道場長は、たまに面白いことを「ボソッ」と言います。
その言葉は思いの外、含蓄深くてもったいないことから、広報部で「道場長論語」としてまとめてみました。
興味のある方は、ぜひご一読を‥。
■問い:「『五常の徳(仁・義・礼・智・信)』と『仁・智・勇』、私の場合は、どちらを指針とすべきでしょうか。」
◎師曰く:「基本は、『仁』だけでいいんです。仁は、合気道やキリスト教でいう愛、仏教の慈悲の心と同じで、この仁に他のすべてが包含されている。ただこれだけでは分かりにくいし、生きていく上でもう少し具体的な指針が必要‥、ということから、『義・礼・智』が生まれたのだと思います。その結果として『信』、信頼される、つまり一目置かれる人物になる。
ただ、儒教的なこの五常の徳は、日本人には少し堅苦しく響きにくい気がする。中国の文官向きの表現ですもんね。所謂理屈屋さん向き。
日本人としては、『仁』を全うするには『智・勇』、所謂物事の本質を見抜くことができる頭の良さと、現実的な力と勇気が必要です。もっと具体的能力を付加すると、結局のところ、『義・礼』もあったほうがよいと思う。
‥ということから、『仁』に具体的能力『智・勇』をプラスすることが理想で、そして人間性の『義・礼』をさらにプラスする。『高い人間性で頭もよく勇気があって強い。そして、筋が通っており礼儀正しい』、これまで行けば、世界標準で尊敬される人物をなりうると思う。
結局のところ、現代日本人における五条の徳とは、「仁・智・勇・義・礼」なのかもしれないね。」
■問い:「日本人に必要な『徳』について教えてください。」
◎師曰く:「日本に儒教が入ってきた時に、三種の神器(勾玉、鏡、剣)のことを『仁、智、勇』と表現したようです。異論もある方もいると思いますがこれは分かりやすい。
勾玉を仁・愛・慈悲の象徴、鏡を智慧の象徴、剣を力と勇気の象徴とした。「優しい心根の持ち主で、頭もよく、しかも強い」、これが日本人の理想です。昔話の桃太郎や金太郎、そのほか特撮やアニメ、そして時代劇のヒーローもこの三つの徳が揃っている。所謂『気は優しくて、頭も良い力持ち』、日本人はこういう人が大好きなんですね。
これは実は深い考察のもとに生まれたのではないでしょうか。
優しいだけでもダメ、頭がいいだけでもダメ、強いだけでもダメ、三つのうち二つ持っていても、やはり足りない。仁は高い人間性だけど、これだけでは言葉が悪いがいい人と呼ばれる無能力者、智は智慧者のことだが、頭がいいだけでは詐欺師やズルい人になる場合がある、勇は、力と勇気の表現ですが、頭がよくないと蛮勇で、仁がないとただの乱暴者になりますね。
高い人間性の持ち主で、現実的能力の智と勇を両方兼ね備えた人物が理想。よって、この仁・智・勇がバランスよく揃っている必要があります。‥ということから、日本人の元徳は『仁、智、勇』です。
道とは、人間性と専門性の向上のこと。この三種の神器を考えた人は理想的な現実主義者で、よっぽど偉かった人だろうと思います。」
■問い:「五常の徳について教えてください。」
◎師曰く:「人が常に守るべき五つの徳『仁・義・礼・智・信』のこと。儒教の言葉ですね。
『仁』は優しさ、慈しみ、思いやりのことで、合気道やキリストの言う愛、釈迦の言う慈悲と同じ。
『義』は道理、人の行うべき道筋を守ることで、転じて困った人を見過ごせない義侠心という人もいる。
『礼』は立場を弁え不快感を与えないこと、
『智』は物事の根本・中心を理解できる智慧を得なさいということ。
最後の『信』は「人を信じなさい。人を欺 あざむ いてはいけない」という人もいるが、私はそう思わない。
もともとは、『仁』だけでいい。仁を実行しようとした場合に義礼智は必要不可欠な徳のため、自然に義礼智が必要になる。その仁義礼智の結果として『信』が生まれる、そう理解しています。仁だけでいいのですが、具体策に欠けるので義礼智がいる。そして結果が信となる。そういう風に理解しておくとピントが合いやすいと思います。
‥ということから、五常の徳(仁義礼智信)と覚えるより、四常の徳(仁義礼智)と覚えるほうが良いと思います。」
