宮崎県西都市三宅地区にある印鑰神社に隣接している元徳館武道場では、幼少の子供からシニア世代まで幅広い年齢層の方々が稽古しています。この道場で指導しているのは、宮崎合気道会グループ代表の小谷師範。広報部(上杉)では、道場長に今日までの武道人生の一端を伺ってみました。
問:早速ですが、合気道の魅力について教えてください。
合気道は、まだ一般的に世間や社会に知られていない、認識されていない世界を持った不思議な武道だと思います。その探究がとても魅力だと思います。
問:?‥といいますと‥。
私は様々な武道経験を経て合気道に入門しました。そこで合気道の呼吸法を学んだのですが、少しすると下っ腹になんとなく張りが生じました。「これって何だろう?」と思っていたところ、その後、下っ腹が風船のようにパンパンになってくるとともに気分に活気が生じ、元気溌溂とした状態が続きました。そして、このパンパン張ったお腹が体内下腹部にあるボールのような球形(ボール状)のように感じはじめました。きっとこれが丹田というものなのだろうな、と薄々感じていました。25歳ぐらいの時です。
面白いのが、この段階に至るとなぜだか技がよくかかる‥、人が急に軽くなった気がしてとても不思議でした。この身体の変化がとても面白く不思議だったのが、今でも合気道を続けている理由の一つだと思います。
問:合気道の呼吸法で丹田を自覚することができた、ということですか。
はい、そういうことだったのだろうと思います。丹田のことなんて考えてみたことがなかったので驚きでした。
そしてそれから随分時間はかかりましたが、その球形のボールの中心というか、お腹の芯を感じとれるようになりました。するとこの芯のお陰で、より技の威力が増すとともに人に触れた状態で力を発することができるようになり、いわゆる寸勁のようなことも自然にできるようになりました。
また、同時にこの芯に意識をまとめると通常意識のモードが変わり、すぐに「無心モード」に入ることができるようになりました。きっと、この状況を「空」、「明鏡止水」、「無念無想」、そして、合気道的には「澄みきり」というのだと思います。
笑い話として聞いてほしいのですが、この意識モードで私に気づいていない人に近づいて話しかけると「ものすごく驚かれる」し、たまに気づかれさえしないこともあります。驚きすぎて椅子から落ちた人もいました。この意識モードに入ると気配のない状態になるようですね。
問:‥不思議ですね。
そうですね。私自身も不思議です。ただ、今も少しずつ身体が変わり続けているので興味が尽きない、そんな感じです。
そして、面白いことに、身体を横たえてリラックスし、この意識のモードに変えると、身体に何かガス状のものが急激に入り、身体が膨らむような感じがします。ゴム手袋に水を入れるとゴム手袋が膨張するような感じが身体で起こる、そんな感じがします。意識モードが変わると身体にガスが充満してギュギュっと膨張する感じ‥、ちなみにこの時は気持ちよすぎて身体がぐぐぐーと自然とエビぞりにのけぞります。この身体に入ってくるものは何でしょうかね。これを「気」というのかもしれません。とにかく気持ちよすぎてそれさえもどうでもよくなる感じになります。
問:初めて聞く話です。
そうですよね‥。私も不思議に思い調べてみました。なお、ヨガで「瞑想とは”吸収する”という意味」だと聞いたことがありますが、「こういうことなのかな?」とか、「気功の本当の意味はこういうことなのかな?」、などと考えて、いろいろと本を読んでみたのですが、残念ながらどこにも書いていない。
ただ、中村天風先生の瞑想についての項目には、似たことがかいてありました。「瞑想すると乾いたスポンジがギュッと水を吸い込むように充電する」ような感じだったと思いますが、似ているといえば似ていますね。
問:そのことは聞いたことがあります。
もっと不思議なのは、数年前に病気をしたことから様々な後遺症を持っていたのですが、すべてではありませんが、気がついたらほとんどが雲散霧消していました。‥これが事実だとすると、この点は、まだ知られていない、科学で明らかにされていない未解明の研究分野なのかもしれませんね。
余談ですが、この状態になると家族からは「何かよい匂いがしてくる」と言われます。口と体全体から香ってくるようです。また、口の中が甘い味がしてくることもあります。甘露?、不思議です。
問:どなたか研究してくれる人がいるとよいですね。
そうですね。いつでもそのような状態になれると思うので、研究対象になれるのではないかと真面目に思ったことがあります。人類の進化向上に貢献できそうな気がします。お役に立てればありがたいですね。
問:さらに詳しく教えていただけますか。
