細胞外電場を介した非シナプス的相互作用による神経回路網の情報処理機構の解明
日本学術振興会特別研究員奨励費 2010-2013 (#228010) 700,000円/年
神経回路網は化学シナプスを介した神経細胞間の相互作用によって動作していると考えられている.しかしながらシナプス伝達だけでは説明のつかない,多様な情報伝達機構の存在が明らかとなっている.
先行研究の結果,細胞外電場を介した非シナプス的相互作用の存在が示唆されている.細胞外電場が周辺の細胞の活動に影響を与えている可能性は古くから提唱されており (Faber & Korn, 1989; Jefferys, 1995),細胞外電場に対する神経突起の振る舞いを理解するための理論研究が行われてきている.例えば,細胞外電場負荷に対する膜電位応答はCartee & Plonsey (1992) によって研究されている.彼らは電気的に長さが短いケーブルでは,長いケーブルに比べて応答の時間経過が速いということを示唆している.
微弱な細胞外直流電場に対する海馬錐体細胞の膜電位応答がホールセル記録法 (例えばFernandes, 2002) と膜電位イメージング法 (Bikson et al., 2004) の両方で実験的に調べられている.もし神経突起が,膜電位や膜容量や細胞内抵抗などの受動的パラメータが均一な有限ケーブルであるとすれば,Cartee & Plonseyが示したように,細胞外直流電場に対する膜電位応答の時定数は速くなるはずである.なぜなら錐体細胞の長さは電気的に短いという報告があるからである (例えばMajor et al., 1994).
しかしながら予想に反して細胞外直流電場負荷に対する細胞体付近における膜電位応答の時定数はゆっくりとしたものになった (図1, 上のトレース).それに加えて,樹状突起先端部から記録された膜電位は,急激な脱分極応答の後に過分極応答に転じる二相性の応答 (図1, 下のトレース) を示した (Bikson et al., 2004).
近年の研究結果は皮質や海馬の錐体細胞の樹状突起先端部の膜抵抗値が細胞体に比べて有意に低くなっている可能性を示唆している (例えばOmori et al., 2009).Svirskis et al. (1997) によって行われた理論的研究は,一端に低い膜抵抗を接続した受動的ケーブルの直流電場に対する膜電位応答の理論解は,低膜抵抗端側 (x=L) では二相性の応答を示し,逆の端側 (シールド端,x=0) ではゆっくりとした時定数を示すということを主張している.このように,樹状突起先端部の膜抵抗が低いことが,錐体細胞の細胞体付近におけるゆっくりとした応答や,尖端樹状突起遠位部における二相性の応答を引き起こしている可能性がある.
神経突起の振る舞いを完全に理解するためには形態学的特性と電気生理学的特性をすべて考慮に入れなければならない.しかしながら形態学的特性や能動的特性を考慮に入れる前に,分枝のない受動的な有限長ケーブルの細胞外電場に対する振る舞いの基本的な理解をする必要がある.申請者は,一端の膜抵抗が低い有限長の受動的ケーブルの細胞外電場負荷に対する膜電位応答を解析した.
ケーブルの膜電位の時空間変化はケーブル方程式として記述されるが,申請者は従来とは異なり,グリーン関数法を用いてケーブル方程式の解析解を求めた.これにより任意の入力に対する膜電位応答を求めることが可能となった.
本研究で用いたモデルは,従来では無視されてきた細胞外媒質の抵抗を考慮に入れている点においてより厳密である.また従来の方法では,境界条件に含まれる細胞外刺激の項が時間とともに変化するために,ケーブル方程式をグリーン関数法で解くのが困難であった.そこで申請者は,細胞が刺激の項を境界条件ではなく,ケーブル方程式内で表現する等価変換を行った.これにより,ケーブル方程式をグリーン関数法で解くことが可能となった.申請者は,ケーブルの一端の抵抗の低さを境界条件により表現した.この場合の境界条件は第2種境界条件と,第3種境界条件の混合条件となっており,このような非対称の境界条件を持つケーブル方程式をグリーン関数法で解いた例は申請者の知る限り,世界初である.
グリーン関数法を用いて得られた直流電場 (図2, 下のトレース) 負荷に対する一端の膜抵抗が低い有限長のケーブルに対する解はSvirskis et al.(1997) が示した通り,低膜抵抗端側 (x=L) では二相性の応答を示し (図2, 上のトレース, 太線) シールド端側 (x=0) ではゆっくりとした時定数を示した (研究業績[1-4, 7, 10-12, 15-16.]参照).
さらに申請者はグリーン関数を用いて細胞外交流電場を負荷した際の,一端の膜抵抗が低いケーブルの膜電位応答の解析解を求めた(monai et al., 査読中,研究業績[5-6, 8-9, 13-14,17.]参照).時間と共に周波数が徐々に増加するような細胞外刺激 (図3, 中央) を与えたところ,低膜抵抗端側 (x=L) では,特定の周波数に対して応答の振幅が最大になる周波数選好性の応答が観察された(図3, 矢じり, 図4, 矢印).またシールド端側 (x=0 ) では,膜抵抗が均一なケーブルの膜電位応答(図4, 点線)に比べて、低周波領域で振幅が増大するという現象が観察された(図4, 破線).
樹状突起先端部で周波数選好性の応答が観察されたことから,中枢神経系の神経細胞は,ラジオのように,特定の周波数にチューニングを行っている可能性がある.このことは例えば,空間行動中のラット海馬において,場所細胞の発火が4-10Hzのシータリズムと同期して観測されること (O'Keefe & Recce, 1993) と関係があるかもしれない.
電気魚の電気受容器 (Heiligenberg, 1991)では細胞の一端の膜抵抗を低くすることで,電位センサーとしての感度を高めているという報告がある.細胞体付近において低周波領域で振幅が増大するという結果は,中枢神経系の神経回路網においても,神経細胞が電位センサーとしての感度を高めている可能性を示唆するものである.