、緑は見えない。

李小陽は日本に留学したことがある。その頃は、日本に行けばそれだけで箔が付いて、中国に戻れば良い職に就けて楽に金が稼げるという話だった。

(一)

日本に行くと、日本語の漢字を拾い読みすると大体意味が分かる気がするけれど、実際にはちゃんと日本語ができないとまともな職にも就けないことが分かった。探して、九州は福岡の日本語学校に入学した。

渡航費を工面しただけで日本に来たので、日本語学校の学費や生活費を自分で稼がなくてはならない。それで、日本語がしゃべれなくても出来るアルバイトから始めた。最初は小さなラーメン屋の見習いとして雇われた。一人でやっていた店主が歳を取ってきて、下働きが欲しくなったのだった。

この店主のじいさんが李小陽を雇ったのも、言葉が不自由だからまともな職に就けず、だから安く雇えるという魂胆だったに違いない。最初は李小陽が不正をしないか、金を持ち逃げしないか、何時も李小陽を見張っていたような気がする。

店では朝9時から仕込みを始めるけれど、李小陽はアルバイトなので午後1時から調理場に行く。昼からこのラーメン屋は開いている。李小陽が働くようになってから、ラーメンを茹でて客に出すのは店主の仕事で、洗い物も、スープの仕込みも、下働きはすべて李小陽の担当となった。午前中の学校の勉強を終えたあと、先ず洗い物から彼の一日の仕事は始まる。冬は両手にあかぎれが絶えなかった。

溜まった皿を洗ったあとは、店主が朝早く出掛けて仕入れた豚骨を鉈でたたき割って大きな釜で煮る。力仕事だ。確かにあの歳になったのではきついだろうなと思いながら、若さの誇りを籠めて鉈を骨にたたきつける。

豚骨を大鍋に放り込んで水が沸き立ってくると浮いてくるあく取りもしなくてはならない。これも店主が朝早くやっちゃ場で仕入れてきたもやしを洗う。ネギを刻む。やることも覚えることも、小さな店なのに山ほどある。

やがて店主は、根が好人物と見えて、陰日向なく真面目に働く李小陽の性格が気にいって、何かと親切に接するようになった。給料も上がった。豚骨を煮て取った出汁から本格的なスープを作るところも教えて貰ったし、日本のラーメンには必ず入っているチャーシュー焼豚の作り方も教わった。この店が出しているメニューの中の餃子も作るようになった。

李小陽は中国黒竜江省の生まれなので、餃子は子供の時から親兄弟と一緒に作っている。だから自分にとって、料理を作ることはごく自然なことだった。

でも、日本で小さなラーメン屋と言っても、食べ物を作るときの清潔さや衛生に対する考え方が、自分たちと全く違うことが分かった。中国では加熱したものしか食べない。熱を加えれば、食中毒が起こらないことを長年の経験で知っている。しかし、手を洗剤で洗って入念に綺麗にしてから調理をするとか、肉を切ったあとのまな板を熱水で消毒するとか、トイレに行ったら必ず手を洗うなんて初めて学んだことだ。このような注意を払って作れば、冷やしラーメンだって安心して食べられることを、日本で学んだのだった。

農家の生まれなので姉と兄が一人ずついる。1978年の一人っ子政策が始まってから3人目の李小陽が生まれたのだ。だから下に、弟や妹はいない。

李小陽は子供の中では年の離れた男の子だったし、兄がいたから、農村を出て自分を試してみたいという欲求を生かすことが出来たのだ。結局、日本に4年滞在したのだった。ラーメン屋でアルバイトをしながら日本語学校を2年で卒業して、大手の商事会社の九州出張所に現地採用で採用された。中国と大きな商売をしていたので必要とされたし、大事にされていたと思う。でも、日本人の考え方は、中国人と天と地ほども違った。日本人のものの見方は大分理解出来たし、感心することは多かった。日本人からあからさまな差別を受けることはなかったけれど、言葉は丁寧でも心を開かない日本人には、どうもなじめなかった。

それで2年で辞めて中国に戻ったが、日本語学校の時の先生が瀋陽の学校でどうした訳か日本語の教師として働いていて、瀋陽も良いわよと誘われて、瀋陽の中クラスのレストランで料理人として雇われた。日本で貯めたお金で独立できないことはないが、ここでちょっと様子を見てみたい。

(二)

瀋陽は意外に暮らしやすい街で李小陽は直ぐ気に入った。九州の福岡は黒竜江省よりも遙か南にあって温かそうだが、冬は結構寒い。一番の問題はうちの中に暖房がないことだ。それからみると、瀋陽の冬はうちの中に集中暖房があるし、瀋陽の外はマイナス20度と言ったって黒竜江省よりも遙かに暖かい。