その後、身体の皮膚の下を縦に通る筋のようなものを感じだしました。例えて言えば葉っぱの裏の葉脈のような感じで、後にこの葉脈のようなものが経絡というのだろうと分かりました。その後、この縦筋が体の中心から徐々に広がり、腕や脚にも広がっていきました。なお、この筋は動かすことができますので、筋を順番に動かすことでうねうねとブレイクダンスのような動きができるようになります。より細やかな動きにつながっている気がします。
問:そのほかの魅力を教えてください。
そうですね。極意が単純明快で分かりやすいところでしょうか。
問:具体的に教えてください。
はい、人はもともと「真我」という心の奥に存在する光り輝く鏡のようなものを持っています。分かりやすく言うと魂のことですね。
この鏡のように清浄無垢な心である真我、つまり魂は、神や仏や天、また宇宙の本体といわれるものと構成物質が同じで、この構成物質が愛、仁、慈悲などの性質、そして方向性を持っています。そして本来は、先ほどの神仏等といわれるものと実は密接に繋がっており、かつ一体化しています。しかし、ほとんどの場合、この真我は罪と穢れ(汚れ)により、本来発揮できる神仏等の能力を発揮できない状態にあることから、社会生活上、様々な問題が生じてくる場合があります。
問:私にでも分かるようにご説明いただけますか。
はい。その「真我」を包み隠し(つつみかくし)て覆い、真我が本領を発揮できなくしている「自我」というものを「罪(つみ)」といいます。本来は、法律を破ることが罪ではなく、光り輝く清浄無垢な鏡を曇らせていることが本当の罪なのですね。
また、ストレスや疲れ、罪の意識などで生命エネルギーが減少している状態のことを「穢れ(汚れ、けがれ、気枯れ)」といいます。この気が枯渇した状態、つまり生命エネルギーが減少していることも「真我」が本領を発揮できない原因となります。穢れとは本来、物理的に汚れている状態を意味する場合もありますが、もともとは真我が本領を発揮するためのエネルギー不足の状態を言っています。
問:分かりやすいですね。
この真我を包み隠している罪を神様から浄化していただくのが「祓い」、気枯れや物理的な汚れを自ら浄化し、生命エネルギーを向上させるのが「禊(身削ぎ)」です。「祓いは他力」で「禊は自力」、両者相まって心身ともに浄化され澄みきった状態が合気道の極意に至る道であり、この澄みきった心を兵法として活用するのが合気道だと言えます。なお、澄みきった心に生じるものが、愛であり、仁とも言えますし、慈悲とも言えます。その心の発露として、植芝盛平翁は、合気道は「万有愛護」や「生成化育」と表現したのだと思います。
そして、心が澄みきると本来の状態、先ほど神や仏や天、また宇宙の本体といわれるものと構成物質が同じため、同時に一体化されることになる。これを「神人合一」、「天神合一」、「アカシックレコードを繋がる」、「宇宙と一体となる」、「大宇宙と小宇宙と一体となる」などと表現し、合気道では「天と一体となる」と言っています。
私が伝承しているタイ捨流では、この浄化され澄みきった境地のことを「金剛王寳剱」といいますが、金剛はダイヤモンドのように澄みきって強い境地のことを表現しています。また、新陰流や示現流の伝書の意味不明な部分も上記と同じ事がその時代に応じた表現になっているだけで、同じ内容だろうと思っています。
問:今までよく分からなかったことが、少し理解できた気がします。
この浄化された境地を「澄みきりの境地」といい、この澄みきりの境地は、個々の資質を格段に向上させるだけでなく、武道の極意である明鏡止水に通じ、かつ合気を得るための唯一の手段でもあり、とても重要な教えです。澄みきった境地‥、日本人にはとても分かりやすい表現だと思います。
また、心身が澄みきった状態のことを「誠」といい、誠の人物を育成することで、真我が本領を発揮せしめる状態にし、それぞれがそれぞれの天命を全うすることを目的とするのが合気道です。ただ誠実な人を育成するのが目的ではありません。誠実さは、あくまで誠に至った人の副次的産物です。「至誠天に通ず」も本当の意味は、「心が浄化されると誠の心境に至り、天と繋がることができる。つまり天神合一(神人合一)になれる」という意味ですね。
なお、公益財団法人合気会は、澄みきりの境地を最終境地とし、至誠の人をつくることを目的としています。本当にすばらしいこの上ない理念だと思っています。
問:これは神道の教えですか。
はい、日本人に説明する場合は、神道の表現が一番理解しやすいようですので神道で表現しましたが、仏教でもキリスト教でも儒教でも同様に説明できます。正しいといわれる一般的な宗教は、お国柄や国民性で表現が異なるだけで同じことを言っているというのが私の立場です。なお、実際に私自身、どの宗教にも入信していません。
例を挙げると、澄みきりの境地及び誠の境地は、仏教で表現すれば、「大円鏡智」や「自性清浄心」といい、この澄みきって清浄なことを般若心経では「空」と表現したのです。また、澄みきりの境地は、眼耳鼻舌身意の六根が浄化された状態のことで、これを「六根清浄」とも同じ境地ですね。
