元徳とは

 「およそ人に勝たんと欲せば、すべからく先ず徳をおのれに修むべし、徳勝って而して敵自ずから屈す、これを真勝となす」 山岡静山


 私の尊敬する山岡鉄舟先生の師で妻の兄、そして幕末三舟の一人山岡泥舟の兄でもある山岡静山先生の言葉です。

 意味は、「人に勝とうと思うならば、先ず『自分に徳を身に付けなければならぬ。徳がまされば敵は自然に降参する』。本当の勝ちとはそのようなものなのだよ」と言っているのだと思います。山岡鉄舟先生の無刀流は、結局、この言葉に行きつくのではないかと思っています。


 ある剣の極意技に、ただ剣を頭上に構え、スラスラと歩み寄ると敵が剣を下ろし構えを解く‥、そのような一見意味不明な型がありますが、これは徳の高低を図っている型であり、日本武道はこのような精神的境地を最高のものとして目指していたように思えます。


 合気道の理想とする人間性は「至誠」です。合気道とは、人間完成を目指す道であり、開祖植芝盛平翁は、この思いを「合気道の精神」の中に込められました。先ほどの山岡静山先生の言葉と同じことを言っているのだと思います。


<合気道の精神>

 合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。

 合気とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して武技は天の理法を体に移し、霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。


 武道の最終的な目標は、私は「徳の充実を図ること」にあると考えます。

 「元徳」とは、たくさんの徳(よい性質)の中で最も根本となる徳のことです。


 例えば、儒教の教えに「五常の徳」がありますが、孔子・孟子が説いた、仁・義・礼・智に信を加えて五常の徳「仁・義・礼・智・信」としてまとめられたものです。これは、日本を始め、東アジア諸国において人としての道、守るべき徳として広く浸透しています。


 プラトンは知恵・勇気・節制・正義の四徳をあげ、また、中世キリスト教の支配した時代には、信仰・希望・愛の神学的三徳を人の道として教え導いています。


 さらには、 正直、勤勉、忠孝、愛、勇気など、人々は数多くの徳を願い求めてきましたが、そうした多くの徳の中で、これこそは主要な徳「主徳」だと考えられたもの、それを『元徳』と呼びます。


 植芝盛平翁は、この世界を「黄金の窯」と称し、魂を作り変えるための世界と表現しました。私は、この世界で魂を磨き、その魂から醸し出される人徳を持って、与えられたそれぞれの天命を全うすることが、我々のこの世界での最も重要な役目ではないかと思います。


 私は、当道場を開設するにあたり、当会で修行する目的や目指すべきす方向性を示すべきであり、そして、それを道場名に込めたいと考えていました。


 このようなことから、最も主要な徳を得ることを目指す道場として、「元徳」を道場名に掲げることにしました。