■問い:「人から信頼を得るにはどのようにすればよいのでしょうか‥」
◎師曰く:「子供の頃から自然に学んだ『約束を守る』『嘘をつかない』『ルールを守る』『自分だけわがまましない』『礼儀正しくする』『誰にでも公平(フェア)に振舞う』などを年齢を重ねて仮に社会的地位があったとしても忠実に守ること、これが信頼を得る秘訣です。」
「小難しいことを言えば、『仁、義、礼、智』の四つを守ること。この四つを守ることで『信(信頼)』が得られることは、数千年前から儒教で教えています。これを『五常の徳(仁義礼智信)』といいます。」
「一言でいうと誠実であること、簡単といえばこれほど簡単なことはありません。しかし、難しい人には、ことのほか難しいことでしょう。この信頼の貯金がつまるところ『徳』と言えると思います」
■問い:「生きることに、どのような意味があるのですか」
◎師曰く:「生きる意味を理解するには、まず初めにこの世生まれた意味を理解しなければなりません。このことを合気道開祖植芝盛平先生は、人生とは「(魂を練り直す)黄金の窯」と表現されました。分かりやすく言うと、それぞれ癖を持った魂を磨いてきれいにしていく作業の場のことです。つまり、この世に生まれた意味とは、「魂を純化させること」と言えると思います。
このことを神道では、「惟神の道」と表現しています。惟神とは、『神の道に従うこと』『神そのままにて‥』『神意のままに行うこと』等々ありますが、要約すると『神に近づくための道』と言えるでしょう。日本人として、一番しっくりくる宗教観ではないかとでしょうか。
そのために与えられたこの世での魂磨きのツールが『天命』と言えます。
このことから、人生に目的があるとすれば、『それぞれの天命を全うすること』になります。」
■問い:「ずっとどちらの方向に行こうか思い悩んでいます‥。」
◎師曰く:「昔の歌で『目に映る全てのことはメッセージ♪』という歌詞がありましたが、実はあなたが向かうべき方向は既に示されています。それに気づけるか、気づけないかの差が人生を二分します。普段の生活の中にメッセージがでているはずですので、この点を大事にされれば間違いはありません。
また、『なんとなくそう思うことが”人生の羅針盤”』です。どちらも常に自然体でいれば理解できるはずですよ。」
■問い:「何かの病気でしょうか? 最近ずっと身体がだるいです‥。大丈夫でしょうか?」
◎師曰く:「大丈夫です。人間誰しも死ぬ病気には、一生に一回しか罹れません。それ以外の病気は基本的に治ります(笑)」
■問い:「生きるための極意のようなものはあるのでしょうか?」
◎師曰く:「春には夏の準備、夏には秋の準備、秋には冬の準備、そして、冬には春の準備を‥というところでしょうか(笑)」
■問い:「最近、老いを感じるようになりました。」
◎師曰く:「「老い」には二種類あります。まずは、「普通の老い」、これは、身体が消耗することによって心身の機能が衰え、頭の回転も遅くなり、そして見た目も衰えていくこと。騏驎も老いては駑馬に劣る‥、この心身の老化に任せて生きていくだけの場合‥、これが「普通の老い」。そして「老熟」。これは、長く経験を積んで物事に熟練することで、常日頃の習慣による積み重ねを大事にし、日々物事を考え一日一日と成長してきた人、大局観が身に付き風格が備わった人物のこと。中国では、紹興酒などを長期熟成させて風味の増したものを老酒(ラオチュウ)と呼ぶように「老」を良い意味でも使いますね。どうせ老いるならこうありたい‥、そう思いませんか? 当道場で学ぶ稽古生は、そうあるように努めましょうね。」
■問い:「(仕事のことで)他の人はそう言うのですが、今の方向性では、なんだか失敗する気がしてなりません‥。」
◎師曰く:「私は、『なんとなくそう思う』ことを大事にしています。『なんとなくそう思う』は、人生の羅針盤です。その気持ちを大事にしてみてはいかがですか。」
■問い:「正しい生き方とはどのようなものなのでしょうか。」
◎師曰く「『この世に生を受けたからには、まずは積極的に喜怒哀楽、艱難辛苦を可能な限り味わい尽くし、そして、この世の森羅万象を学び尽くして、自身の天命を自覚すべきだと思います。そして、自身の天命が理解できたら、その天命が全うできるよう積極的に良い種を蒔き続けること』が、この世界における正しい生き方だと思います。
