栄屋タイチ(さかえや・たいち)
『沖縄闘争の時代1960/70』は熱い、良い本だった。本書のオビの宣伝文句によれば、「沖縄問題を、あの島の問題ではなく、私たちが生きるいまこの場所の問題へと転換する、新鋭による歴史社会学の熱き労作」とのこと。
まず本文の内容を紹介する。序章では、1960-1970年代の「沖縄闘争」を検証する枠組みと方法論が提示される。第一の問い、「沖縄闘争において、いかなる人々・アクターが、なぜ、どのように、沖縄問題に取り組んだのか」。第二の問い、「沖縄闘争において、人々は沖縄の日本復帰をどのように受け止めたのか」。方法論は、揺れや葛藤を丁寧に読み解き、運動と思想の創造過程を内在的に記述し考察するというもの。
第1章「沖縄闘争の時代」では、沖縄闘争の前史として、➀「戦後」に折り畳まれた分断と暴力と忘却、➁1950年代革新ナショナリズムと60年安保闘争における連帯と分断、➂復帰運動からの量的・質的転換と沖縄闘争の出現が描かれる。
「戦後」には地政学的分断がある。冷戦体制下では戦争が平時に組み込まれ、戦時を強いられる度合いは地政学的位置に応じて異なる。だが、ナショナルな枠組みは植民地主義を構造的に忘却させる。冷戦体制に組み込まれた本土と沖縄の地政学的分断からくる経験と認識のズレ。だがズレによる分断を乗り越えようとする動きはつねに生まれる。著者は、そうした試みとしての沖縄闘争に目を向ける。
第2章「ベトナム戦争下の沖縄闘争」は、ベ平連による「沖縄問題」への取り組みを検討する。ベ平連は「わが内なるベトナム」認識を経て、1968年頃から沖縄問題への直接行動に取り組む。嘉手納基地ゲート前での足並みの乱れた共同行動のなかで逮捕者を出し、帰路、取り組まれた渡航制限撤廃闘争。船上と陸上での抗議集会、入域手続き拒否、身分証焼却、強行下船。渡航制限撤廃闘争へ呼応する人々。「沖縄、鹿児島、東京で、さらには洋上を進む船のなかで、個人の自主的な取り組みが共鳴し即興的につながり、日米両政府の管理が不可能な自律的空間と関係をつくりだしていた」(91頁)。
終わりなき自問自答へと横滑りする「本土/沖縄の二分法の構造」が前面化する一方で、「当事者になる回路」を豊かに作ろうとする試みも生まれる。「参加者それぞれの向き合っている現実の違いや固有性を消し去ることなく、本土/沖縄の二分法や当事者/支援者の二分法の構造をつきぬけていくような豊かな実践があふれている」(99頁)。著者はそこに、「当事者を生きることの困難と可能性」を見る。
第3章「大阪のなかの沖縄問題の発見」では、デイゴの会(大阪沖縄連帯の会)を事例として、沖縄闘争と在阪沖縄出身者の関わりが論じられる。高度経済成長期、泉州繊維産業界は働きながら高校を卒業できる「隔週定時制」をウリに沖縄から労働力を集めたが、実態は酷かった。当初、大阪で返還運動を盛り上げ沖縄の人々を支援することを目指していたデイゴの会は、沖縄出身者の「激励」と「交流」を目的とする「七夕フェスティバル」をきっかけとして、沖縄問題への取り組みは政治運動だけでは不十分で、在阪沖縄出身者の労働と生活の問題を「大阪のなかの沖縄問題」として取り組むべき実践的課題として発見する。そして泉州労連、勤青協と協力して身分証返却、教育環境改善に取り組む。
著者は、デイゴの会の取り組みを〈大文字の沖縄闘争〉から〈小文字の沖縄闘争〉への分岐としてとらえる。沖縄出身者一人一人の個別具体的な課題への取り組みは、「構造そのものを変えられなければ徒労に終わるのではないか」(140頁)という懸念を生みつつも、より大きな「イデオロギーの問題」にまで発展させなければならないとして大きな政治と小さな政治の相互連環の認識に至る。その結果として、大阪という地域社会の変革が課題となる。デイゴの会は、個人の問題とされてきた沖縄出身者の本土への適応の問題を「社会化」した。そして、社会化のためには、「七夕フェスティバル」をはじめとして、交流し問題を共有する場が必要だった。「デイゴの会における『交流』とは、単なる遊び(=『そんなこと』)ではなく、個人化された問題を共有し、社会化する場であった。そして、『そんなこと』から始まる地域社会の変革が可能なのだ、という喜びと困難が経験されている」(143頁)。まさしくジンメルが述べたように、「社交」は社会化の純粋形式なのだ。社会的な(social)運動としての社会運動。
