神経組織を単なる導電体として取り扱うことは正しいか?

本文章は基本的に拙著の学位論文からの引用である。より詳細を知りたい場合は、東工大の図書館より公開されているので参考にして頂きたい (http://t2r2.star.titech.ac.jp/rrws/file/CTT100725788/ATD100000413/)。

また引用する際は、その点に十分に注意して行って欲しい。

本論文を執筆するにあたり, 参考文献には記載しなかったが, 特に参考とした図書 (和書) を列挙する.

(1) 宮川博義, 井上雅司, “ニューロンの生物物理”, 丸善株式会社 (2003)

(2) 杉晴夫, “生体電気信号とはなにか”, 株式会社講談社 (2006)

(3) 花井哲也, “不均質構造と誘電率”, 吉岡書店 (2000)

(4) コール, “膜・イオン・インパルス (上)”, 吉岡書店 (1969)

神経組織の導電体としての取り扱い

ColeやSchwanの功績により, 生体組織の誘電体特性が超低周波から超高周波まで網羅的に研究された. その結果, 生体組織の低周波領域における比誘電率は非常に高くなることが実験的に示され, 抵抗性電流に対する容量性電流の比も大きくなる可能性が理論研究により示唆された (図 2.5E). 特にGabriel et al.の実験結果から脳組織の低周波領域における比誘電率は 10の8乗オーダーの非常に高い値を示すことが明らかとなった (図 2.3). しかしながら, 神経科学の分野では従来より, 神経組織は単なる抵抗と見なされ, 容量性電流は抵抗性電流に比べて十分小さく無視しても良いとされてきた [13-15]. 脳は, 神経細胞 (ニューロン)とそれを支持するニカワのような働きをしていると考えられている神経膠細胞, すなわちグリア細胞から構成されている. 脳におけるニューロングリア比はおよそ1:1 と言われている. グリア細胞は, ニューロンとは異なり活動電位を発生せず, 受動的な性質を示すため, 細胞外組織は単なる抵抗, 体積導体 (Volume conductor)と考えるのが一般的である. さらに近年, Logothesisらは, 生きたサルの皮質組織より細胞外電位のインピーダンスを測定し [16], 細胞外組織のインピーダンスの振幅は10 [Hz]-5 [kHz]で1.9dB しか変化せず,周波数フィルタとしての特性はほとんどないことを報告している. この値は既知のキャパシターと比較しても非常に小さい値であることから「皮質組織は ohmic な導体とみなしてよく, 周波数フィルタとしての特性は強くない」と主張している.Logothesis et al.によるこの観測は, 図 2.5D で示した, 単一緩和過程からなる誘電体のインピーダンスの周波数特性とは異なる結果であるにもかかわらず, 以上のような理由から,脳波 (EEG)の解析などのマクロスコピックな脳科学の分野においても, 脳組織の容量性電流と抵抗性電流の比は1よりも十分小さいとして取り扱って良いとされてきた [17,18].

細胞外組織の集合電位記録である, 局所電場電位(LFP) 記録やユニット記録, 脳表面での集合電位であるECoG, 頭蓋骨の外側から観測される脳波 (EEG) 記録や脳磁図 (MEG) 記録, 等々, 巨視的な電気信号に焦点が当てられつつあるがその詳細な発生機序はよく解っていない. さらに, 非侵襲治療の観点から, 経頭蓋直流電流刺激や (tDCS), 電気痙攣療法 (ECT) などが注目を集めており, 大脳機能修飾 [19] や学習機能の向上 [20] やうつ病などの精神疾患の治療に一定の効果を上げている [21] ことが報告されているが, なぜ効くかその作用機序は未だ明らかにされていない.

問題点

対立する2つの知見をまとめると以下のようになる.

(1) 古くから生体組織では低周波領域において 106 という非常に高い比誘電率を示すことが知られており, Gabriel et alが報告しているように脳組織ではさらに高い 108 を示す [10]. このことは, 式 (2.12) -- (2.16)で示された単一緩和過程の計算結果からも予想されている (図 2.5). 脳組織の低周波領域における高い比誘電率は, 実験・理論両側面から示唆されているが, この原因は未だによくわかっておらず, 様々な議論がなされている. その説明の一つとして, Bedard et al.は, 神経組織がローパスフィルタとしての特性を持っていることの結果であると主張している [22, 23].

(2) 一方, 脳科学の分野においては, 神経組織は単なる抵抗として取り扱って良いとされてきた. さらに, Logothesis et alはサルの皮質組織からインピーダンスの周波数依存性を測定した. その結果, 皮質組織は周波数フィルタとしての特性は小さいということを報告しており, この値は既知のキャパシターと比較しても非常に小さい値であることから, 脳組織は単なる抵抗として取り扱って良いと結論づけている [16]. この結果は, Gabriel et alの実験結果ともBedard et al.の主張とも矛盾している.

EGGやLFPの発生機序や経頭蓋電気刺激の作用機序を理解するためには, 低周波領域における脳組織の誘電体特性 (誘電率や導電率)を正しく知る必要がある. 低周波領域における脳組織の誘電率は, (1) ColeやSchwanの流れを汲んでGabriel et alが報告するように非常に高い値を示すのか, (2) 神経科学における従来からの流れを汲んでLogothesis et alが報告する通り,神経組織は周波数フィルタ特性は小さく, 脳はohmicな導体であると結論づけて良いのか, (3) 両者の主張は両立し得るのか, を明らかにする必要がある.

仮説

神経組織は他の組織と異なり, 非常に細長い神経線維のネットワークで構成された組織である. 海馬や皮質では錐体細胞が束をなし, 規則正しく整列した層構造を持っている. また, 組織を構成する神経細胞は, 非常に複雑に分岐した長い突起構造 (樹状突起)をもつ錐体細胞や, 対称な構造を持つ介在細胞など多種多様である (図 4.1). 皮質や海馬の錐体細胞は, 非常に複雑に分岐した長い突起構造のために, その電気的性質が不均一になっている可能性がある [24-28]. 近年, 著者らは, 電気的特性が不均一な神経細胞が直流の細胞外電場にさらされた際に, 突起の長軸方向にゆっくりとした二次電流が発生することを理論的に見出した [29]. この二次電流によって遅い分極が引き起こされている可能性がある. 本研究では, この遅い分極が低周波領域における誘電分散現象に寄与している可能性を検証する.

評価方法

脳組織の誘電体特性をを完全に理解するためには, 神経組織のすべての電気生理学的な特性や形態を考慮に入れる必要がある. しかしながら, 能動的な特性や形態の特性を考える前に, 受動的な有限長ケーブルで細胞外電場に対する応答の基本的な理解をする必要がある. 本研究では, 神経組織を複数の電気的性質が不均一なケーブルと単なる抵抗からなる細胞外媒質によってモデル化し, 細胞外組織のインピーダンスと比誘電率の周波数依存性を計算し, 仮説の検証を行い, 問題点を解決する.

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参考文献

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