■問い:「天命について具体的に分かりやすく教えていただけませんか。」
◎師曰く:「何かに『痺れる!』、何かに『トキメク!』ことが、今までの人生でありましたか? もしあったとすれば、それが天命です。そのことをやりなさいという天からの合図・指令だと思います。ぜひ、そのことを大事にしてください。」
■問い:「今度、犬を飼おうかと思っています。」
◎師曰く:「動物は口がきけませんから、可愛がっても、可愛がっても、きっと、まだ何かしてほしいことがあるはずですよ。徹底的に可愛がる、その中で動物の気持ちを察することも武道の極意と言えるのかもしれません。」
■問い:「仕事で失敗してしまいました‥。」
◎師曰く:「今回は『残心』を忘れていたようですね。『残心』をしっかりすれば基本的に失敗しないものです。反省し尽くしたら、とりあえず「まぁしょうがない」と見切るしかないでしょう。‥飛ぶためには、バネが必要です。この失敗を強いバネにしなければなりませんね。そうすれば、この失敗は、失敗ではなくなり、成功の原因に成り得ます。」
■問い:「いろいろと辛いことがありました。私は、これから何を指針に生きていけばいいのでしょうか?」
◎師曰く:指針を一つだけ挙げろといわれれば、『魂を磨くこと!』、‥でしょうか。究極の人生の目的とは、これだけだと思います。『死んでからあの世に持って行けるのは、結局のところ魂だけ』ですから‥。」
■問い:「最近、悪いことがたてつづけに起こります。」
◎師曰く:「それはよかったですね。自分で悪い種を蒔いてきたものが現実化したんです。その悪い種が現実化したら消え去るので、きっともう大丈夫! これからは良い種だけを選んで蒔いていくとよいのではないでしょうか。」
■問い:「ここ数年、悪いことばかりで‥。何をすればよいものでしょうか。」
◎師曰く:「人生には四季があり、誰にも冬が訪れます。昔から、冬は春の準備をする季節です。良い映画を見る、良い音楽を聴く、良い芸術を鑑賞するとか、何か習いごとを始めるなど、よい花が咲く種を蒔いておくとよいですね。よい種を蒔き続ければ、きっと素晴らしい花々に彩られた春を迎えられると思います。冬の次の季節は春ですよ。」
■問い:「何かと悪いことが多い時期です。なんとかなりませんか?」
◎師曰く:「『天は自ら助ける者を助ける』、これが真理です。幸せになる良い種を蒔いてきましたか? 幸せになりたいのなら、できるだけ悪い種を蒔かずに、良い種を選んで蒔き続けないとダメです。」
■問い:「幸福になる良い種とはどのようなものでしょうか?」
◎師曰く:「究極的には『愛を与えること』、易経的には『積善の家に余慶あり』です。‥がしかし、現代では、「自己実現のために必要な要因となること」と表現したほうが受け入れやすいかもしれませんね。」
■問い:「積善の家に余慶あり?」
◎師曰く:「易経の冒頭に『積善の家に余慶あり、積不善の家には余殃有り』とありますが、これは易経の言葉で、『善行を積み重ねた家は、その子孫が幸福になります。また、悪行を重ねた家は災いが起こります』という意味‥、因果応報という宇宙の法則を表現したものです。難しく考える必要はありません。他人に愛を持って接していれば、(基本的に)相手も会いをもって接してくれます。これが、分かりやすい積善の家に余慶あり。人の悪口ばかり言っている人は、人に嫌われるし、嘘ばかりついている人は、相手にされなくなる‥、これが分かりやすい積不善の家には余殃有りの例えです。なかなか難しいですが、愛をもって接するというのが、その奥義のような気がします。」
■問い:「うちの子供は、勉強と運動は、まぁ少しはできるのですが、なかなか言うことを聞いてくれなくて‥。」
◎師曰く:「私はルックスだけの男だとよく言われます(笑) よいほうだと思います。」
■問い:「素早く動くにはどうすればよいでしょうか。」
◎師曰く:「遅いことを自覚するとともに、結婚式に二日酔いで遅刻した新郎の気持ちになって足を動かしてみましょう(笑)」
