江原智江(えばら・ちえ)
■芸術と「感覚的覚醒」
李は不穏性を「正常と異常を分かつ境界線を何の恐れもなく侵犯し横断するものたちとの出会いにおいて、いわゆる『まとも』で正常な人間たちが感じる戸惑いの感覚」であると定義する。また、不安を存在論的不安と不穏性の不安とに分類し、不穏性の不安は「わたしに親しみのある世界が沈没しながら、思いもよらぬ場所へわたしが引っ張りこまれるかもしれないという漠然とした恐れ」であり、「対象なき情緒ではなく、あった対象が消滅するところから始まる感情的反応だ」と本書の中で述べている。そのような「感覚的覚醒」は、容赦のないものであって、自分自身では選択の余地がなく、気づいたらもう不穏なるものたちが、わたしの領域を侵犯している。だから、そこで李が問うのはその出会いを肯定できるかどうかなのであって、出会う術を学んだり、何とどう出会うかということではない。
不穏性を消し去ることを試みるのではなく、積極的にそちらの側へわたしを追いやり、そのことによって「見知らぬものたちと楽に出会えるようになるのではなく、あらゆる慣れ親しんだものさえも繰り返し見知らぬものとして感じるように」なるという李のいう「感覚的覚醒」は、芸術が長らく目指してきたものでもある。例えば芸術家の李禹煥は荘子による「木や石を単に『木』や『石』にしかみなさないとき、木や石をほとんどみたことにはならない。」という一文をひきながら、「木」や「石」が「木」や「石」でなくなる瞬間との「出会い」について書き、信仰の場では玄関に塩を置く、木にしめ縄を締める、などの「仕草」が「出会い」の持続作業となるとした。そして、ステンレスなどの人工物と岩や土などの自然物を組み合わせることによって、ものでものを否定し、そのことによってものとの「出会い」を目指すような作品群、「もの派」と呼ばれる作家たちの動向が70年前後の日本で生まれた。それらの、展示室の床にただ石がおかれたり、土が掘られてただ横に移動されていたりという様子そのものは不穏で不可解であり、未だ作品群に対する議論は引き継がれている。李珍景は、不穏性が知覚されはじめると、その不穏さの感情が急激に上昇して肥大化するが、その後慣れるにしたがって強度が落ち、しまいには消えて行ってしまうことによって常に失敗することを図解しつつ、その消滅により精神分析的トラウマへと作り替えることを提案している。玄関におかれた塩やしめ縄を見ても普段は意識もしないが、なんとなく入ってはいけない、汚してはいけない、何かに見られているような視線を感じてしまうし、ただ岩や縄がころがっている様子をみて、「これはなんだかわからないけどアートだ」と考えてしまうことがある。70年代の「もの派」の作品群は、その問いをそのままに既に永遠性を獲得し、トラウマとしてその後の芸術家たちの表現に時々顔を出すといえるのかもしれない。まさにバクテリアが消化されない別のバクテリアを食べたまま、別の生を生き続けるように。
■中平卓馬の不安と恐れ
ところで、この本を読みながら、私は、先日亡くなった写真家の中平卓馬のことを思い出していた。中平は写真が「芸術」であることをきっぱりと捨て去ろうとし、「意味」からも解き放とうとした。自身の幻覚体験によって事物と私との間に保たれていたはずのバランスの喪失が起こった体験から「事物を見ることは事物が直接眼球に突きささってくること」といい、ウォーカー・エヴァンズの写真を前に感じる不安について「不安とは、ただの恐怖とは何の関係もないものである。それは世界と私との関係のゆらぎ、ある日われわれをふと襲う関係のひずみから生まれる。」といった。そんな中平は、77年に睡眠薬の常用による知覚異常や記憶喪失を引き起こし、生死をさまよい失語状態となったが、活発な評論活動をしなくなってからも写真家としての自覚は持ち続け、撮影を続けた。自転車で行ける範囲に撮影にでかけ、動植物や人間をとる。ドキュメンタリー映画の中に映し出されたその姿をみていると、彼は撮影対象に対して、ひどくおびえているように見える。人間はだいたい後ろから回り込んでとられており、そっと近づいてカメラをのぞくが、撮影する瞬間にはすでに逃げられるように準備をしていて、向きを変えて勢いよく去るのである。中平がどんな病状だったか詳しくは知らないが、倒れる前の彼自身による評論を読むと、中平は意識的に「不穏なるもの」を撮影しようとしていたのではないか。自身をとりまく世界を不安に誘い込む、日々眼球に飛び込んでくる事物を、そのまま事物として写真におさめること。けれど、倒れてからの彼のおびえた立ち去り方や、カメラをいざという時に身を守るための武器のようにもっている様子からは、不安よりも恐怖(恐れ)のほうが強いのではないか、という気がする。
