ド・ビョンテ
はじめてYamagata Tweaksterの名前を聞いたのは、アクティヴィストの話の中からだった。学生街でクラブ文化も盛んな若者の街ホンデのトゥリバン闘争で活躍していたミュージシャンがYamagata Tweaksterだった。
トゥリバンとは、地下鉄・弘大入口駅近くの大衆食堂で、再開発のために立ち退きを迫られたが拒否して、2009年12月から座り込み闘争を開始した。トゥリバンの座り込み闘争には、多くの若い芸術家、ミュージシャンらが集まり、連日、座り込み現場でのライヴやパフォーマンスを実践した。ミュージシャンによるライヴ演奏だけでなく、映画上映会、詩の朗読など、様々な芸術的抵抗がくりひろげられた。
トゥリバンは、531日間の座り込み闘争の末に再開発公社との合意に到達し、営業損失賠償金の支払いを約束させた。トゥリバンの勝利は、都市再開発に対する抵抗闘争の新しい局面を画するものであり、他の多くの闘争にも勇気を与えた。トゥリバンは、場所を移して現在も営業している。2013年12月28日のゼネラルストライキに際しては、ゼネスト参加者先着50名に夕食を無料で提供するという大サービスをしてくれた。
Yamagata Tweaksterは、トゥリバン闘争への参加が自分自身にとっても政治的な問題意識を覚醒する大きな出来事だったという。そして、トゥリバン闘争に参加したミュージシャンらと「自立音楽生産組合」を設立し、資本の流通システムから独立して、自分たちで生産・流通・消費の回路をつくることをめざしている。その実践の一つとして、Yamagata Tweakster自ら「グルーヴ車」と呼ばれるリヤカーを引いて、街頭で「自立音楽生産組合」の自主制作CDを売り歩いている。行商である。
私がはじめてYamagata Tweaksterのパフォーマンスを見たのは、2012年3月。韓米FTA締結に反対する大規模なデモが連日おこなわれていた。その反FTA闘争のひとつとして、Yamagata Tweaksterらが明洞(ミョンドン)で路上ライヴを開催するというので、見に行ったのだった。明洞大聖堂近くの路上で歌い始めたYamagata Tweaksterは、やがて性行為を模倣したセクシュアルなダンスを踊りながら、地面、自動車、街灯に股間を押しつけつつ、移動していく。ついに走り出したYamagata Tweaksterを追いかけて、オーディエンスも走り出す。Yamagata Tweaksterは足が速い。必死で追いかけていくと、グローバルな靴屋チェーン店であるABCマートに突入し、唖然とする店員と客の前で腰を振りながら歌い踊っている。圧巻のパフォーマンスだった。
知人から聞いたところによれば、Yamagata Tweaksterは境界を超えるミュージシャンであり、ライヴハウスで歌うときでもステージを降りて客席を通り抜けて、歌いながらライヴハウスの外まで出て行ってしまうのだという。路上ライヴをするときでも、けっして一ヶ所に留まっていることはないという。舞台と客席の境界、クラブの内部と外部の境界、許される場所と許されない場所の境界を軽やかに超えていくところに、Yamagata Tweaksterのパフォーマンスの魅力がある。