キリスト教では、聖書により表現は異なりますが、「心の清き人は神を見る」、ここが同様の表現であり、結局のところ、浄化された清浄な心「澄みきった心」や「誠の心」が神の心であり、仏の心なのですね。分かりにくい人に向けて表現すると「真の深いやすらぎを得た状態」ともいえますし、安っぽく例えれば「すべてお任せで安心しきった安らかな状態」だとも言えます。
誠は儒教的表現ですので割愛しますが、孔子が「一以って貫く」と表現した「一」とは「誠」のことだと思っています。一は仁という人もいますが、仁は誠に至った人が理解できることなので、そうとも言えますが、誠に至ることが先なので誠の心の状況、つまり心が浄化され澄みきった状態で生涯を貫いたのだと思います。
問:確かに分かりやすいですね。
この浄化されて澄みきった清浄な心を理解することができた心境を「法が分かる」というのであり、合気道では、「天と合気した」段階のことこを言います。一言で言うと「有神無我」。
結局のところ、武道の極意は宗教の悟りと一致します。そして、ここに一度でも至れば、社会を大観できる状態に至り、かつ物事を達観できることが可能となり、人としての能力も格段に向上します。
心が澄みきった状態で社会や物事を見ることができるので、嘘や偽りに騙されることもなく、大観・達観できるので、判断に誤りがなくなる。仏教で言うところの八正道が行動として自然に生じてくることで、いろんな状況下で的を外すことがなくなる。
易や中庸の極意は、「中る(あたる)」ですが、この「中る」とは、すべての場面や状況で正しい判断や行動がとれることで、いつでも何をしても”当たっている”ことなのですが、これは頭で考えて判断したり行動することではありません。すべて無心を起点として鏡に映るように心に生じるものです。
様々な状況下にあってもいつでも正しい判断・行動がとれる、つまり易の「中る」や中庸の「中」とは、真ん中をとるとかそういう話ではなく、「正しい」という意味が本当のことですね。ここのところは、学者といわれる方々でも誤解してらっしゃる方が多いですよね。重要なところなので、参考になれば幸いです。
問:私も誤解していました。ありがとうございます。
日本武道は禅と密接だと言われていますが、実は易経とも深い関係があります。陰流系統はすべて易を学ばねば、その本質を理解することはできないと思います。陰は影(かげ)ではなく陰陽の陰だからです。このため、私の伝承しているタイ捨流では易経が伝わっており、その理解がないと極意に達することはできないだけでなく、きっと伝書さえ理解することができないでしょう。
それはさておき、易経では先ほどの「中る(あたる)」について、「どんな状況下においても「中る」人を聖人という」と言っています。つまり、「いつでもどんな時でも正しい(中る)」、つまりお釈迦様は、考えたり狙ったりしながら八正道を実践しているのではなく、「いつでもどんな時でも八正道」、逆説的にいえば悟った、若しくは法を得た人は、自然にいつでも「中る」人となれるし、自然体で八正道に生きることができる人になれる、そういうことだと思います。
合気道、そして、武道の最終的な目的はここにあります。
そして、合気の名人である大東流合気柔術の佐川幸義先生も易経を愛読し研究していたと聞いています。その佐川幸義先生が創られた「透明な力」という言葉‥。その深さと広さはどれほどのものなのか‥、その研究と努力、そして合気に生涯を捧げられた人生に尊敬の念を持ち、各種書籍を通じてヒントをいただいたことに感謝申し上げながら、現在、その到達された境地に思いをはせているところです。
~ 閑話休題 ~
問:ここから話が変わりますが、師範の武道経歴を教えてください。
子供の頃から興味に任せて、少林寺拳法、日本拳法などを学び、あとボクシングも齧りましたね。また、中学の格技の時間では柔道を学びましたよ。面白かったですね。恥ずかしながら、ジャッキー・チェンやブルース・リーの影響が大きかったと思います。子供だったからでしょうか。凄く憧れましたね。どの武道も一生懸命稽古しましたよ。それぞれに魅力があり楽しく稽古させていただきました。今でも武道全般が大好きです。
合気道については、いつの頃だったか正確には思い出せませんが、高校生ぐらいの時にワイドショーか何かで由美かおるさんの合気道の演武を見て、このような美しい武道があるのかと感心した思い出があります。‥しかし、その時は特に学びたいとまでは思いませんでしたね。
問:合気道を始めたきっかけは。
以上の武道を経験したのは高校までで、その後は進学したのですが、仕送りのない苦学生でしたので様々なアルバイトを経験することになりました。しかし時はバブル時代‥、調子に乗って友人と事業を興すことになりました。‥がしかし、よい時期は長くは続かずに失敗してしまいました。