■問い:「男と女の違いとは?」
◎師曰く:「本能的に男は強さを求める。そして女は美しさを求める。この点が根本的に違います。ただし、例外もあります‥。」
■問い:「若い彼の旅立ちに一言‥」
◎師曰く:「男性ですので、何でもいいので『力』を身に付けるよう努力して欲しい。そうですね。腕力はだいたい十分。これからは、知力、経済力、政治力を身に付けるよう精一杯頑張って欲しい。このことが将来、身を助けることになると思います。」
■問い:「私には、将来の夢がありません。何を目指せばいいのでしょうか(中学生)」
◎師曰く:「『あなた達は、今はまだ何者でもない。だから何者にでもなれる。あなた達は想像以上だ』、‥とポ〇リスウェットのCMで言っていました(笑) まだ、大丈夫です。これからは、自分には何が向いてるのかをゆっくり考えて選択しなさい。」
■問い:「今度の演武会ですが、仕事で稽古する時間がないので‥、とりあえずだいたいな感じでいいですよね?」
◎師曰く:「合気道家という仕事は、残念ですが、なくなったとしても特に誰もこまらない仕事です。だからといっては何ですが、一応演武をするのであれば、プロフェッショナルとして、ある程度のものを見せる義務があると思いますよ。」
■問い:「なかなか稽古する時間がとれません‥。これでは武道家とは言えませんね。」
◎師曰く:「武道の稽古を続けている人は、続けている限り武道家です。しかし、稽古をやめたらただの人です。道場に通うだけが稽古ではありません。自宅の隙間のスペースで少しずつでも稽古を続けている限り、その人は武道家です。少しずつでもいいので続けましょう。」
■問い:「最近、モチベーションが下がって、なかなかやる気が出なくて‥。」
◎師曰く:「稽古を続けるためには、『ずる休み』も必要です。私の得意技です(笑)」
■問い:「精神と物質、どちらが大事でしょうか?」
◎師曰く:「20年以上前のことですが、給料を初めていただいて、そのまま飲みに行ってしまい全部使ってしまったことがあります。その夜は『天国』、次の日は『地獄』‥(笑) その時、二日酔いの頭でいろいろ考えましたが、『天国と地獄をこの二日間で味わうことが出来た。なかなか味わえない良い経験だった』と納得することができました。結局のところ、物質的価値観では損をしているのですが、精神的価値観では得をしている。『死んでからあの世に持って行けるのは、結局のところ魂だけ』です。どちらももちろん大事ですが、私は精神的なことのほうに価値を置く人間です。‥二日酔いの経験もばかにできませんね(笑)」
■問い:「お酒がお好きなんですか? 武道をやる方はストイックな方ばかりだと思っていました。」
◎師曰く:「お酒は、内臓の鍛錬のために飲んでいます(笑)。私達はアスリートではありません。現代版の剣客です‥。昔から剣客にはお酒がつきものですので何も問題ありません(笑) 野暮な酒はいけませんが、良いお酒を嗜むことは、人生に彩りと潤いを与えると思います。」
■問い:「(高校を卒業して県外の大学に行く稽古生に対して)一言お願いします」
◎師曰く:「世の中は広いです。武道が全てではありません。年齢のせいでしょうか。私も最近、ようやく人生を楽しもうという気になってきました。そんな時考えるのが、良い映画を見る、良い音楽を聴く、良い芸術を鑑賞するなど、この世に生きている間の時間でしかできないことをやりたいということ‥。武道はもちろんよいことですが、小さな人間にならないように、大学生活でしか味わえないことを精一杯やってほしい。そう思います。」
■問い:「仕事で疲れ気味のようです。何かよい養生法はありませんか?(30代)」
◎師曰く:「養生ですか‥、少し生命エネルギーが減少してきているようですね。『養生』と聞くだけで既に少し気持ちが負けている感じがします。武道家ならば養生ではなく『鍛錬したい』と言いたいですよね。鍛錬していると心身共に強くなり、養生なんて考えないものです。気持ちが消極的になっている証拠だと思います。生命エネルギーを充電するよい呼吸法がありますので、今度時間が取れた時にでもやってみましょうか。」