表面生物学(Surface Biology)もしくは面表面界面の生物学(Face-Surface-Interface-Biology)
ずっと以前より、表面生物学(SurfaceBiology)という学問分野があるべきではないかと考えてきました。
なぜ生物学、のみならず自然科学一般に、もしくは哲学一般に、内面という言葉には何か深いものを感じ、表面という言葉には浅いものを感じるのか?というのは、不思議な疑問で、それを知るとっかかりとして、フランソワ・ダゴニェという人の「Face Surcafe Interface」という本を読んでみたりもしました。
面と表面と界面という考え方があることを知ったのもこの本のおかげです。
さらに上記のダゴニェがあまりに難解なので、かつての研究室の後輩のAさんに教えを請うたところ、彼がサラサラっと教えてくれた哲学分野における表面ということについて記すと、下記のようになります。
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ダゴニェという人は、生物学に重点を置きつつ自然科学(科学史)全体について論じたカンギレームの後を継ぐかたちで研究を進めた科学認識論の研究者。
ヴァレリーは、「もっとも奥深いもの、それは表皮である」と言った。(よく見る翻訳では、「人間の中でもっとも深遠なのは肌である」)
表面の問題は20世紀に一部で流行した。それは「表面的なもの」が「内面的」なものより二次的に扱われることが多かった風潮に対する反発として、であった。
主張されたことは、大まかに言えば、表面・表皮・膜といった表面的なものこそが真に重要なものであり、内面的なものなどというものは、二次的なものにすぎないということ。
意識のように「内面」を代表するかに思われるものが、実は「表面」としてとらえないといけない、等々。
これに関して有名なものとしては、ルイエという人の「絶対表面」といった概念がある。
このような話は、とくに生物学・生理学的な考察を通して示されることが多く、通常は、19世紀初頭にまさに生物学が誕生した時代に、ビシャが皮膚を根源的な器官として見ようとしたことに遡って論じられている。
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そういうわけで、私のこの学問形成のために次に学ばなければならないのは以下のキーワード群だということがわかってきました。
ポール・ヴァレリー(1871-1945) の著作を読む、少なくとも「固定概念」。
ジョルジュ・カンギレム(1904-1995)の著作を読む。
ルイエとは一体誰なのか?調べる。(Googleで検索されてこないぞ!?)
マリー・フランソワ・クサヴィエ・ビシャについて、ちょっと調べる。
この辺りまでは、単に知ったかぶりをするための準備体操のようなものですが、それでもダゴニェを読む前は、表面と思っていたものが、少なくとも、面/表面/界面と分類されることに気付かされるわけですから、哲学も捨てたものではないですね。
一方で、曲がりなりにも現役の生物学者として、表面生物学としてまとめられそうな研究テーマを探していくと、次のようなものになる。
先駆的なものとして、
井上民治氏らによる林冠研究
付着生物学
Biofouling
関連してクジラやウミガメのフジツボ、コペポーダの表面
ヒドラの表面のメタゲノミクス(ドイツのグループなど)
免疫やアレルギー
皮膚のほか、様々な感覚器の表面にあるレセプター
生物の色と模様
鱗
現在手をつけている、桜の花びらの表面のメタゲノミクスも、この枠組みで考え、議論したいと考えています。
個人的にもっと興味のあるテーマは、軟体動物やナメクジウオ、ギボシムシなどの表面のヌルヌルに関する生物学で、これも表面生物学として捉えることができると考えています。