その後は、様々な人間関係のゴタゴタを味わうことになり、また周囲の者にも多大な迷惑をかけることになりました。結果、様々な艱難辛苦を味あわねばならなくなり、精神的に苦しい状態が長く続き、とても辛い時期でした。結果、放浪生活も味わいました、しかし、その時に転機があり、全ての生活を改める決意をした頃に学生時代を終えることになりました。
社会人になって数年後でしょうか。少し生活に時間的な余裕が持てるようになったことから、もっと心と身体を強くしたいと考えるようになりました。何がよいか考えるうちに、以前テレビで見た合気道が学びたくなり入門させていただきました。
問:どうでしたか。
びっくりしました。入門した道場にはMさんという痩型で小柄な方がいらっしゃったのですが強い強い‥。なぜ倒れされるのか理解できない‥、不思議でした。異質な感覚というのか、力を感じずに倒される‥、いわゆるカルチャーショックでしたね。
問:それからは。
仕事以外は寝ても覚めても合気道‥。合気道関係の本は、全て購入し読み漁っての研究の日々が始まりました。また、先ほどのMさんの私的な武術研究会にも参加し、技術としての合気を学びつつ、新陰流兵法も教えていただきました。私にとっては武術の目を開いてくれた方で、本来は秘密にすべき技術を惜しげもなく教えてくれました。今でも感謝しています。
問:同じ道場の方に神道夢想流も学ばれたとか。
はい、合気道と神道夢想流杖術等を学ばれていたNさんにもたいへんお世話になりました。合気道以外にも、Nさんの道場で神道夢想流杖術や浅山一傳流、そして様々な鍛錬法を教えていただきました。Nさんの道場での稽古は、稽古時間2時間のうち、一時間半近くがこの鍛錬法のみの稽古でした。もちろんきつかったです。しかし、これが良かった‥、武道で最も大事な鍛錬「身体を練ること」、この大事さについて身を持って教えていただきました。感謝しています。現在は宮崎市の一等地に六然館道場(神道夢想流杖術)を開設されています。
問:古武道のタイ捨流も学ばれたそうですね。
はい、第13代宗家山北竹任師範から全伝を学び免許皆伝を受けました。武号は藤原定光です。
詳細は他の稿に譲りますが、とにかく腕が立つ方で、その当時、古武道界では一番だったと思っています。しかしその頃は、稽古生はほぼ私一人‥。マンツーマンで学びました。
その後、学研の「日本の剣術」という本に掲載されてから少しずつ会員が増えましたが、当時は、大先輩の合気道祥平塾熊本道場長の本田宏一師範とお会いする程度でした。なお、本田先生は人格識見に優れたたいへん立派な方です。
【参考】タイ捨流剣法
タイ捨流剣法第13代宗家である故山北竹任師範より伝授された剣法と居合心術等
・剣法、居合心術、手裏剣術、伝書講義、その他剣術・居合心術・短刀術・手裏剣以外
・剣術を応用した体術、補手術・組術討、棒術、槍術、短剣術ほか、そして、変化技、保寿剣、風勢剣、剣道、日本剣道形・大日本帝国剣道形、銃剣道、二刀破りの術、小田応変流、天気予報、算盤、地震予知、占い、伝書講義、御経、おまじない、そしてタイ捨流の哲学ほか
問:そうでしたか。
参考までに記しますが、私の知る限り、タイ捨流をきちんと初伝から最後まで学んだのは、本田先生と私だけです。それと武道家ではありませんが研究者の渋谷敦先生だけですね。そのほかは、すぐに稽古に来なくなった方、そして、遠方から年に1~2回稽古に来る人や短期間学ばれた方が若干名いた程度です。また、ご家族も一切稽古されていませんでしたし‥、こんな感じで、そもそも当時は稽古生自体がいなかったんですね。このため、真伝が正しく伝わっている道場は限られています。とても残念に思います。
【参考】
秘剣「タイ捨流秘録」
https://sites.google.com/site/gentokukai/tai-she-liu-jian-fa/tai-she-liu-mi-lu
問:様々な武道を学ばれたのですね。
縁があったのでしょう。‥実は、そのほか古い流派の空手も二流派を学んでいます。どちらの先生も人間性が高く立派な方で、とても勉強になり面白かったのですが、残念なことに仕事の都合で通うことができなくなりました‥。中途半端でお恥ずかしい限り。これには、たいへん申し訳なくとても辛い思いをしました。今でも残念に思っています。
また、20代の頃は、懇意にさせていただいていた空手師範の道場に組手だけさせてもらいに通っていたこともあります。今思えば失礼な話ですよね(笑) しかし、これらは全て30代までのことです。この時代は、仕事、武道、あと趣味の読書とサーフィン、それ以外は何もしていない気がします。
問:様々な武道を学ばれた感想は。
経験値と引き出しは増えたかな‥と思いますが、私個人としては、一番やりたい武道を一つ極めることがよいと思います。仕事、家庭、その他の社会生活をきちんと行えばそのほかに割ける時間はあまりないはずです。武道ばかりに時間を割きすぎると社会生活に影響をきたします。武道だけは立派でも武道哲学を社会生活に活かせない方は、一人の社会人として失格だと思います。
