diary2013

瀋陽日本人教師の会日記 2013年度 山形達也

2014.03.26 瀋陽日本人教師の会の行方

https://plaza.rakuten.co.jp/tcyamagata/diary/201403240000/

さえ:

長年会員として参加し、或いは積極的に活動に関わってその活動を楽しんできた瀋陽日本人教師の会から抜けたことを、昨日このブログに書きました。

この数年の会の状態がぼくにとって満足出来ないものになったので抜けたのですが、批判するだけではなく自分が会の運営に参加する道も、もちろんありました。

実際、瀋陽に来てから2年目の2005年にそれまで瀋陽に長年おられてこの会の中心だった石井先生が寧波に去られた後、代表に何度も推薦されました。でも、ぼく自身が本物の日本語の教師ではないので、日本語の先生の集まりの中心になっても先生たちの気持ちが分からないと思って辞退し続けました。

2007年にさえのがんの再発が見つかってからは、教師の会どころではない日が来ると思って、代表になることを避けてきました。2010年の秋、それまでの多田先生が帰国されたままで代表になり手がいなくて苦慮したときこそ代表を引き受けるべきでしたが、さえの病状がまさに篤くなっていたときでした。

2010年は代表のなり手がいなくて会の危機と言って良く、やっとなった代表は、人としてまるで未熟で教師会の信用が外部機関に対して失墜しました。代表になったことが嬉しくてたまらないような人がなるのですから、うまく会が機能するはずがありません。彼が二年間代表を続けた後、彼を会員の一人が痛烈に批判してそして代わりに立候補して、反対もなく2012年度の会の代表になりました。

この会は、会員の中から立候補すると、表だって反対がない限り代表になる仕組みです。ぼくたちがこの会に入ったとき、代表は瀋陽に長くいる人の中から立候補または互選で選ぶとなっていておかしいなあと思ったものです。それはある年の初めての集まりに、初めて参加した新人が「あ、私がなりたいわ」と立候補して代表となりその一年間めちゃくちゃな運営だったことに懲りて、この規則が出来たそうです。

2009年からぼくは資料室の立ち上げに全力を注ぎました。多田先生は瀋陽を去るときに沢山の本を寄付して下さったし、石田先生は日本から本を一箱送って下さいました。でも資料室をここまでにしたのはぼくの力が大きかったと思います。資料室に本を集め、個人的にも沢山の本を日本から送りましたし、まさに私費を投じて資料室の充実に力を注ぎ、本の整理をしました。

しかし、以前ブログに書いたように、2012年度の代表は古くからいるぼくが目障りだったのでしょう、ぼくのやり方をあげつらったのです。本に貼るラベルをどうして日本で買ったのか、中国で買えば安いじゃないかとか、資料室のために送った本の送料が高すぎる、自分の必要な本を送ったのだろうとかまるで下司の勘ぐりですね。資料室に寄付する本の送料を教師の会が負担することは以前の会で決めてあることなのですよ。ぼくはこのとき一度だけその規定を利用したのです。

下品で厭なやつと付き合うことは自分に許せないことですから、ぼくは会に出ることを止めました。

この代表はそれまで貿易会社をやっていたようですが、知り合いの伝手で撫順にある学校の日本語教師になったようです。代表になってからは教育を専門にしてきた日本語教師を誰一人として代表を助ける副代表(三人でした)に選ばず、かなり偏った考えの持ち主でした。日本語を教える資格を持つ先生たちへの劣等感の裏返しなのでしょうか、教育に携わっていた日本人教師を目の敵にしていたと思います。

2013年秋には高校の日本語教師の中谷先生が代表になって、教師の会の立て直しが図られています。たとえば、資料室は私が会の集まりを休んでいる間に、副代表の一人が所属している○○日本語学校に移されました。これはこれで利用しやすくなるという利点があります。

この○○日本語学校にある資料室の本を瀋陽日本人会の会員にも貸し出すことにして、日本人会が在瀋陽日本人に公告しました。

(昨日、日本人会から会員宛に知らせが届きました)

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瀋陽日本人教師の会資料室のご案内

瀋陽日本人教師の会昨年、本会の資料室を瀋陽市国潤外語培訓学校の好意によって該校に移転したことにより、多くの日本の方や中国人の方々にもご利用頂きたく、ご案内させて頂きます。