第4章「復帰運動の破綻と文化的実践による沖縄闘争の持続」は、島唄に関する竹中労の文化的実践について考察する。1969年に初めて沖縄を訪問した竹中労は、復帰運動から距離を取り、政治的周縁に位置する人々を対象として「復帰の軋轢」を複数形として描いた。その後、琉球独立論から手を引き島唄論へとシフト。
民衆の「変幻自在なる主体性」による「したたかな抵抗」としての島唄は、沖縄の過去と復帰前後の現在を接続する。観光化するまなざしを批判する竹中の島唄論は、「今なお続く国家への同化プロセス」に対してつねに既に「復帰に抗する身体」が存在し続ける動態的なプロセスとして、「復帰」を未完にする。
「竹中の島唄をめぐる活動、それに巻き込まれた人々の実践、そして、唄を介して一瞬であれ、つながり、変容を生きた人々は、復帰の『失敗』を生き、自ら『失敗』をつくりだしていたといえるだろう。これは復帰運動の破綻を乗り越えつつ、沖縄闘争を形を変えて持続させる営みである」(180頁)。こうして、「失敗」を生きることが積極的に意味づけられる。「こんなはずではなかった」という違和感と軋みが文化的実践のなかで再び政治の起点に据え直され「『正しさ』によらない政治性」(184頁)が唄の情念から生まれる。
第5章「横断する軍事的暴力、越境する運動」は、沖縄闘争における米軍解体の試みとして、基地フェンスの内外を超えた反戦運動をあつかう。グローバルな反戦運動と米兵の反戦・反軍・反人種差別運動が広がるなか結成された沖縄ヤングベ平連は、米軍基地内部の差別/被差別、抑圧/非抑圧の複雑な関係を理解した上で、基地の内と外の「結合」による軍隊からの解放を目指した。
沖縄ヤングベ平連は黒人兵、反戦活動家とコンタクトしネットワークを築く。コザを中心にミーティングと集会を開き、抑圧の実態を共有する。ビラ撒き、横断幕を通じて路上にコミュニケーション空間を開く。フェンスの内外が呼応し「怒りの共鳴」が増殖する。「交流のなかで確認されたのは、軍事的な暴力がフェンスや国境、民族、人種、国籍などの境界線を横断して作用しつづけていることである。にもかかわらず、人々は境界線によって分断され、経験は個別化され、コミュニケーションさえ取らない/取れない日常を生きている」(222頁)。運動のなかでの境界線を超えた出会いは、分断によって維持された基地・軍隊の暴力を一時的に機能不全に陥らせる。一方で性暴力、性差別をめぐるコンフリクトも生じる。意識と行為のズレは「怒りの共鳴」を揺さぶり、戸惑わせる。分断を再生産させる力は隙あらば作動する。
著者は、復帰運動の「破綻」に際して運動の立て直しが模索されていた時期に、軍隊の解体を試みたことの意義を強調する。「日米両政府に要求し、基地の撤去を勝ち取ることが絶望的なほどに困難になるなか、人々は基地・軍隊の『解体』を求め、今・ここで実践してみせるという、別の政治を創造していったといえるだろう。軍隊の解体とは、基地・軍隊を支える社会関係としての空間、身体、感性、人と人との関係性、そして言葉を揺るがし変えていく多様な実践であった」(226頁)。ヴァイブレーション。
第6章「沖縄闘争と国家の相克」では、本土在住の沖縄出身者による沖縄青年委員会とそこから派生した沖縄青年同盟の思想と行動を検討する。復帰運動とは異なる「別な沖縄の主体のあり方」をめざした沖青委だが、闘争論をめぐって中核派とノンセクトが対立。沖縄奪還を主張する中核派に対して、復帰を前提とせず日本とは何か、国家とは何かを問いなおす海邦派。東京タワー事件の富村順一公判闘争をめぐって対立は決定的となり海邦派は沖青同と改称。1971年、国会で爆竹事件を起こす。沖縄返還を植民地化と位置づけ、議会制民主主義のもとで日本が沖縄の命運を決定することを拒否。「それは、〈国家に沖縄の将来を委ね要求する政治〉からの離脱である」(261頁)。