なお、武道を選択する場合は、武器術だけ、徒手の体術だけ、‥では物足りなくなりそうな人は、いくつも掛け持ちすると時間的にも金銭的にもたいへんです。その場合は、他の武道を必要としない体術も武器術も揃った総合武道的なものを選択すると間違いがないと思います。その点、合気道は、他のものを必要としない素晴らしい武道だと思います。一番!オススメです。
また、身体は一つ、様々な武道が要求する身体動作をそれぞれバラバラに行うには無理が生じますし、どれも中途半端になりがちです。私は、一つの武道に精進し、他の武道については研究する分にはよいとは思いますが、並行してやるとやっぱりどちらも中途半端、その時間を自流を掘り下げるための時間に費やすことが望ましい‥、現在はそう考えています。
問:武道を並行して学ぶのは難しいですか。
結論から言えば、「その人しだい」です。時間のある方や武道の専門家であれば不可能ではないかもしれません。時間とお金さえ確保できれば可能でしょう。そして、目標の高さにもよると思います。例えば、将棋と囲碁がどちらも同時に名人位という話を聞いたことがありません。もちろんどちらもできると言う人はたくさんいらっしゃいますが、どちらも名人位という人はいないのではないでしょうか。名人位を目指すのであればそんな時間はないでしょう。
学ぶことが好きな場合は、それはそれでよいと思います。よい経験にもなりますし、引き出しも増えます。しかし、一生は意外に短いです。結局、全ての人は時間が限られている。そう考えると他武道の研究はもちろん必要ですが、並行して学ぶ場合は、どちらも頑張り具合によっては中~上級者程度にはなれるのかもしれませんが、名人、一流と呼ばれる人物になれるものかどうか‥。
問:なるほど。
ただ、ある程度ものになってからの話‥、まぁ三段ぐらいになれば、他流を研究してみることも良いのではないかと思います。将来専門家を目指している若い方であれば、自分の時間が多くとれるうちに様々な武道を学ぶことは有益な場合もあります。その場合は、必ず主軸となる武道を中心に他武道を学び、ある程度の年齢になったらその専門の武道に特化していくべきだと思います。
しかし、初心者のうちの兼修は止めたほうが無難です。武道や流派により姿勢・構え等々の基本が全く異なる場合が多いことから、結局のところ迷うだけでどの武道も身に付きません。そして、相手方に迷惑をかける場合もありますし‥。
問:そうですよね。
参考になるかどうか分かりませんが、随分前のこと、有名な中国拳法家の組手を拝見したことがあります。しかし、その動きはどうみても伝統派の空手‥。不思議に思って聞いてみると元々は空手が専門で現在も並行して教えているとのこと‥。正直なところ、私には中国拳法も空手のどちらも中途半端な印象を受けました。結局、一つの身体で2種の動きはできないと思いますし、やる必要性もないと思いますよ。その時間を自流を深めるために用いるのが最善の道だと考えます。
その時に中国拳法の王樹金先生の「お茶はお茶で美味しい、水は水で美味しい」という言葉を思い出しました。紅茶は美味しいし、コーヒーも美味しい。しかし、混ぜてしまうと美味しくもないし、何だかよくわからなくなる‥と思います。
問:はいはい。
ただ、コーヒーに牛乳を混ぜて「カフェオレ」のようになる相性のよい武術もあるにはあります。例えば、合気道家であれば癖の少ない流派を選んで剣を学ぶことはよいと思います。合気道の術理の理解に深みを与えますね。また、当会にも剣道七段の先生がいらっしゃいますが、合気道の稽古が剣道の稽古にもよい影響を与えているとおっしゃられています。相性の良い事例だと思います。このような場合は、逆にお薦めします。
さらに言えば、例えば書とか絵画とか、俳句や短歌、音楽、ダンス、舞踊など、ジャンルが異なったものを趣味にすると、自身の武道によい影響を与える可能性はありますね。いろんな意味で深みが出ると思います。
問:そのほか感想は。
そうですね。いろいろと興味まかせて様々な武道に接してみて、結局のところ、自分に一番合っている武道は合気道なんだと心の底から理解することができました。これがよかった。あれもやりたい、これも学びたい‥というような迷いが無くなりました。決して他の武道が悪いわけではありません。それぞれに良いところがありますね。なお、今でも他武道の研究は続けています。これは私のライフワークであり、また、指導者として必要なことだと思います。
問:その後、高橋師範と出会われたそうですね。
はい。詳しい経緯は随分前にブログに書きましたので、その稿に譲るとしますが、私はその頃、幕末の英雄山岡鉄舟先生に憧れており、その師匠で幕末三舟の一人山岡泥舟氏の兄である山岡静山先生のような方に師事したいとなんとなく考えていました。このため、良師を求めて全国の様々な道場を訪ね歩くことになりました。こんな平成の時代にとても個性的で面白い人物にお会いすることができました。見分を広めるのにとてもよい経験だったと思います。