名称 : 瀋陽日本人教師の会資料室

場所 : 瀋陽市国潤外語培訓学校 沈阳市和平区15纬路32号

交通アクセス:地下鉄-南市場 徒歩15分

バス 188,246,272(太原街行き) 徒歩1分

188,246,272(浑南,五爱街行き) 徒歩5分

詳細情報は添付している地図、写真にあります。

連絡先: 携帯:186-09888905 E-mail:yoshimrm@yahoo.co.jp

(資料室担当 吉村 政和)

ご利用時間:平日9時~15時、土曜日9時~11時30分

利用方法 :閲覧は利用時間内で資料室 (椅子、机は20人分あります)内でお願いします。

:貸し出しは、1人1回5冊まで可能です。

貸出期間は2週間までです。

本を借りる場合は貸出表に必要事項を記載して下さい。

※本貸出表のサンプルを添付しております。

利用対象者:日本の方、日本語学習者はもちろん日本について知りたい方ならばどなた」でも自由にご利用できます。

※施設内には日本語が話せる者が常にいる為、中国語に自信がない方でも大丈夫です

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図書を有効に利用出来るようになって喜んでいますが、本当を言うと、この資料室を作ってきたぼくには何の知らせもないので、ちょっと鼻白んでいるところです。

教師の会のいまの代表は、さらに再開された研修会を広く日本語教育に携わる中国人教師その他の関心ある人たちに開放して開催するとか、今の状況に即した改革を図っています。

実際、教師の会の改革は焦眉の急で、この数年の間に魅力を失った教師の会から去る人が増えて実質の参加者は10人くらいになっているそうです。中谷先生の努力が功を奏して、改革が遅きに失したことにならないように願っています。

2014.03.24 瀋陽日本人教師の会を辞めました

https://plaza.rakuten.co.jp/tcyamagata/diary/201403210000/

さえ:

この正月は一大決心をしました。2003年の秋に参加して以来、瀋陽の生活である意味では心のよりどころだった瀋陽日本人教師の会を辞めることにしました。

ぼくは2009年に資料室の再立ち上げを企画し、それ以来資料室の運営と充実に心を砕いてきたつもりですが、2013年の秋に代わった新しい代表から激しい攻撃を受けて、集まりに出る気が失せました。

その時の状況は当時のブログに書いています。

1年半近くたって、またその集まりに戻る頃ではないかとも思いましたが、結局辞めるという選択をしました。

現在の代表をしている中谷先生に書いたメイルは以下の通りです。

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中谷 豊先生

ご無沙汰しております。

年が明けて、教師の会はさらに新しい活動に向けて躍進の様子、お喜び申し上げます。

ところで私は2012年秋から、会友という名前の、何等活動しない状態でうち過ぎてきましたが、2013年度も半ばを過ぎたことですし態度をはっきりさせようと思うに至りました。つまり、退会したいと思います。

2003 年の秋以来2012年の夏までは、瀋陽日本人教師の会は私にとってはとても大事な集まりで、その活動の維持と発展のために私は自分たちの研究以外には最大の努力を注いできました。しかるに2012年度に代表が代わって、それまでの私の活動が間単に否定され、会の集まりに出る気を失いました。

その後は、教師の会がどのように推移するかと見守ってきましたが、私を擁護する声もありませんでしたし、資料室はいつの間にか副代表の主宰する日本語学校に移転することが決められました。2009年以来資料室の再興に努めていた私には何の断りもなしに、事後通告だけでしたので、これは私にとっては信じられない話ですし、とても寂しいものでした。

在瀋陽日本国総領事館主催の天皇誕生日のお祝いの集まり、新年の祝詞交換会も2012年秋からは招ばれなくなりました。瀋陽日本人教師の会が招待者名簿の作成に関わっていますので、当時の執行部の悪意にも失望しました。

2012年度はもちろん、2013年度に入っても教師の会の名簿を送ってくださるようお願いしましたが、全く無視されました。

という訳で、今は瀋陽日本人教師の会には全く興味を失いましたので、会友でいる意味がなくなりました。

中谷先生のご健康を祈ります。

草々

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2003年以来の懐かしい人たちの顔が眼に浮かびます。途中で辞めてしまうなんて情けない話ですが、何にでも終わりはあるものですし、自分で決めたことなので、どうか許してください。