李小陽は元々料理人になる気じゃなかったが、どうしたことか免許もないのに料理人になってしまった。人は生きるために食べなくてはならず、お金があれば三度三度自分のために食事を作るよりは、金を払っても食事を作ってもらう方が楽である。つまり、料理人は人から求められている職業である。食いはぐれることはない。おまけに人が豊になれば、ますます技量のある料理人が求められるのだ。こちらも豊になると言う寸法だ。

昔、中国で生産して日本に出荷する餃子に毒が入っている事件があって、日本中が大騒ぎとなった。日本の野菜は中国生産に大幅に頼っているくせに、残留農薬がちょっと多いと直ぐに大騒ぎになる。日本人は直ぐ騒ぐ。「文句があるなら、自分の国で作ればいいじゃないか。それが出来なくて人に頼っているのに、何ででかい顔をするんだい?」

中国では残留農薬がどうのこうのと騒ぐ大衆はいない。しかし、生産・出荷されている農薬の量は半端な量ではなく、中国の野菜が農薬漬けであることは間違いない。誰も知らないか、知らされていないか、ともかく誰も問題にしないが、皆は、密かに深刻な問題だということを知っている。

この間、下働きの蔡さんのところに生まれた女の子はアトピー性皮膚炎だという。この頃は、そう言う話しを聞くことが多いような気がする。農薬や、添加物だらけの食品の所為かもしれない。しかし、李小陽は、形も色艶も良く、どこにも虫食いの形跡のない見事な椎茸に包丁を入れながら、「俺一人が気にしたって、ま、しようがないさ」と、ちらと思う。「この厨房でだって、俺が一番偉いという訳じゃないし」とつぶやく。

実際、このレストランには主任料理人が一人いて、馬さんという。メニューを決めるのはもちろんのこと、食材を買うのも一切はこの馬主任が握っていた。

この数年、中国中で密かに話題なのが地溝油だ。

「中華料理は美味しいけれど油っこくて」と多くの日本人が言う。でも、これは基本的には正しくないのだ。

昔の殆どの庶民は貧しくて、油を使う料理は作れなかった。油をふんだんに使う料理を食べられたのは一部特別な人たちだけだった。それで、一般の庶民は、いつかは出世して、金持ちになって、油を沢山使った料理を食べたいと思い続けていたのだ。「だから、いまの時勢になって、皆が豊かになった証拠に、油を多く使う料理が一挙に市民権を獲得したわけだ。それが証拠に、高級な中華料理を食べてごらんよ。決して油を多用していないから。」

と言うわけで普通のレストランでは沢山油を使う。そうじゃないと客が来ない。食べきれなかったものも、使い残った油もすべて廃棄物となって、残飯回収業者に引き取らせる。

この中に油が沢山あることに目を付けた知恵者がいて、この油を回収して安値で市場に供給し始めたのだ。地溝油(日本では下水油と言っているみたいだが)には、水にしか溶けないもの以外、すべてが溶けていると言ってよい。良いものなら、ビタミンAとかDがあるけれど、ピスタチオやトウモロコシにつくカビの毒素である、アフラトキシンがもしあれば溶けているし、環境ホルモンで有名なものはすべて油に溶ける。つまり地溝油は毒物の倉庫なのだ。

話によると、中国で毎年使う油が2千3百万トンあるそうだが、そのうち300万トンはこの再生油、つまり元は地溝油なのだ。

回収した地溝油を何とか綺麗にして、検査に引っかからない程度にまで綺麗にするまでには語るも涙、聞くも涙の物語があるらしいが、いまでは地溝油は堂々と市場に出回っている。分析しても普通の油と同じというお墨付きも貰っている。

実は、この店では大分前から密かにこの地溝油を使っている。レストランのオーナーは、「地溝油なんかを使っちゃ駄目よ。私が許しませんからね」と言っているが、馬主任料理人は言いつけ通りにちゃんとした高価な菜種油を買っていると見せかけて、実は地溝油を買って使わせている。厨房に置いてある油の瓶は、まともなメーカーの容器である。違うのは中身だけで、外は見せかけだ。

こうすると油代の5分の4は、馬主任料理人の懐に密かに転がり込む。李小陽は知っているけれど、誰にも言わない。オーナーだってグルかも知れないのだ。顔の広い主任を告発したら、密かに制裁を受けて世の中から消えるか、それを免れたとしても、もはやこの世界でも食べては行かれない。

レストランの従業員は、お客の食事が一段落した時を見計らって店の作る、つまり自分たちの作る料理を食べる。馬主任はこれに参加しない。だから副主任である李小陽が作るけれど、李小陽は密かに自分で買ってきた安全第一の油を自分たちの食べる料理には使っている。下働きの従業員も、油のからくりにもちろん気がついている。けれど、誰も何も言わない。ただ、彼らの態度から李小陽は自分が彼らから信頼されていることを感じるのだ。

このレストランは貧乏人よりは増しな庶民を相手にしているレストランなので、政府高官が客になることはない。本当に裕福な人もここには来ないが、ちょっとして金持ち、あるいは権勢をふかしたい人も客の中にいる。

(三)

