本文章は基本的に拙著の学位論文からの引用である。より詳細を知りたい場合は、東工大の図書館より公開されているので参考にして頂きたい (http://t2r2.star.titech.ac.jp/rrws/file/CTT100725788/ATD100000413/)。
また引用する際は、その点に十分に注意して行って欲しい。
本論文を執筆するにあたり, 参考文献には記載しなかったが, 特に参考とした図書 (和書) を列挙する.
(1) 宮川博義, 井上雅司, “ニューロンの生物物理”, 丸善株式会社 (2003)
(2) 杉晴夫, “生体電気信号とはなにか”, 株式会社講談社 (2006)
(3) 花井哲也, “不均質構造と誘電率”, 吉岡書店 (2000)
(4) コール, “膜・イオン・インパルス (上)”, 吉岡書店 (1969)
筋組織, 心臓, 神経組織に代表される生体組織は, 電気を用いた情報伝達を行なっていることが知られている. 1790 年, イタリアの Galvani は, カエルの足の筋肉を用いた観察から生体電気現象を発見した. 以来, 生体電気信号に関する研究が生理学の大きな興味となり, 生体電気信号の生理学は「電気生理学」として発展した. 一方, 同時期 Galvani の発見に興味を持ったイタリアの Volta は, イオン化傾向の異なる二種類の金属から電気を取り出せることを見出し, ボルタ電池を発明した. ボルタ電池の発明以来, Faraday や Ohm やAmpère など多くの研究者が電磁気現象について優れた研究を行い, 1864 年,Maxwell によってまとめられた知見は現在の「電磁気学」の基礎を成している. 電磁気学の発展に伴い, 電気刺激装置や電気を測定する装置が開発されたことによって電気生理学は更なる発展を遂げる. その後, 生体電気信号は,生体膜を隔てたイオン勾配の異なる環境が作り出すイオン電流が生体膜上を伝わっていく「膜興奮」と呼ばれる現象であることが明らかとされた. 生体膜は, リン脂質からなる二重の分子層構造の電気的絶縁体であり, この構造のために生体膜はキャパシターとしての性質を持つ. 1920 年代, アメリカのCole によって生体細胞の膜キャパシタンスや膜抵抗, 容量性電流など様々な電気的特性が定量的に研究された [1].
神経組織における電気生理学は, 1952 年, イギリスの Hodgkin と Huxleyがヤリイカの巨大軸索繊維を用いて膜興奮の詳細なメカニズムを記述することに成功 [2] して以降, 急速に発展した. 今日では単一細胞からの微視的な記録にとどまらず, 細胞外組織の集合電位記録である, 局所電場電位 (LFP) 記録やユニット記録, 脳表面での集合電位である ECoG, 頭蓋骨の外側から観測される脳波 (EEG) 記録や脳磁図 (MEG) 記録, 等々, 巨視的な電気信号に焦点が当てられつつある. ところが, これらの巨視的な記録方法や解析手法は, 組織レベルの電気的な特性について十分な理解を得られないまま実用化されているために, 膜レベルの電気生理学との間には未だ隔たりがある. また, 電気生理学で用いられる物理学と Maxwell の電磁気学との関係が明白ではないということを問題視する声もある [3].
本論文では, これらの問題に取り組むために, 神経組織のメゾスコピック (中視的) レベルの電気的性質に焦点を当てる. 近年, 神経科学の分野では, ミクロスコピック (微視的) レベルの知見とマクロスコピック (巨視的) レベルの知見の隔たりを埋める見地から, メゾスコピック系を重要視する動きが高まっている (図 1.1). 本論文では, 分子レベルから単一神経細胞レベルをミクロスコピックレベル, ある機能を司っている脳の領野のレベルやそれ以上の高次機能を論じる場合をマクロスコピックレベルと定義する. 本研究で用いるモデルは, 複数の神経細胞の束と細胞外媒質から構成される局所的な神経細胞集団・神経組織のモデルであり, これをメゾスコピックモデルと定義する.
第二章では, まず生体組織の電気的性質に関する研究について振り返ることから始める.
Galvani 以降, 古くから生体組織と血液の電気的性質は単なる電解質とは異なるという認識は既にあったようである. 19 世紀, 直流の電気刺激に対して生体組織が分極し, 異方性を示すことが既に解っていた. 例えばカエルの皮膚は電気を蓄積し放出するキャパシターとして振る舞うこと (Peltier, 1849)や, 生きた筋組織の直流電流に対する抵抗は方向によって異なり (異方性), 死んだ組織ではそれが失われること (Hermann, 1872) が実験によって示されている. また Tesla が交流電源を発展させると, 様々な周波数に対する生体組織の周波数応答が測定された. その結果, 組織の電気的性質の周波数依存性が発見された. 例えば, カエルの皮膚の 1kHz における抵抗値は直流の場合よりも小さいことが実験的に示された (Galler, 1913). 1902 年, Bernstein によって膜仮説が提唱され, 細胞膜がイオンに対して選択的透過性を示すことなどが予測されると, Höber は, 血液の抵抗値が強い周波数依存性を示すのは, 赤血球の膜が高周波の電流を通しやすい性質によるものである可能性を提唱した (Höber, 1910).
20 世紀初頭までの電気的特性の理解をまとめると以下の通りである. 生体組織はイオンの動きによって電気を作り出すことができて, 組織の抵抗は周波数とともに変わる. 細胞の構造や細胞膜が組織の電気的性質を決め, 神経組織や筋組織の電気的性質に異方性が存在する. また今日では容量性として知られている, 組織の分極という考えが提案された. 次節では, 組織の容量性 (誘電体特性) に焦点を当てる.