沖青同は、沖縄返還を近代史のなかで植民地主義として位置づけ、植民地主義への抵抗として法廷でウチナーグチを使用。沖縄闘争を国内植民地解放闘争とし、さらにアジア・アフリカ・ラテンアメリカの第三世界解放闘争=革命に共鳴する。植民地主義からの解放=国家からの離脱をめざす実践として沖縄闘争を再構築するが、そこに切り開かれる豊かな実践の連動は、いつも国家の秩序のなかで構造的忘却にさらされる。
終章ではあらためて沖縄闘争の特徴が整理されている。沖縄闘争の出会いと交流のなかで人々が当事者性を獲得し、国家が強いる分断線を横断して新たな共同性をつくろうとする営み。ミクロな実践のなかで把握されるマクロな構造。社会運動のもたらす経験の豊かさ。ひるがえって、沖縄問題を地政学的に限定・分断する現在。だがいまも「復帰は終わらない」(290頁)。私たちは沖縄闘争に呼びかけられている。
日米両政府による沖縄返還政策を批判する沖縄闘争は様々な主体によって担われていた。本書はその多様な実践を鮮やかに描き出す。以下、①方法論、②分断の拒否、③出来事の豊かさ、④社会運動の評価の4点について論じたい。
第一に、本書の方法論は社会運動の内在的で丁寧な記述である。著者によれば、「本書では、沖縄闘争における、復帰に対する人々の揺れや葛藤を丁寧に読み解きながら、切り縮められた復帰の『のりこえ』を志向する運動と思想の創造過程を内在的に考察していく」(15頁)。また、社会運動論の文脈に関連して、「本書が目指しているのは、沖縄闘争の時代を生きた人々が、沖縄の日本復帰を目前にして、何を問題と考え、どのような運動を展開し、そこにいかなる葛藤や揺れを抱え、対立や連帯などの複雑な関係を織りなしていったのかを丁寧に分析することである。復帰への葛藤や揺れにこそ、沖縄闘争の時代のリアリティがあった」(22頁)と述べられている。
過去の社会運動を丁寧に、内在的に記述すること。「内在的理解」という表現は、1980年代前後から新宗教研究で用いられ、信者の意味世界を内面に立ち入って理解する方法論として、マルクス主義であれ構造機能主義であれ何らかの理論的枠組を外在的に当てはめて理解する立場を批判するものだった。もちろん信者/非信者の意味世界は同一ではなく、素朴に立場を重ねあわせて了解することは容易ではないが、資料の丁寧な読み込みと共感によって信者/非信者の切断を乗り越える理解が試みられた。
本書では、「葛藤や揺れ」に着目し、立場・役割に当てはめて図式化するのではなく、「丁寧」に記述・考察することで内在的理解が試みられている。丁寧な記述によって見えてくるものは何か。それは、思考が陥る分断線を解体するための手がかりである。
宗教研究における内在/外在の線引きが〈信者/非信者〉の間に設定されたのに対して、本書では〈過去(の沖縄闘争)/現在〉の間に線が引かれる。この点は、〈本土/沖縄の二分法の構造〉に関わる。グローバルな間国家システムとしての冷戦体制のなかで国家によって設定された本土/沖縄という分断線が認識と思考に及ぼす力は激しく、社会運動の思考も引っ張られてしまう。本土と沖縄の間に線を引いた上での内在的理解は(おそらく)方法論として破綻し、本書が批判する終わりなき自問自答へと横滑りするだろう。内在的理解という本書の方法は、地政学的分断の拒否でもある。
そこで第二の分断の拒否について。人為的で政治的に抑圧として機能する分断を拒否することは本書を貫く問題関心である。とりわけ、沖縄闘争を沖縄という地域に囲い込み切断する力学はあらゆる方面から作動するし、社会運動の思考にも浸透しがちである。本土/沖縄という二分法は、地理的に自然な分け方にうっかり見えてしまうだけに厄介だ。
著者は、修学旅行ではじめて沖縄を訪問した14歳頃に基地、沖縄戦、米兵による性犯罪に衝撃を受け、「目が離せなくなった」(293頁)という。本土から沖縄に関わる者として、ベ平連に投げかけられた「強迫めいた指摘」には、おそらく著者も直面しただろう。
