渡邊太(わたなべ・ふとし)
いまや怠け者とほとんど同じ意味で使われるようになったニートという言葉であるが、ここでは70年代イタリアのアウトノミア運動において呈示された労働の拒否の系譜にニートを位置づけてみたい。
1970年代のイタリアは、学生や若年労働者の運動が高揚し、国家権力と経済権力との闘争が過熱し暴力的弾圧が吹き荒れた。若き労働者と非労働力たる学生たちは、「労働の拒否」をスローガンとして掲げた。つねに潜在的過剰人口としての失業者層を必要とし、労働条件を切り下げつつ労働力を使用して剰余価値を生産する資本の支配に対して、アウトノミア運動は労働者と失業者・非労働者の分断を拒否し、「我々みんな不安定だ」*と叫んだのだ。
* フランコ・ベラルディ(ビフォ)、櫻田和也訳『プレカリアートの詩』河出書房新社、2009年、p.31
資本の運動の下に生が全面的に包摂されている以上、ただ生きていることもまた剰余価値を生産する労働になるのであり、だからこそ、失業者、主婦、子ども、その他、はたらいていないとみなされてきた存在も同じく労働の拒否を訴える。労働の拒否とは、資本によって搾取されることの拒否を意味するが、それだけではなく、資本主義的に組織された社会的編成そのものの拒否を意味するのであり、資本主義的に構成された主観性ではなくべつの、より自由で特異な主観性への欲望の表現でもあった。
産業構造が転換し、資本主義がいっそう高度に発展し、科学技術もめまぐるしく発展を遂げているにもかかわらず人々の生活はいっこうに楽にならないのはなぜか。技術はけっして中立的ではなく、階級的傾向性を帯びている。技術の発展は資本の運動に方向づけられているのである。
もし、支配と搾取のためにのみ利用されている技術を解放のための道具に転換することができれば、より少なく働いて生活することは可能だ。資本の自己増殖運動のサイクルに巻き込まれているかぎり、この転換は不可能である。だとすれば、資本の運動から離脱し、自律的な社会的生を取り戻さなければならない。フランコ・ベラルディ(ビフォ)はつぎのようにいう。
労働の拒否とは、簡単にいえば「寝てたいがために働きに行きたくない」ということだ。そしてこの怠ける(楽をしたい)ということが、知性の、技術の、前進の源である。オートノミーとは、規律的規範からの独立性と相互作用とのなかで、社会的身体を自主管理することなのだ。**
** フランコ・ベラルディ(ビフォ)、櫻田和也訳『プレカリアートの詩』河出書房新社、2009年、p.121
資本主義に適応するかぎり、人間に対する人間の支配に荷担することになってしまう。もしわたしたちが抑圧と搾取を拒否し、ラディカルな平等主義をめざすならば、資本からの自律のために労働の拒否を実践する必要がある。それがオートノミー(自律)ということの意味である。
グローバル資本主義が加速するなかで、労働の不安定化(プレカリ化)が進展し、いま仕事があって働きながらも数ヶ月後の失業に備えて求職活動に追われる労働=失業者や、失業給付を受給しながらも生活のためにアルバイトしながら求職活動に励む失業=労働者たちは、いまや珍しくない。業務委託契約で働くフリーランスたちは、朝起きてから夜眠るまで、仕事と休息の区別なく四六時中働いている。情報・知識労働に従事する会社員たちも同様であり、いまや工場労働者たちも業務改善の工夫を勤務時間外に考えることが仕事の一部になっている。労働と非労働がなし崩しに融解するなかで、働くことと生きることの関係をあらためて問い直す必要がある。
働かないと生きていけないし、かといって働きすぎて過労死することもある。ただ働いて生きていくというだけのことが、並々ならぬ労力を要するという現実がある。働かずに生きていくことが可能になれば、逆説的に働いて生きていくことももっとふつうのことになるような気もする。
ニートを労働の拒否の系譜に位置づける。といっても、ニートと呼ばれるひとたちが主体的に労働の拒否を実践しているケースは稀であるだろう。働かない、働けないことを後ろめたさとしてかかえつつ、どうにか日々をやりすごしている。仕事を見つけなければ、と思う一方で、働くことはしんどいし、面倒くさいと思っている。そこにかすかに潜んでいるのが労働の拒否の思想である。しんどいし、面倒くさいと思うことを否定せず、楽をして生きていきたいという欲望こそを肯定したい。