問:その後は。
「三年かけて良師を探せ」、「弟子に準備ができた時、師は必ず現れる‥」は、言い尽くされた言葉ですが、逆説的に言うと、見つからない場合は道が間違っているのかもしれませんね。このような思いを抱えながら、他の有名な先生方にも多数お会いしました。その中には、もちろん立派で魅力的な先生もいらっしゃいましたが‥、心から納得できる師匠には巡りあえませんでした‥。
そんなとき、Mさんから突然電話をいただき、「高橋暁先生という方が宮崎市の生目台で合気道を教えているよ。合気会だし、師範系列もしっかりしているし、人間性の素晴らしい先生なので見学させてもらったらどうかな?」とのお話をいただきました。実は、既にこの話を聞いた日の翌日に県内の別の道場に見学のアポをとっていました‥。迷った末に行く予定であった別の道場見学の予約を勝手ながらキャンセルさせてもらい、生目台道場へ電話してみました。
問:はい。
すると、「とても温和で親切。そして常識的で、しかも礼儀正しい先生」に対応していただけました。意外に思われる方もいらっしゃると思いますが、礼を大事にすると言われる武道界でも、常識的な対応ができない方が意外に多いものです。とても残念なことですが‥。
問:私もそう感じたことがあります。
しかし、高橋先生は、実際にお会いしても全く対応は変わらず、しかも偉ぶることも一切なく、さらには、先ほど話した山岡鉄舟先生の師匠の山岡静山先生‥、小説で読んだその山岡静山先生のイメージにぴったりでドキッとしたのを思い出します。その場で即入門しました。あぁ、青い鳥‥、こんなに身近にいらっしゃいましたか‥という感じでした(笑) 相当無駄なお金を使ってしまいましたね。
問:そうですか。
縁とはこんなもののようです。Mさんと会話することがなければ、他の道場に入門していたかもしれませんし、驚いたのが、私が以前教えを受けた神道夢想流杖心会(東京)の松井健二先生に高橋先生も学ばれた経験をお持ちでした。‥不思議ですね。結局のところ、良いとか悪いとかいう問題ではなく、縁と相性に尽きるように思います。
問:アドバイスをお願いします。
求めるものを明確にしておくことも大事だと思います。武道家というものは、それぞれに良い癖・悪い癖があり、しかもバツグンに個性的な方(笑)が多いです。このため、学びたいことを明確にして指導者を選ぶことが必要だと思います。
そして大事なのが、「一人の社会人として優れているか」を重要な選択肢として考慮したほうがよいと思います。結局のところ、長期間学ぶことを考えると人格者を選ばざるを得ません。いくら腕が良くて有名でも、視野の狭い方や社会的常識のない方とは、長期間お付き合いすることはできないものです。結局のところ、「一人の人間として立派であるか?」が最重要事項ではないかと思っています。
問:その頃の生目台道場はどんな感じだったのでしょうか。
現在、会員数は宮崎合気道会グループ全体で150名ほどいますが、その頃の合気道生目台道場は会員数も少なく、私の見学時には稽古者が一人しかいませんでした。12月ということもあり、いつも以上に少なかったようです。なお、女性クラスと子供クラスの指導員である大塚さん、一般クラス指導員の鬼塚さんは既に入門されていました。道場は、当時からとても明るく活気がありましたよ。皆さん若かったですし‥。久しぶりの合気道は楽しかったですね。ようやく居場所が見つかった気がしました。
問:その頃の高橋師範は。
その頃の高橋師範の稽古は激しかったですね。師範はとても地力が強いので、関節技はうまく逃げないと‥、特に四方投げは飛び受け身で逃げないと危険でした。私が今も飛び受け身ができるのは高橋師範のお陰です(笑) そして当時から、合気道家特有の重心が定まった重い身体をお持ちでしたので、稽古終了後はヘトヘトになりました。でも私も若かったからか、逆にその激しさが嬉しくて、稽古のある日は、生目台道場までの30キロの道のりを毎日通いました。合宿もハードできつかったですね。少しきつすぎたことから参加者が激減したため(笑)、仕方なく少し緩くしたのが今の合宿の体系です(笑)
その頃は、高橋師範がガッチリ握り、その状況下で技を施すという固い稽古が主体でした。本気で握られたものを、どうしたら無力化できるか‥、そのことばかり研究していました。こういった稽古は実力が養成されますから、若い方は、ぜひ、このような固い稽古を中心に行ってほしいと思います。そのほうが将来必ず得すると思いますよ。
問:具体的には何を学ばれましたか。