私たちは、著者が京都で現在の沖縄闘争に取り組んでいることを知っている。本書の増補版がもし書かれるとしたら、増補されるべき第7章は「現在進行形の沖縄闘争――京都の現場から――」ではないか。現在の著者自身の運動を記述することによってこそ、「沖縄問題をめぐる社会運動の経験や実践、問いを整理し、現在の状況へとつなぐこと」(294)はよりよく達成できるだろう。
かくのごとく著者も「当事者になる回路」を豊かに開いてきた。「戦後」の地政学的分断のもと、日本国民は誰もが「当事者」でありながら、「当事者性」には濃淡がある。否応なく「当事者性」を強いられ逃れられない人がいる一方で、「当事者性」をもたずに平穏に日々を過ごす特権を享受できる人もいる。「当事者性」を獲得した人たちのなかにも濃淡はあって、〈闘争〉へのコミットメントの度合いは様々だ。単純に「当事者性」をもてばよい、という話でもない。著者が「参加者それぞれの向き合っている現実の違いや固有性を消し去ることなく」(99頁)というように、「当事者性」の括りのもとで差異を抹消すべきではない。
本書は、本土/沖縄、政治/文化、労働/生活、交流/闘争、軍隊/市民、その他さまざまな切断・分断を越えて人間が豊かに生きること、他者と共に在ること、抵抗が歓びにあふれる地点をめざして思考することを試みている。わかりやすい分断を拒否することは、不穏な思考を誘う。わかりやすさを拒否するとわかりにくいと言われる。自然化されたカテゴリーに乗っかることは、思考のエコノミーであり、シンプルな分、力強い理屈として正当化しやすい。しかし、そうした分断が積み重ねられてきた結果が、現在の社会の悲惨ではないのか。力強く明快に切り離す思考は魅惑的だ。社会運動のなかでも正しさを争う理論闘争でカテゴリカルな切断は切れ味鋭く論戦をリードする。だがそれでよいのか。
既存の分断を組み換えるために、新たな切断の線を引き、あるいは結合し直す。ある個人やある集団によって担われた、ある運動を、一つのカテゴリーに閉じ込めて理解することを拒否し、様々な問題や限界があったとしても、その運動が潜在的に担っていたかもしれない可能性を、現在の私たちの力として救い出す。その営みは歴史を読むことであるとともに、現在を闘うことにも直結している。反省を拒否するのではない。反省を徹底した結果としての可能性の探求である。
第三に、本書の魅力は丁寧な資料の解読から甦らされる出来事の豊かさにある。社会運動論として印象的だったのは、沖縄闘争の複数の事例のなかで交流と出会いの場が重要な役割を果たしたことだった。渡航制限撤廃闘争における船内での呼びかけ、デイゴの会の「七夕フェスティバル」、米兵とのミーティング、路上のコミュニケーション。
顔を合わせて話せばわかる、というものではないが、直接的なコミュニケーションの場をつくることはやはり社会運動にとって決定的に重要だ。間身体的な共感と共鳴のヴァイブレーション。運動において理屈は言うまでもなく重要だが、理屈だけでは足りない部分がある。「ヴァイブレーションがあれば、言葉はいらない」(229-230頁)。
何者かであることを強いる暴力。正当性について釈明を求められるプレッシャー。「人間をカテゴリーのなかへと拘束し、振り分けていき、役割を配分していく社会のなかの――特に社会運動において顕著な――暴力」(230頁)がある。それに抗する身体の共鳴を惹起するための、交流と出会いのコミュニケーションである。社会運動における「交流」と「出会い」は、人を集める(オルグする)ための戦術や戦略なのではない。「社会」を変革する運動の実践そのものと言ってよいのではないか。
そこで気になるのは、交流と出会いの場でどのようなコミュニケーションが生起していたのかということ。社交の場には、その場に特有の「ノリ」が生まれる。「ノリ」は共感と共鳴のヴァイブレーションを生起させる一方で、ノリきれない人を追いやってしまうこともある。現場での罵声やデモのシュプレヒコールは、慣れれば平気だけど、最初はやっぱり戸惑いを与えることもある。
余談だがデイゴの会の「七夕フェスティバル」への呼びかけ文、「沖縄を故郷とする若いあなたへ」という呼びかけや、アンケートの「アンケートのために、ちょっとお手を拝借!」という文言は、朗らかでよかった。時代の熱も感じられる。いまこれをそのまま真似しても同じ感覚は伝えられないだろうけれども、こういう感覚をいまの表現として作っていきたいと思う。