血液の複素アドミッタンスが 226 Hz-2 MHz の周波数領域において測定され (McClendon, 1926), 組織の抵抗とキャパシターとしての性質には, 組織を構成する細胞の構造や細胞膜が重要な役割を果たすということが認識された. 例えば, 死後組織のコンダクタンスが上昇するのは膜の透過性に変化が生じることに起因することが見出された (Osterhout, 1922). 細胞膜の電気的な性質は, 1920 年代, アメリカの Cole によって詳細に定量的に研究され [1], この時開発された「電位固定法」という方法は, 後に Hodgkin と Huxley がヤリイカの巨大軸索繊維を用いて膜興奮の詳細なメカニズムを記述するための重要な手法となった [2]. また Fricke, Curtis, Cole は広い周波数領域において導電率と誘電率を測定する方法を開発し, 様々な細胞懸濁液の誘電率を測定して, Maxwell の混合誘電体理論を拡張し適用した.
第二次世界大戦によって, マイクロ波の研究が進み, 数 GHz オーダーの周波数領域まで研究が進んだ. その結果, Schwan は, 生体組織の誘電率の周波数依存性が, マイクロ波オーダー (M–G Hz, 'γ'), 音波オーダー (kHz, 'β')とそれ以下 ('α') と 3 つの領域を示すこと, すなわち「誘電分散 (dielectric dispersion)」を見出した (図 2.1) [1, 4–6].
特に, 1 kH よりも低い周波数における比誘電率は 10 の 6 乗を超える値を示す. これは, 生理食塩水の比誘電率として報告されている 80 という値に比べて極めて高い値である. Schwan は 1 Hz よりも低い超低周波領域における誘電分散 (α-dispersion) の原因はcounterion displacement であることを見出した [7]. また Schwan は, Cole, Fricke, Dänzer の細胞懸濁液の誘電特性の理論をより単純化し, 拡張した. 1989 年, Foster と Schwan はこれまでの集大成となるような非常に重要な総説を発表し [8], 細胞懸濁液や赤血球などの単純な系における誘電体の特性やその理論は成熟し完成したように思える.
図 2.2 は, イヌの骨格筋における比誘電率と導電率の異方性を説明する図である [9]. 筋繊維に沿った方向で測定した場合の比誘電率と導電率 (白抜きの丸と黒い丸) は, 筋繊維に垂直な方向で測定した場合の比誘電率と導電率 (バツと三角) に比べて, 低周波領域では約 10 倍大きくなる. どちらの場合も低周波領域で 106− 107オーダーの非常に高い比誘電率を示す.
図 2.3 は, ウシの脳組織 (灰白質) における比誘電率と導電率を示している [10]. 脳組織の低周波における比誘電率は他の生体組織と比較して 100 倍程度高い 108オーダーを示す. 1 [GHz] の高周波領域における比誘電率は水と同じ 80 程度となる. 低周波領域における脳組織の比誘電率は水と比べて108倍と非常に高い値である.
次の節では, Schwan が大成した誘電分散現象の理論について導入する.
図 2.1
比誘電率の周波数依存性に見る誘電分散現象の代表的な例 (赤血球の細胞懸濁液). β領域は細胞の持つ膜キャパシタンスによるものとされている. α-分散は, 膜の表面のコンダクタンスまたはイオンコンダクタンスの緩和現象として説明されている. γ-分散は, 細胞内のタンパク質の誘電緩和によって説明されている (Cole 1968 [1] より改変).図 2.2
37℃におけるイヌ科の骨格筋より測定した (a) 比誘電率 と (b) 導電率の周波数依存性を表している (Epstein and Foster, 1983 [9] より). 白丸と黒丸は筋繊維に沿った方向で測定した場合の誘電率と導電率,バツと三角は筋繊維に垂直な方向で測定した場合の比誘電率と導電率を表している. 点線は, 方向性のない筋肉繊維 (細胞懸濁液) の測定から得られた結果である (Schwan,1954). バツと黒丸は 4 本の電極から得られた結果, 白丸と三角は 2 本の電極から得られた結果を表している.参考文献
[1] Cole, K. S., 1968. Membranes, ions and impulses: A chapter of classical biophysics (Biophysics series, vol.1). Cambridge U.P.
[2] HODGKIN, A. L., and A. F. HUXLEY, 1952. A quantitative description of membrane current and its application to conduction and excitation in nerve. J. Physiol. (Lond.) 117:500–544.
[3] Miyakawa, H., and T. Aonishi, 2012. Apparent extracellular current density and extracellular space: basis for the current source density analysis in neural tissue. arXiv: 1209.4722 .
[4] Schwan, H. P., 1957. Electrical properties of tissue and cell suspensions. Adv Biol Med Phys 5:147–209.
[5] Schwan, H. P., and K. S. Cole, 1960. Bioelectricity: alternating current admittance of cells and tissues. Yearbook Publishers, Inc.,.
[6] Schwan, H. P., 1963. Determination of biological impedances. Phys Tech Biol Res 6:323–407.
[7] Schwan, H. P., G. Schwartz, J. Maczuk, and H. Pauly, 1962. On the low frequency dielectric dispersion of colloidal particles in electrolyte solution. J. Phys. Chem. 66:pp. 2626–2636.
[8] Foster, K. R., and H. P. Schwan, 1989. Dielectric properties of tissues and biological materials: a critical review. Crit Rev Biomed Eng 17:25–104.
[9] Epstein, B. R., and K. R. Foster, 1983. Anisotropy in the dielectric properties of skeletal muscle. Med Biol Eng Comput 21:51–55.
[10] Gabriel, S., R. W. Lau, and C. Gabriel, 1996. The dielectric properties of biological tissues: II. Measurements in the frequency range 10 Hz to 20 GHz. Phys Med Biol 41:2251–2269.