西野かなた(にしの・かなた)
「情熱大陸」というテレビ番組に詩人が出ていた。怖い人だと感じた。二つの場面が印象に残る。一つは、番組のディレクターが詩人に、番組のために詩を作ってほしいと頼む場面。恐る恐る尋ねる番組制作者に対して、あっさりと「はい、いいですよ」と即答する詩人。その即答の切れ味の鋭さ。もう一つは、詩集を出した出版社のイベントの打ち上げのパーティーの場面。詩人は打ち上げではいつも喋らずひたすら食べる。そのパーティーでも寿司を無言で食べていた。隣りに座る関係者の緊張感が痛ましい。谷川俊太郎、怖い人だと思った。
『詩に就いて』という題名通り、詩についての詩と思われる詩が集まった詩集です。詩は隠れている。
詩が言葉に紛れてしまった
言葉の群衆をかき分けて詩を探す
明示の点滅が目に痛い
含意がむんむん臭う
母語の調べに耳が惑う
詩はどこへ向かおうとしたのだろう
疲れて沈黙に戻ろうとするが
沈黙は騒がしい無意識に汚染されている
「待つ」
あるいは詩は在る。物質的に。言葉との緊張した関係の中で。
活字に閉じこめられた詩よ
おまえはただいるだけでいいのだ
何の役にも立たずにそこにいるだけでいい
いつか誰かが見つけてくれるまで
「詩よ」
詩は常に無言で存在している
それに言葉を与えるのが人間
「朝陽」
詩は言葉になり言葉は詩になるが、言葉にならない詩があり詩にならない言葉がある。
言葉はペニスのように
硬くなり尖り
言葉は涎のように口元に垂れ
言葉はもう眠る私を置き去りにして
詩になろうと踠きながら
愚かな人波に揉まれている
「私を置き去りにする言葉」
詩と言葉の関係。言葉と私の関係。私と詩の関係。その三角形をどこまでも追いかけていく。関係は冷やりとした手触りになるまで軽くなり、ますます目に見えなくなる。
言葉を脱いでもあなたはいる
そんなあなたを呼ぶのは詩
渚で蛤が息をしている
脱ぎ捨てられた言葉をかき集めて
詩が思いがけないあなたになる
「脱ぐ」
そして詩はやはり死とも関わりあう。
どんな言葉も彼の死と無関係ではないが
どんな言葉も彼の死に関われない
そして詩は
言葉の胞衣に包まれて
生と死を分かつ川の子宮に
ひっそりと浮かんでいる
「詩人がひとり」
「あとがき」で詩人はいう。「詩を書き始めた十代の終わりから、私は詩という言語活動を十全に信じていなかった。そのせいで詩を対象にして詩を書くことも少なくなかった。本来は散文で論じるべきことを詩で書くのは、詩が散文では論じきれない部分をもつことに、うすうす気づいていたからだろう」(91頁)。
淡々とも平明ともいえそうな言葉が並べられた詩に潜む切迫した感じは、にもかかわらずなのかそれゆえにこそなのか、その活字の表現においてユーモラスなおかしみを湧き出させている。黙々と寿司を食べ続けているおじさんのおかしみと怖さ。詩人が怖いのではない。詩の在る場所に近づくことが怖いのだ。だが死をやさしく迎える場所も詩である。生まれて還る場所へ。