四段審査論文Ⅲ

「合気道の稽古で得たもの」

 宮崎合気道会 福留正幸

 自分が合気道の稽古で得たもの、それは「社会を生き抜くための自信」である。

1.合気道を始めるまでと始めてから

 合気道に出会ったのは、20歳で職に就いてからだが、「生き抜くため強さ」を求めるようになったのは、少年期の体験に遡る。よくある話だが、子供の頃の私は身体が小さく、気が弱かったためか、一部の同級生からいじめを受けていた。今でもあまり思い出したくはないが、その事が武道の道に向かうためのきっかけになったことには違いない。「強くなりたい」「見返してやりたい」。子供心にいつもそう考えていたことはよく覚えている。

 中高生の頃は武道とは無縁の環境であったため、専らスポーツで身体を鍛えた。そして、高校を卒業して就職し、ようやく武道ができる環境を作ることができた。初めは武道の武の字も知らなかったので「特にこれをやろう!」とは決めてはいなかった。素人ながら「身体が大きい者に勝つためには合気道が向いているかな?」と考え、当時住んでいた土地の道場に見学に行ったのが20歳の時。それからしばらくしてから、並行して空手や柔道もやったが、合気道が一番長く続いた。試合が無いことで身体に無理なく、じっくり研究ができることなどが、性に合っていたのだと思う。今年でちょうど20年になる。まさかこんなに続くとは自分でも思っていなかった。今では、合気道が自分の生活の中で、仕事に並ぶ優先事項にまでなってしまっている。

 合気道の稽古を通じて学んだ事はとてもたくさんある。今や自分の人生の支柱でもある。それだけ影響力が大きい。冒頭にも書いたが「社会を生き抜くための自信」を得ることができたのは合気道の稽古のおかげである。自分は完全にコツコツ型人間だ。長年少しずつ積んできた稽古のおかけで、ある程度の事なら、そう簡単に崩れない身体や精神を持つことができたと思う。つまり少しは「中心」ができてきたのではないか?と感じている。中心が安定してくると、周りのことを見渡す余裕が少し出てくる。多少動揺することがあっても、比較的冷静にモノを見ることができるようになってきた。冷静にモノがみられるようになると、言動や行動が落ち着いてくる。平静に物事に対処できるようになってくる。職業柄、人と接する機会が多いが、最近以前よりも落ち着いてよく観察できるようになってきたのではないかと思う。合気道は自分の仕事にも良い影響を与え続けている。

2.四段に挑む覚悟

 私の中では、四段は「特別なもの」という思いがある。弐段、参段までは、そのままの流れで稽古を続けていけば、いずれ取得はできるだろうが、四段からはそういうわけにはいかない。稽古中に技ができるのは当たり前で、その中にも風格が備わってなければならないと思う。周囲から見ても、また他の武道修行者から見てもきちんと伝わるような技や所作ができていなければならない。立ち姿や構え、単独動作、剣や杖の素振りなど、相対稽古以外の動作や立ち振る舞いでも、その雰囲気が伝わるように修行を積まなければならない。合気道の技のみならず、「人間力」そのものの底上げをはかっていかなければと考えている。今は、まだ自分の理想とするところには届いていないが、今後の課題として取り組んでいきたい。

3.これからの合気道

 自分の稽古はもちろんだが、今後は後輩の育成にも力を注いでいきたい。四段といえば、段位で中ではちょうど中間にあたる。先生や諸先輩方のご指導を受けつつ、それを後進に正しく伝えていくことが自分の役割であると考えている。また、すでに海外にも広く伝わっている合気道であるが、一つの武道としてのみならず、日本の文化の一つとして誇れるように日々の練磨を重ねていき、国内外の一人でも多くの人に合気道を知ってもらい、感動してもらえるような合気道を目指していきたい。