ある日お客があって、ずかずかと厨房にまで入ってきた。そして「馬主任はいるかね」と横柄な口で訊いた。よく見かける王董事長だ。四十前くらいだろうけれど、もうでっぷりと太っている。この頃羽振りがどんどん良くなっている客の一人である。目の前で左の腕を返して、見なくても良い腕時計を覗いている。以前は金色の時計に茶色の革バンドだったが、今日は、ベルトも金色に輝いている。「豪華な時計をお持ちですね」と李小陽は言った。王董事長は、小鼻を膨らませて、ニヤッとしたけれど、これには返事をしなかった。見せつけるという目的は果たしたのだ。

李小陽がその日は料理厨房担当だったので、馬主任を呼んで奥の部屋から来て貰った。お客と奥の部屋に行ったあと、しばらくして馬主任が戻ってきて、李小陽に言うには、「これからこの王董事長がお越しの時は、この」、と提げている油の大瓶をちょっと持ち上げて指し示して「この油を特別に使ってくれと言うことだ。これからは言いつけ通りにやってくれ」。

「うちの油が信用できないと仰っしゃってな。信用して下さいよと言ったけれど、ご自分でお持ち込みなのだ」

「うちの油は大丈夫なんだが、何しろ王董事長はうちの大のお得意さんだから」と、油を李小陽に手渡してから、聞こえよがしにつぶやいて部屋に戻っていった。どうせ、一人で部屋にいて、密かに金勘定をしているんだろう。

「建前ではうちの油は大丈夫なはずだ。それなのにどうして?」と言いたくなったが、李小陽は「はい、その通りにします」と返事をした。馬主任は料理人として経歴が長く、このあたりでは隠然たる勢力を持っている。駆け出しの自分ごときが質問をしたり、疑問を投げかけたり出来る関係ではない。

李小陽はその日、馬主任料理人の言いつけ通り、王董事長の注文する食べ物はすべてこの新しい油の瓶から油を使って作った。でも、李小陽は何だか釈然としない。世の中の人たちが全く知らないうちに、料理に地溝油が使われていても、一般庶民には知るすべもなく、自衛の手段もないのだ。

上の方に旨く食い込んで商売を広げて資産を増やし、金持ち振りを見せびらかしている王董事長は、自分だから特別の油を持ってきてこれを使って料理を作れと言えると思っている。実際、その通りになっている。でも他の普通の人たちは、どうなんだ。そんなこと出来ないじゃないか。うちの油は、密かに地溝油を使っている、もちろん誰一人知らないことになっている。お客は疑っているかも知れないけれど、誰一人疑いを口にしないで、ひたすら安全を願っている。それなのに、馬主任は皆をだまして金儲けをしているのだ。

だいたい、王董事長が来て、世間は信用できないから、持参の特別の油を使って呉れと言ってきたとき、馬主任に「何を言っているのですか。うちはそんな地溝油なんてものには手を出していませんよ。そんな自分の油なんか持ってくる必要はないのに。」と怒ってみせなかったのかな。

黙って受け取ったことをみると、うちは地溝油を使っていることを暗黙に認めたうえで、更に、王董事長から持参の油を使うと言うことでなにがしの金をせしめたな、と思う。金を受け取っても、受け取らなくても、馬主任は王董事長に貸しを作ったことになる。少なくともこれで馬主任の人脈が太くなったに違いない。

「ま、俺には関係ないことだ」と呟いてみるけれど、こうやって考え出すと、地溝油をすり替えてここで使わせている馬主任が許せないし、持参の油を使えと強要できる王董事長の横暴も許せない、ましてや、からくりを知りながらその油を使って黙って料理をしている自分も許せない。

世の中のいかさまに対する怒りが胸中に漲ってくる。日本人は本当には好きにはなれなかったけれど、彼らの妥協をしない正義感はすがすがしかった。自分の損得を勘定しないで、正義を追求することが出来る日本人が、自分には眩しかった。これは俺の日本留学で得た資産だ。

でも、ちっぽけな自分は誰かに訴えることは出来ない。ちっぽけな正義感で俺の存在を消されたくないし、そうかと言って関わりたくなければ、ここを黙って辞めることしかできない。でも、まだ独立するには資金が足りない。辞めるわけにはいかない。しかも、辞めて問題が解決するわけじゃない。

李小陽は八方ふさがりの中で、悩み込んだ。そしてその夜、一人で厨房に出てきた李小陽は、王董事長の油の容器から中身を自分たち用の油の容器に移した。静かな深夜に、油の落ちるひたひたという音が響く。俺は腹を決めたのだ。そして空いた王董事長の容器には、この店御用達しの地溝油を入れたのだった。

王董事長だって、俺たちと同じ人間だ、どうしてあいつだけがふんぞり返って、特別なものを食べる権利があるんだ?みんなと同じものを食べればよい。地溝油に入れ替えてこれを使ったって、絶対分かりっこないんだ。だって、地溝油の品質はお上の保証付きなのだから。