合気道の体術はもちろんですが、合気剣法、合気杖術、そして呼吸法を学びました。体術は、郷に入っては郷に従えで、一から学びなおしました。とりあえず8級の基本技から少しずつやり直しました。これは今考えても素晴らしい復習の期間でした。とても勉強になりました。蠅が止まるくらいのスピードでの稽古、そしてたまにフルスピードでの稽古、これを繰り返しました。
剣と杖も一からやりました。楽しかったですね。あっそうそう、その頃、高橋師範は飛んでいる蠅をよく木刀で斬ってました。
問:蠅を‥ですか、そのほかは。
入門直後のこと、高橋師範からは「自分の合気道を見つけてください」と言われたことを思い出します。さらには、「皆さん、それぞれ様々な考えをお持ちです。本質的なことが身についていればよいと思います」、「身長、体重、考え方、年齢等々‥、それぞれ皆さん違うので、全員が同じやり方で全ての人に対して技がかかるものではありません‥。身長・体重などに関係のない本質的なことを伝えたあとは、それぞれが工夫して、それぞれの合気道を培っていくことが大事です」とも話されていました。実際に細かな点を注意された記憶はありません。ポイント的に本質的なことをご指導いただく感じでした。こんなことから、合気道を自由に研究することができました。とてもよい環境でありがたかったですね。
それから高橋師範は昔からお洒落です。「リーダーというものは、お洒落であるほうがよい!」と無言で教えてくれている気がします、‥がしかし、私の場合、こればかりはなかなかセンスがついていきません‥。今後の課題です。
問:そのほか影響を受けた方はいらっしゃいますか。
合気道小林道場総師範である小林保雄師範、合気道研心会の畑山憲吾師範、そして、合気道小林道場長の小林弘明師範から薫陶を受けました。皆さん、腕一本で世界を廻り合気道を広めてきた方です。その生き様、かっこいいですよね。しかも、偉ぶることは一切なく逆にその気遣いに驚かされます。それと大事なことは、世界的な視野で物事を判断すること、世界に通用する技術、そして世界における日本人としての役割を学べたことがありがたいですね。今後も可能な限り教えを受けたいと考えています。
問:当会の雰囲気は明るく楽しい感じがします。
昨年、当会出身の方に数年ぶりにお会いしました。現在は関東の道場に所属されているとのことでしたが、「とても窮屈だ‥」(笑)と話されていました。きっと私達はありがたい環境にあるのだと思います。このような風土や環境は、今後も大事にしていきたいですね。このため、スパルタ的な指導やダメ出し的(笑)な指導は当会では一切厳禁です。この環境を維持していくには、礼儀やマナーを順守する必要があり、そのためには、指導者やベテランと言われる方が特に気を付ける必要があります。
問:そうですね。
親しき中にも礼儀ありです。基本的に敬語で話す、掃除は率先してやるなど、当たり前のことをきちんと当たり前にやるようにしなければならないと思います。それが出来ない人は指導者の器ではないと思っています。礼とは、立場をわきまえ不快感を与えないこと、私自身、心してまいりたいと考えています。
これからも開祖がおっしゃられた「練習は常に愉快に実施するを要す」を基本としていきたいと考えています。合気道は一つの心身浄化法でもありますので、ストレス解消法としても有効であるべきだというのが私達の考えです。
問:指導者になられたきっかけは。
実は、私の場合人に教える気はまったくありませんでした。どちらかというとプレイヤーでいたい心情、そしてどちらかというと研究者タイプの人間なので、まだまだ学びたい意志が強く、人に教えようなんて考えたことはありませんでした。
しかし、ある外国の方が佐土原町で小さな合気道教室を開設していたのですが、何かの事情から突然辞められた(行方不明?)そうです。このような事情から、その教室の会員から高橋師範に指導者派遣の依頼があり、その後、私に白羽の矢が立ちましたので、仕方なく(笑)指導を引き受けることになりました。しかし、その頃は、政治家の秘書として全国を飛び回っていた時期で多忙だったため、子供クラスについてはお断りせざるを得ませんでした。申し訳なく思っています。37?、38歳ぐらいの頃です。
問:佐土原道場はいかがでしたか。
はじめは5名でした。U杉さんはその頃からの会員です。当会で初めて初段になったYさんもいました。そのほかは、中学生のNさん、Y先生、S木さんでした。その後、現在二段のS水さん、米国人のアケミさんやトリスタンさんが入会しました。当道場の実質的な副道場長のHさんは生目台道場所属ながらも、この教室にも通ってくれました。しかし、合気道教室といっても公民館の土間コン打ちの床に1.5㎝のマットをひいただけの道場で、しかもマットの数も少ないため、身長2mのトリスタンさんが受け身を取るとマットから身体が半分はみ出る始末‥。また網戸がないので、よくセミが入ってきては「ミーンミーン」とうるさい‥、帰り際に窓を閉めて帰ると可哀そうなのでセミを追い出す作業がたいへんでした。