中平本人が不安と恐怖を別のものと考えていたこともあり、私は中平の写真は記憶喪失の前後で決定的に変わってしまったのではないか、と考えた。しかし、李の言う不穏性をふまえて考えると、中平が写真を撮り続けた動機はずっと変わらないのかもしれない。李はハイデガーの恐怖(恐れ)は対象をもつが不安は対象をもたない、という言葉を引用しながら、「不穏性の不安は特定対象から惹起されるが、それによって惹起されるなんらかの可能性に対する漠然とした予感という点では、対象をもたない恐れである。」という。その上で精神分析的な不安とも、別個のものだとしフロイトのいう不安が「超自我に対する自我の恐れ」であるならば、不穏性の不安は、「自我が信じて同一視してきた超自我が動揺し、瓦解するかもしれないという恐れであると言わねばならない」と書いている。
記憶をなくした後の97年に開催された個展「日常—中平卓馬の現在」(中京大学Cスクエア/愛知)で発表された写真では、動物が写っているのなら動物、植物なら植物にピントがあっており、いくつかの写真で被写体は画面をはみ出していた。それらは芸術作品というような姿ではなく、ただ動物が動物であることをさす「写真」としかいいようのないものでありながら「直接眼球に突き刺さる」ように接近し、ふいに飛び込んでくるように見える。中平の場合、精神に異常をきたし既に超自我は瓦解しかけていたのかもしれない。そのような恐れを前に、事物と眼球の間にカメラのファインダーをはさみ、直接眼球に突き刺さることを避けようとしていたようにも見える。そのときカメラは、文字通り防御のための盾であり、攻撃の際には武器になるだろう。「不穏なるもの」を前に、かなり腰がひけながらも、しかし、逃げても追いかけてくる「不穏なるものたち」を前に、どうにかそれとの出会いを肯定しようとする試みが、中平にとっての写真だったのではないか。そうであるのなら「意味」をもたない中平の写真には「不穏なるものたち」との出会いが、写っており、理解不能な写真を前に、わたしたちは「不穏なるものたち」と出会うことになる。
■この本に差し込まれた三枚の写真
ところで李の著書に戻ると、不穏なるものとして障害者、バクテリア、サイボーグなどを具体的にあげながらそれぞれ個別の存在論についてかかれているのであるが、最後のエピローグ「出口あるいは入り口」の前に三枚の写真が差し込まれている。その写真の一枚目にはおそらくは地下通路か高架下の通路のような場所をカートをひきながら歩いて通り過ぎる人物、次の写真には水平に伸びる光が映し出されている。そうして三枚目は一枚目の人物が少しだけ別の角度によって写しだされている。この写真は一体何なのか。どこにも注はなく、撮影者の名前もない(はずだ)。写真は歩道を隔てる柵のこちら側から撮られており、光の移動のスピード感から、この写真は車なりバイクなり、高速で移動する乗り物の上から撮影されたもののように思える。一枚目と三枚目はほぼ同じ瞬間にこちらが移動しながら違う角度でとられたもののようだ。間の二枚目はその通路をまっすぐに高速で移動しながら、真横を向いて、長時間露光によって街灯の光と壁に反射する光をとらえたもののように見える。そこで、時間は伸び縮みをする。一瞬に切り取られた二枚の写真の間にのびた時間がはさまれているのだ。この写真は、不穏なるものたちとの出会いが、時間を伸び縮みさせることがあることを思い出させる。ある事物が目に飛び込んできた時、なぜかスローモーションのように感じること、過去と今の時間が入れ替わることがある。この写真そのものは、暗い通路ですれ違う人物という、あからさまに不安を呼び起こす存在を撮っているために不穏ではないが、不穏なるものの存在を考える上で、言葉と言葉の間に挟まれた際に、言葉からこぼれ落ちるものに対し、機能する写真のように思える。写真というよりは、映画と考えたほうがよいのかもしれない。実際、不穏なるものに対し、正面からカメラを向ける事はかなり難しい。高速で移動する乗り物の上からであれば、かなり撮りやすいが「盗撮」に近い方法には問題があるし、非難される場面も多いだろう。しかし、もっと重要なのは、にもかかわらず、撮ることに向き合う写真家がいることである。私自身、拒絶された絶望的な別れの瞬間に真正面からカメラを向けられたことがあり、その瞬間、はげしく動揺し憎みつつも、そのカメラマンを信頼する気持ちが湧き出てきた忘れられない経験がある。カメラを向けられないような場面で、それでもカメラを向けること。それは、李のいう不穏なるものたちとの出会いを肯定できるかどうか、という問いに繋がっているのではないか。そのような肯定が含まれていたからこそ、私はあの瞬間に、カメラマンを信頼したのではないだろうか。何かを不穏なるものとしてまなざしながら、私自身が常に誰かにとって不穏なるものとして、そのどちらの状態も抱えていることを自分自身の痛みとして既に知っていたことを、本書を読んで思い出した。