本書は、序章で二つの問い、「いかなる人々・アクターが、なぜ、どのように、沖縄問題に取り組んだのか」「人々は沖縄の日本復帰をどのように受け止めたのか」を提示しているものの、この二つの問いに応えることを本書がまっすぐに目指しているわけではなく、二つの問いをめぐって、じつは複数の問いが仕掛けられ、丁寧に記述される揺れや葛藤に読者も揺さぶられながら、全体としては抑制された文体でありながら著者の熱情が漏れ出している箇所にたびたび遭遇する。
うっかりしていると、つい流されて持っていかれてしまう認識や思考の流れがある。ものの見方や感じ方、考え方の癖のようなもの。それは自然な傾向ではなく、近代社会のなかで構築された主観性であり、とりわけ社会運動がかかわる領域では国家によって強く大きく限定されていて、社会運動の内部にも浸透してくる。著者の熱量は国家の大きな流れとの摩擦によって生じているかのようである。著者は「あとがき」でもこう述べている。「現在進行形の沖縄をめぐる様々な出来事と諸問題に向きあわざるをえなかった筆者の経験と、一九六〇年代後半から七〇年代前半の沖縄闘争の経験とが共振しあうなかで、本書は構想され、執筆されている」(294頁)。熱量がシンクロしているのだ。
最後に社会運動の評価について。本書によれば、「沖縄闘争は、基地を残したままの沖縄返還を止められなかった/変えられなかったという意味では、敗北している」(24頁)。この文章は帯にも掲載されている。ところで、社会運動の勝利/敗北は何を基準として評価できるのか。敗北した運動をどう評価するか、という問題の前に、何をもって「敗北」とするのかという問題がある。大きな政治(「大文字の政治」)としては「敗北」した運動のなかに見出だせる豊かな実践(「小文字の政治」がもたらすもの)に著者は注目するが、その豊かさとは何の豊かさなのか。大きな政治と小さな政治の関係が気になる。
社会運動が取り組む実践は、そのつど何らかの個別・具体的な目的を掲げるものの、個別・具体的な課題を達成すれば運動終了ということには必ずしもならない。様々な問題が数多くあるだけでなく、相互に連関しあってもいる。国家と資本がある限り、問題は際限なく出てくる。その意味で敗北は運命付けられている。個別の目的の解決はどこかで新たな課題の出現にもつながるのだとしたら、大きな政治としては社会運動は「敗北」が運命づけられているのかもしれない。それでも社会運動に取り組むのはなぜか。
自分が生きている間には、この問題は解決できないだろう、という予感をもちつつも社会運動にコミットせざるをえない。問題だらけの社会で生きていく以上、社会運動へのコミットメントはほとんど生き方の問題になってしまう。ただ、そのような生き方を、程度に差はあれ意志的に選択できる人と、状況に強いられる人がいて、ここにも「当事者性」の濃淡がある。
敵は勝ち続けるからといって敗北主義で済ませてよいわけでもなく、小さな政治のなかで得られたもの、変革されたことは、いかにして大きな政治にフィードバックできるのか。大きな政治には関与しないという立場もあるかもしれないが、国家の横暴に対処するにはどこかで関与せざるをえない。丁寧な記述を方法論とする著者は気が向かないかもしれないが、それでもやはり小さな政治と大きな政治の連関構造分析を期待したい。できれば図式的にわかりやすく。それは説明の正解を求めるためではなく、運動の見取り図して活用できるようなものとして必要とされる。
著者は第4章の註のなかで、「『正しさ』によらない政治性」と書いている。そうだ、正しさが要らないわけではないが、正しさだけでも足りない。正しい理屈は有用だが、正しい理屈によっては救われない領域があり、そこに宿る情念の政治性にも目を向けたい。思考の正しいカテゴリー化から導かれるシンプルで正しい結論。それはそれとして、社会運動の実践には正しさだけではない、もっといろいろな豊かさも含まれている。さあ、闘争、闘争。