問:佐土原教室はどれぐらい活動されたのですか。
結局、この教室は3年ほど続けました。2年目ぐらいの頃、誰が言ったか分かりませんが、この教室が環境的に危ないという理由から「地獄道場」と異名をとっていることを知りました(笑) しかも、みんな若かったので、この危険な環境の中でビシバシ投げまくる‥、真面目な私としては、「‥このままではいつか死人が出る気がする‥(笑)」と考え、佐土原町内の畳の環境がある場所を探してみましたが、様々な事情からうまくいきませんでした。
また、私のような者を先生と呼んでくれている会員の皆さんの事を考えると、まずは危なくない場所の確保が最優先、次に時間に制限がなく気を遣わなくてすむ場所、さらには自然に囲まれて空気がきれいな環境、「そんな場所で思いっきり稽古できれば‥」といった気分が徐々に大きくなり始めて、道場建設の構想が脳裏に浮かぶようになりました。
問:それから。
とりあえず土地探しから始めました。なにせ資金がありませんので、まずは払い下げの土地などを当たりましたが適当な場所は見つかりませんでした。その後、知り合いからいろんな土地を紹介していただきました。最終的に候補地に挙がったのは6箇所でしたが全てダメ‥。売れ残っている土地というのは、様々な事情があるようで、結局、最後の最後に上手くいきませんでした。ここでいったん土地探しはあきらめました。
問:そうでしたか。
現在の道場の場所は、実家から直線距離で60m。しかも神社に隣接しており環境的に最高。また、公民館も隣接しているのでイベント時には駐車場が借りられるなど、道場建設には最適の場所でした。しかし、農地であり、文化財保護地区であり、また入口や道路もない‥、面積も380坪(山林部分を含む)と広すぎる。仮にここに建設する場合は、入口に道路が必要‥、水道・下水道の負担金もその分割高‥。立地は最高でしたが、乗り越えなければならない難問、そして、資金難から初めからあきらめていた土地でした。それに、そもそも所有者の方は裕福な方なので売る気がないらしい、という噂もありました。
先述したとおり、6箇所ほど候補地を当たりましたが全て不可となり、いったんあきらめましたが、数か月後になんとなく現在の道場の場所を訪れ、この土地を眺めながら、「やっぱりこの場所が一番なんだけどなー」なんて考えていた時に草刈り機を抱えた方が来られて声をかけられました。
「何か用ですか‥?」
私:「すみません。勝手にお邪魔して‥、しかし、ここは良い土地ですね」
「(この土地を)売ろうか? 買うね?(多分、冗談で‥)」
私:「えっ、あっ、はい!‥」
‥こんな感じで、ようやく転がり始めました。後で知ったのですが、この方は、父の知り合いで仕事は高校の先生、休みのたびに草刈りをするのがたいへんだったようで、いつか手放すことを考えていたそうです。住宅の分譲地などの話は何回かあったそうですが、親から引き継いだ土地であることから、できるだけ意義のある売買にしたいという意向もあり、手放すことをしなかったそうです。しかし、私の合気道の道場を建設したいという意向が「道場建設」 → 「青少年育成」 → 『とても意義のある売買!』という図式に見事に合致したことから譲っていただくことになりました。
問:これも縁ですね。
はい、ようやく機が熟したのだと思います。ここで、「3食を2食にしてでもやる」との覚悟ができ、その後はトントン拍子で、乗り越えなければならない障害も難なく乗り越えることができました。なお、建設会社はHさんから紹介していただきました。建設時の事は、下記のブログに掲載していますので、よかったらご覧ください。
完成したのは平成22年の秋で、稽古を開始したのは11月1日です。それから早いもので5年が経過しました。始めの頃は会員数も少なくどうなることかと思いました。‥がしかし、とにかく一回一回の稽古に最善を尽くすことしかできませんので、できるだけ実りのある稽古になるよう努めました。またその間、自分への投資として、武道の勉強だけは金銭を惜しまずに行ってきたつもりです。その後、ありがたいことに3年目ぐらいから口コミで少しずつ入会者が増え始めました。合気道は一人ではできません。本当に会員の皆さんに支えられて現在があるのだと感じています。これからも、片田舎の道場ではありますが、これまでどおり技術的には世界基準の道場を目標に活動してまいります。
問:最後に一言お願いします。
最後になりますが、私の人生は合気道に支えられてきた人生です。博愛精神を持つ武道である合気道は、世界に誇る日本の文化の一つであり、私は合気道を普及させることは社会の進化向上に寄与すること、そして世界平和に貢献することと同じだと考えています。このため、これからも一人でも多くの人に合気道を伝えるために活動してまいりますので、どうぞお力添えをよろしくお願いいたします。
(広報部)ありがとうございました。
「道場長インタビュー2」につづく